第拾七話 瞬間、打撃、重ねて
しゅんかんだげきかさねて


少し時間は捲き戻る。




「と、もたんか、これは」


サッシの呟きと同時に、式神は消えた。

頭の上に綺麗に乗っかっていた金タライがどわぁぁんと音を立てて地面に落ちた。直径40メートルの金タライというのは、質量としても相当のものがある。大量の空気を巻き込んでの落下は、周囲に衝撃と騒音を撒き散らす。


「天地玄妙行神変通力」


印を組んで呪を唱えると、サッシとアルミの二人の前に不可視の盾が展開したようだった。土埃を持ち上げて波濤のように迫る衝撃が、二人の前で左右に分かれた。


「やるやんか」


喜色を浮かべて珍しくサッシを褒めるアルミだが、当のサッシはというと眉根を寄せて埃まみれの視界の向こうを凝視していた。


(なんや? 例の二人を見失ってもた)


仕切りなおしか、と思った瞬間、彼女は現れた。


衝撃の全てが通り過ぎるのにかかった時間は二秒となかった。


葛城ミサト。


展開された不可視の盾は空気を壁状にするものだったのか、それを打ち砕いた音は風船を破裂させたそれに似ていた。サッシがそれに対して反応が遅れたのは、ミサトが現れたのが二人が向かっていた逆の方向であったからに他ならない。

そうなのだ。

彼女は式神が消滅する寸前にはすでに移動を始めていたのだ。

動物的な勘なのか経験による判断であるのかは誰にも解らない。タライが量産機の頭に落ちた瞬間にはそれがもうもたないということを察知した彼女は、式神が消滅してタライが地上に落下する寸前には二人の背後にまで回りこんでいたのだ。それは予期されていた衝撃から逃れるためということもあるのだろう。二人が異能の術者であることを見たミサトは、多少の爆発程度はどうにかする力を見せると思ったのだ。つまり、盾にしやがった。

……ここらの全く戦力のほども計り知れない未知の相手に対してそこまで図々しくも期待できてしまうのは、まさしく葛城ミサトであるからであるといえる。

はたして展開された盾が衝撃から二人の身を守った時には、彼女は車から出て埃の中を突き進んでいたのだ。

元々、衝撃といってもそんな命に関わるというほどのものでもない。

サッシが術で身を守ったのは、その後の戦闘に備えて態勢を保持するためである。

その彼の判断は正しかったし、行動もまた正しかった。

誤算があるとしたら、相手が悪かったということだ。


「疾っ」


ミサトに対して刀印を組んだ時には、すでに間合いを完全に割られていた。

猫科の猛獣のようだった。

瞬くうちにミサトはサッシの足の甲を踏みつけて左手でサッシの右手首を掴み、左手の掌で下から顎を突き上げた。通常の武道では反則とされる技だ。間違っても中学生程度の相手に対して行うものではない。


「サッシ!」


叫びながらアルミが地面を蹴った。

飛び蹴り。

そこに必殺の威力があるわけがない。彼女は陰陽師の護衛ではなくて、あくまでもサッシの幼馴染にしかすぎない。

サッシが倒れるのとミサトが振り向くのとは同時だった。

アルミの蹴りを脇に抱え込むようにはっしと受け止めた。


「あっ」

「ん〜〜、足癖の悪い子は、お姉さん感心しないなあ」

「……何が姉さんやおばはん、はよ離さんかいっ」


にこり、とミサトは笑った。


「少し痛い目にあった方がいいわねー」


足を持ち上げつつ、アルミの軸足を払う。

アルミが気付いたときには、地面に倒れて膝と踵が固定されていた。


ヒールホールド。


総合格闘技でも、危険度が高くてほとんどの競技で禁止されているって代物だ。

アルミはそのことを知らないが、わずかに力がかかっただけで苦痛で涙が眼に浮かんだ。それだけで、本能的にヤバいと察した。これは、ヤバすぎる技だ。


「……どうする?」


ミサトの声は静かだった。

アルミは涙目で首を振った。助けてくれとも離してくれともとれる動きだった。だが、唇を噛み締めているその表情は、まだ何かに抗っているように見えた。痛いのはイヤで怖くてイヤだが、それでも命乞いとかは意地でもしたくないのだろう。若いって辛いわねとミサトは思った。

さて。

どうしたものか――


ミサトの逡巡は、そう長くはなかったはずである。

つまり、サッシの対応がより早かったということだろう。

倒れたままに印を切り、呪を打つ。


「おん・きりきり」


不動金縛り。


声に反応して脇に抱えたアルミの足に体重をかけようとしたが、刹那の差で呪の方が早かった。体が硬直する。そしてそれが解けたのも一瞬後であった。


「葛城三佐」


いつきたのか、綾波レイがいつの間にかミサトに関節を決められていたはずのアルミを抱えてサッシと彼女との間に立っていた。

例はミサトを一瞥してから、上体を起こしたばかりのサッシを見る。 


「魔法使い、あなたももうやめなさい」

「陰陽師やて。――まあ、やめとくわ」


しゃあないなあ、といいながら立ち上がり、体についた土ぼこりを払う。

解放されたアルミが抱きついてきたが、サッシは落ち着いていた。かなりの場数をくぐっているのかしらねーとミサトは思ったが、そのことはまったく顔にださずに。


「それであんたらは何者? それで何が目的で私たちを狙ったわけ?」


聞いた。

魔法使いだとか陰陽師だとかというのは聞いている。果たしてそんなことがありえるのかということは、既に目の前で行われた不条理のことを思えば疑う必要はない。問題になるのは、一体どういう理由で自分たちを拿捕しようとしたかだが――


