第九話 畑、逃げ出した後で。
はたけ、にげだしたあとで


加持リョウジは、あまり他人には信じてもらえないが平和を愛する男である。


あんだけ危険な仕事をしておいてどの口が――などとミサトやらリツコには言われてしまうが、本当なのだから仕方がない。

彼に言わせるのならば平和を愛するがゆえにセカンドインパクトの真相を知りたいと願ったのであり、その後に危険な仕事をすることになったのも、そこまでの経緯で人間関係やらしがらみやらでいつの間にか抜け出せなくなったのである。まあ、そんなことを言っても今更誰も信じてくれないし、ここでこうして畑仕事をしているうちはそういうことを主張する必要もない。


加持リョウジは平和を愛する男で、畑仕事が大好きな男でもあった。


あれこれあった後で、改めてジオフロントに土地を借りて耕作してみたが、これが思いのほか、性に合っていた。

トマト、ナス、ジャガイモ、キャベツ……彼が丹精込めて作った野菜は、どれも味がよいと評判だった。

勿論、個人でやっているうちは効率的な機械だのを使ってどれだけ頑張っていても規模はたかが知れている。それでも彼の野菜を求めて足を伸ばしにやってくる者はあとが絶えない。今日もそんな何人かの主婦とか食堂の店主などがやってきて、安く売ってあげたりしていた。

そうして「まあ一休みとするか」と彼は近くに設置してある納屋に足を向けてから。


「葛城も、いつまでもそこでずっと寝ているつもりじゃないだろ?」


そう、声をかけた。


「あ、バレてた」


葛城ミサトが、のっそりとキャベツ畑の中から立ち上がった。いつものNERVの赤いジャケットから雑草だのを払いのけて、頭をかきながら加持へと歩み寄る。


「まあ、俺が葛城に気づかない訳ないだろ」

「あーら、嬉しいこといっちゃってくれるじゃない」


お互いに笑いながら、同じ方向へと歩き出す。


「しっかし、見ていたけどさ、もっと農薬とか使った方がよくない? 草抜きだけでも結構な手間みたいだし」

「そうだな……それでも、この畑の野菜は完全な無農薬有機農法というのが売りだから」

「ああ、それは仕方ないわね――で、農薬使うと、やっぱり味とか落ちる?」


私はそういうの全然わかんないから、というミサトの発言は、まあ万人が頷くものではあった。

それに対して加持が


「いや、全然」


と答えると、さすがにミサトも驚いたような顔をした。


「そうなの?」

「そうなの。というか、農薬成分は野菜そのものも出しているしなあ……無農薬だとな、野菜ってのは自分から薬を出してどうにかしようとするんだ。ちゃんと比べたわけでもないけど、もしかしたら自分でどうにかしようとエネルギー消費している分、無農薬の方が味が薄くなってたりする可能性も考えられるな。まあ、世の中には野菜を追い詰める環境におくことによって味を引き出そうとする農法もある。うかつなことは断言できんなあ」


きちんと調べたこともないし、と言いながら、加持はのびをする。


「へえ――ま、当然か。生物ってのは、どうにかなる範囲で適応しようもがいていくものね。そうすると農薬成分を出しているってことは、農薬野菜と危険度も変わんないってことか」

「いやあ、葛城、今時の野菜に使われている薬は、そんな危険なものはないぞ。直接に口に入れたりしたら大変だが」


店頭に並ぶ頃には揮発してしまっているのだという。

どうしても気になるようだったら洗えばいいわけで、そういうのは普通に調理する前にすることである。


「……そうすると、味も危険度も変わりないのに、なんで無農薬有機農法の野菜の方が売れるわけよ」

「自分でもだいたい見当のついてる質問はされても嬉しくないな――まあ、だいたい葛城の思っている通りにマスコミとかのせいだな。味については、俺が試している範囲ではそんなに大差はなかったというだけで、一般には違うのかも知れん」


何せ、俺の作る野菜は愛情が違うからな――といい感じで笑って見せたのだが、ミサトは「ふーん」などと気のないそぶりで相槌を売っただけだ。

加持は軽く息を吐き、


「まー、野菜ってのは、こうしてとりたてを食うのが一番ってことでな」


畑から出た加持は、井戸から底に浸けていた籠を引っ張りあげる。

中には赤い実が大量に入っていた。


「朝にとって、井戸水で冷やした」

「いただきます♪ ――やっぱり加持くんは気が利く人だわ」


加持に何を言わせる暇もなく、ミサトはビニール袋にいれてあったトマトを籠から取り上げ、中身を取り出して噛り付く。


「立ったまま食うのは行儀が悪いぞ」


苦笑して、彼は籠を持って納屋の入り口のすぐそばにおいてある冷蔵庫から麦茶を取り出し、上においてあったコップを二つ持って近くにある菩提樹の木陰へと行く。そこには木製のベンチがとりつけてあり、そこで休憩をとることができるようにしてある。

