――白い。


「……ここは?」

目が覚めたとき、私は消毒液の匂いがする部屋にいた。

ああ。やっぱり全部夢で、わたしは入院かなにかしていたのか。

そう思って、安心した。


――けれど。

遠くから聞こえる鈴原の声を、周りを歩く看護婦さんの声を聞いて、あぁ、やっぱりここはあの現実なんだと思い知る。化け物、戦闘、戦闘、戦闘……

「気がつきましたか」

「あ……はい」

そこにいたのは、いつか見た、金髪に染めた女の人だった。忘れるはずもない。クールで美人なのに、染め上げた金髪の女の人。泣きぼくろのある、葛城さんの親友の人。ネルフの人。白衣を着てるから、たぶん、先生。

「そう、良かった。気分はどう?」

「大丈夫だ……と思います」

そう、というと先生は、わたしから視線をはずした。そしてどこかへ電話をかけてそのまま早口で喋りだした。

そして、電話の向こうにいる人との会話の合間に、「悪いけど、今日一日、ここに検査入院してもらうわね」と、有無を言わさない口調でそういい切って、そのまま話をしながら何処かへと行ってしまった。

そして空調の聞いた病室にはわたしだけが残され、そこにはうるさいぐらいのセミの声もなく、ただ機械の音だけがあった。

彼女は世界の端っこで

第4話
「わたしはあなたを知っている」

……あの……

まどろんでいるわたしの耳に、小さい声が入ってきた。

……ん……

わたしは目を開けた。青白い部屋。



何してるんだっけ? わたし?

――ああ、そうか、検査入院だ。

そのまま視線を横に動かす。

と、なんだか妙な表情で、知っている人が、こっちを見ていた。椅子にかけている、この男の子は――

碇、君?

「……え?」

「……あの、君が……入院している人?」

なんだか不安そうな目で、こっちを見ている。これは、心配している? ……違う。これは……ただ、不安なんだ。わたしに何か言われるんじゃないかって、不安なの?

「うん、そうだけど……い」

、かりくん。と口に出しそうになって、慌てて言いよどむ。そうだ、わたしは碇君を今は知らないはずだ。

「い?」と、碇君は首をかしげた。

「い、いい天気ね」

そのまま、無言で見つめあう。

青白い顔をした碇君は、そのまま消えてしまいそうに見えた。そうだ、碇君はあの紫のに乗ってたんだ。アスカが言ってた。あの時、碇君は呼ばれてすぐに乗ったんだ。元気なわけ、ないんだ。

「大丈夫?」

「え……あ、うん」

さっきまでは半分は迷惑そうな顔をしていたのに、わたしに心配された途端、泣きそうな顔でそう応えた碇君が、なんだかムカついた。

「ええと……あなた、は、何で入院してるの?」

わたしがそう訊くと、碇君は少しどもって答えた。

「い、うん、僕は、なんていうか……何て言うんだろ」

言えない、よね。きっと、碇君はあの紫のロボットに、エヴァンゲリオンに乗って戦っていたんだ。

ロボット、であの血を噴出す化け物……ロボット? を思いだした。

顔をしかめて俯いてしまうわたしに、碇君があたふたしだした。

「……大丈夫? 気分悪い?」

答えられない。思考が悪いほうに向ってしまっていたからだ。

「えっと、その! 大丈夫? いまリツコさん呼んで」

碇君が知らない名前を言う。不安げで落ち着かない口調にますます頭が重くなる。

そして、あたふたしている碇君にいい加減嫌気が刺したとき、ドアが開いて見覚えのある女の人が入ってきた。


……葛城さんだ。


「あらーん、シンジ君。病床の女の子を襲うっちゃあ、なかなか悪人ね?」

そう、こんな風な悪い冗談を言う人だった。

あの時、わたしにペンペンを預けた、あの葛城さんが、わたしの目の前にいる。

悪くなりかけていた調子は、葛城さんの登場と浮かんだ疑問のおかげで、少し持ち直しかけていた。

そしてわたしは黙って、この調子が続くように深めに息を吐きながら、目の前でさらにあたふたしている碇君と、楽しそうにそれをからかう葛城さんを見つめた。そう、こんな時ならたいてい、柄にもなく赤くなって怒ったりする子なんだ、碇君は。アスカと言い合う時みたいに。

でも、碇君の反応はわたしの予想とは違っていた。

「……違いますよ……」

俯むきがちに答えて、碇君は葛城さんと視線を合わそうとはしなかった。

あれ? あんなに仲がよさそうだったのに。どうして?