サッシとアルミは顔を見合わせて、「仕方ない」と頷き合う。


「重ねて言うけど、ボクらは陰陽師や。何が目的でといわれても困るな。この世界でボクらを保護してくれている碇司令からの頼みで、『とりあえず葛城三佐を動けなくしといてくれ』ていわれただけやからなあ」

「司令が?」


それが果たしてとどういう意味を持つのか、その時点でのミサトには見当もつかないのであった。




☆ ☆ ☆




惣流アスカ・ラングレーはIFの話が嫌いである。


なんというか、あの時に自分がこうしてたらとか、ああではなかったらとか、そういうことを考えるのは何だか負け惜しみじみていると思うからだ。だいたい、自分の選択については少なくともここ数年は「これでいく」と決めて後悔などしていない訳で。だから彼女は自分の選択を誤ったと認めているみたいで、IFの話は嫌いなのであった。

とはいっても、つい何時間か前に「逃げればいいし」と言ったことについてはちょっと失言したかなーと思わなくもない。

あんまり本気でいったわけでもないのであるが。

あの時、キールとの会談が中断して、アスカはなんかことが思っていた以上にややこしいことになっているというとを感じたのである。別に彼女自身はそれで命がどうこうという心配はしなかったが、このまま現状に甘んじて面倒なことになってしまう前にとっとと逃げ出すのも選択肢に入れるべきだろうかと、そう思って言ったまでである。まさかそのことがシンジの中の地雷を踏んでしまうとは思ってもみなかった。

とりあえずシンジにつきあって、ひさびさのバイオリンの演奏をしていたわけであるが――


もしも、と彼女は思う。

もしも、この時に、自分が演奏で疲れていなければ。

もしも、「逃げればいいし」などといっていなければ。

もしも。


……IFをどれほどに積み重ねても意味はない。

どれだけの可能性があったとしても、選択される、あるいは迫られる、辿りつくところはいつだって唯一つだ。いっかに彼女が地上最強であったとしても、平行世界を超える方法も力も持ってない。それができるのはこの世界ではただ一人だけだ。

そう。

彼女は後悔こそしてなかった。

ただ、考えることがある。


もしも、この時の自分の反応がもう少し早ければ――


シンジは無事に済んだのではあるまいか。




☆ ☆ ☆




「いっただき、まんもっすうっぃ〜〜〜〜〜!!!!」


声に反応できたのは、その部屋にいた者の中では唯一、アスカだけだった。アスカしかいなかった。レイもカヲルも、振り返ることすらできなかった。それくらいにそいつの登場というか突入というか侵入は唐突であり、不条理であった。

というか、何処からどういう経路でここまできたのか。

そいつが乗っていたのは、ベスパだ。

スクーターの種類である。日本製ではない、とまでアスカは知っている。それ以上のことは知らない。どうしてそれの名前を知っているのかということについていえば、ミサトが「なんかこれに乗ってバットを振り回したいなー」とかいう正気とも思えないことをぼやいていたからで、その時に無理やりに写真を見せられた。どうしてそんなことをしたいと思ってカタログを持っていたのかということについては未だに解らないが、ミサトがトンチキなことを言い出すのはいつものことなのでアスカは気にしてない。とりあえず、その時にこのスクーターの名前がベスパであるという無駄知識を得たのであった。いやま、ここてこうして思い浮かべられているだけ無駄ではなかったのかもしれない。

で、だ。

そのベスパに乗っていたそいつは、ミサトの妄想だか願望だかよりトンチキだった。少なくとも、ミサトが振り回したいと言っていたバットは振るための道具であるが、そいつが手にしていたのはギターだ。あれは多分、ギターだ。ギターによく似た撲殺のための道具であったという可能性もわずかにないでもないが、どう見てもギターだった。

ベスパ女がそのギターを振りかぶったのを、百に刻んだ一秒の中の2でアスカは見た。

動き出すのに、さらに5かかった。

バイオリンの演奏で神経をすり減らしていなければ、あるいはもう3くらいは速く反応できたかもしれない。

スカートを跳ね上げて、右の足を延ばす。

右の廻し蹴り。

どれほどの疲労と衰弱を積み重ねていようと、それに反応できる生物などというものは地上には存在しないだろう。

そういう蹴りだった。

だからつまり、ベスパ女は地球の生物ではないということだった。

わずかに上体を反らして、アスカの蹴りを回避した。

あり得ない反応のありえない動きであった。

ベスパ女はその動きも予定通りであるかのように全身の動きを繋げた。

無駄のない力の流れのままに、ギターが振られた。

これ以上はあり得ないってくらいの、見事なスイングであった。

それは。

碇シンジの。


額を。




打っ飛ばした。




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first update: 20070515
last update: 20070515

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