右端に座ると、いつの間にかミサトは左端に座っていた。真ん中においた籠の中にはトマトの入った袋が入れてある。


そして、彼女の差し出した手にコップを持たせて、加持は麦茶を注いだ。

コップの縁がミサトの唇に触れ、嚥下された中身が喉を動かすのまで眺める。何処かエロチックだと思った。ミサトという女がまさに艶やかであるということもあるが、食べるとか飲むという生きていくのに繋がる行為というのは、何故だかいやらしい。ベンチの背に回した左手をミサトへと伸ばそうかと迷って、やめた。


風が吹いた。


ジオフロントの内部の大気は流動する。地底湖だの森だのがあるここは一個の世界であり、自然と温まった大気などが天井近くに昇って対流を起こして、地下を巡る風となる。勿論、外部から大規模な換気を執り行うシステムもあるのだが、これはそれではない。森の匂いをほのかに含んだ冷たい風は、この世界のそれであった。


「はー、一息ついた」


ミサトが、言った。

加持は、ようやくトマトを一個取り出して、しかし口に運ぶでもなく、手に持ったままで弄ぶ。


やがて。


「それで、葛城、何があった?」

「……あー、加持くんには解っちゃうか」


お前がくるのは、いつも厄介ごとのある時だけだろう、とは言わず、加持は手のトマトをミサトに投げ渡した。


「あんがと」

「……どうしてもみんな信じてくれないみたいだが、俺は平和を愛する農業が趣味のただの中年だ」

「今はね」

「昔からさ――少なくとも、そういう生活を営みたいと、そう願っていた」

「願いはかなわないものだわ」

「似合わないセリフだな」

「まあ、ね」


ミサトは、受け取ったトマトをやはり加持のように弄び、


「隠し芸大会――」


ぽつり、と呟いた。


「そしてチルドレンの演奏会をするように指示しておきながら、あんな衣装だの請求書だのを今もってくるNERV上層部の意図は何?」

「話がよく見えんな――」


言いながら、加持はもう一個トマトを取り出して、迷わずかぶりついた。


「だが、だいたいどういうことが起こりつつあるのかの見当はついている」

「……………盗聴対策はしている?」


声をひそめていうミサトに、加持は左手でミサトの首をつかみ、ベンチの真ん中でキスができる距離まで顔を寄せた。


「問題ないさ」


口付けた。

そして。


「コード801だ。全てはそこに鍵がある」

「それって、エヴァのサルページ計画の……」


言いかけて、手に持ったトマトが地面に落ちて、転げた。


唇が、再び塞がっていた。





☆ ☆ ☆





「碇、ここにいたのか――」


冬月は、ようやく探していた相手の姿を見つけた。

NERV司令は、格納庫にあるはずのないものの前に立ち、見上げていた。


エヴァンゲリオン初号機――


だがしかし、どうしてこれがここにあるのか。人類の生きた証となるべく初号機には碇ユイという魂だけを乗せて宇宙を彷徨っているはずだ。いや、それをいうのなら、あの時にこのジオフロントは壊滅して……


(いかんな)


冬月コウゾウは首を振り、タラップからそれを見上げているゲンドウへと歩み寄る。


「例の書類は、彼らの手に渡ったぞ」

「ああ」


彼の表情は微かにも変わらなかった。


「全ては予定通りだ」





☆ ☆ ☆





「あ、とりあえず」


アスカは長考の挙句に、書類をまとめてゴミ箱に放り込んだ。

シンジの眼が丸くなり、カヲルの口元が妖しく歪んだ。

ファーストチルドレンのみが無表情のままで。

いや。

すべるように、アスカへと歩み寄り、耳打ちする。

その時、アスカの髪が一瞬だが総毛だった。


「ふーん……話は聞いてみるものね」


笑った。


笑うという行為は本来攻撃的なものであり。

獣が相手を威嚇する行為を起源とする。


そんな、笑みであった。


「そいつは、資格おおありってことね」



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first update: 20070515
last update: 20070515

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