思わず、息を吸うのを止めで碇君を見てしまう。その表情には、親愛じゃなくて――なんだろう、ただ、この人はなんていう人なんだ、という非難するような表情だけが浮かんでいる。


……そうか、まだ碇君は、葛城さんのことをよく知らないんだ。


わたしは、アスカ、わたしの親友だったらしい女の子の言葉を思い出した。

「ミサトだって、あたしを見ちゃくんないのよ。エヴァに乗れなかったら、あたしなんて」

そう言ってアスカは泣いていた。……そうだ。葛城さんは、楽しいだけの人じゃないんだ。少なくとも、今の碇君にとっては、楽しくない部分のほうがずっと大きい人のはず。


わたしは妙に醒めた目で、二人の様子を観察していた。


碇君は俯く。でも、葛城さんはそんなこと気にしていないみたいで、碇君の反応に少し眉をしかめると、わたしの方に向き直った。

「あなたが、洞木さんね?」

「あ、はい」

他人行儀な言い方に少し肩が竦む。そう、この葛城さんも、わたしを知らない、わたしの知らない「葛城さん」。

「私は、ネルフ本部作戦課の葛城ミサト一尉です」

いつになく真面目な話し方で葛城さんは肩書きを述べた。黙って続きを聞く。今喋るとなにか余計な事を言ってしまいそうだった。

「今回は、検査への協力、ありがとうございました。どこにも異常はないそうです。……くっ、疲れる、この話し方。ごめんなさい、ちょっと崩していいかしら? ……怒る?」

「あ、はい、どうぞ」

わたしはすぐに答えた。わたしにとっても、こんなきつい調子の葛城さんを見るのは気持ち悪い。拝むように両手を合わせて舌を出す仕草が、いかにも葛城さんらしくて思わず笑いそうになってしまう。わたしの知ってる葛城さんに似ている。同一人物だけど。

「ということで、あなたはめでたく退院よ。でも、何か怖い夢を見るとかそういうことがあったら、気兼ねなく病院にいらっしゃいね」

「はい、ありがとうございます」

退院かぁ。……そういえば、鈴原は無事かしら。妹さんは? シェルターには入れたし、さっき声が聞こえたから大丈夫だと思うけど……

「それと、クラスメイトの鈴原君の妹さんの件なんだけど」

「あ、はい……」

思考を呼んだかのような内容の言葉に、少しどもってしまう。

「あなたと鈴原君のおかげで死なずに済んだわ。ありがとう。……でも、次からはちゃんと、大人の人に連絡してね」

よかった、怪我、しないで済んだんだ。

「あ、はい、すみませんでした」

やんわりとした注意だったが、その声色には決して逆らえないものを感じた。本当だ。楽しいだけの人じゃない。


ほっと、肩から力が抜けたのは、葛城さんがわたしに確認するように一言二言さらに告げて、病室から出ていった後だった。

でも、葛城さんが出て行った後も、最後に耳元で言われた言葉だけは耳に残り続けて離れなかった。


「それから――これだけは、守って貰います。あなたが見たものは、秘密にして頂戴。決して誰にも言わないで。ここに来たこともあまり喧伝しないこと。でなければ、あなたのこと、守れないから」


室内に目を向ければ、部屋の端っこで手持ち無沙汰に佇む碇君が眼に入る。出て行こうにも挨拶もなしで行っていいのか悩んで、でも言い出せずに困ってるのがすぐ分かった。

どうしよう。わたしは、碇君は、好きじゃない。アスカは碇君のせいで落ち込んじゃったし、鈴原も碇君のせいで怪我をしてしまった。本当は違う、彼のせいじゃないって分かってても、どうしても、そう思う。

だから、碇君は、そう、嫌いなんだ。


――でも、この碇君は、その碇君と、同じ人?


分からない。でも――わたしはまだ、この碇君に嫌なことはされてない。

だから、助け舟を出してあげることにした。

「怒られちゃった」

舌をちょっと出して喋りかけると、碇君は照れ笑いのような表情で「無事でよかったね」といってくれた。自分が安心した気持ちも混じっているんだろうと思うと素直には喜べないし、やっぱり好きにはなれないと思う。けれど、それでも、笑ってくれたら悪くない気分になる。

「うん」

「それじゃあ……僕は、これで」

「うん。お見舞い、ありがとう」

そのまま、何かを口ごもるように碇君はドアの外へ消えていった。

そこで、わたしは気づいた。

「――あ」

名前聞くの忘れちゃった。でも、また後で会うよね。

そのはずだ。きっと、彼は、わたしや鈴原と同じクラスにやってくる。わたしはもう、自分の記憶を疑うことはできなかった。


人のいなくなった病室は静かだった。

あまり静かなので、なんだか怖くなってくる。どこか外へ行きたい。そう思うと落ち着かず、結局わたしは置いてあった制服に着替えて病室の外に出ていた。

当てもなく歩く廊下は広く、やっぱり静かだ。駄目だ。病室とあまり変わらない。部屋を出た時の勢いがしぼんでいく。仕方ない、部屋に戻ろう。馬鹿みたいだったが、とりあえずお姉ちゃんかお父さんを待つのが、一番だと思った。

ゆっくりと踵を返して、引き返す。そんな病室への帰り道で、わたしはあの子と擦れ違った。

綾波さん。もうひとりの、エヴァンゲリオンの、パイロット。あまりよく知らない子。――あ。よく見ると、包帯の隙間から見える顔の輪郭が、碇君にちょっと似てる。さっきの、不安そうな顔に。

「あの」

声をかけてみたけれど、綾波さんはわたしを一瞥すると、ふいっと歩き出してしまった。その歩きはとても遅かったけど、追いかけられなかった。

「怪我、してるんだよね、やっぱり」

わたしは「あの時」の包帯姿の綾波さんを思い出した。

――そうだ、鈴原の妹さん。

綾波さんが歩いていったほうを見て、わたしは鈴原の妹さんのことを思い出した。この病院のどこかに入院しているはずだ。

わたしは受付へ向かって鈴原の妹さんの病室を訪ねた。


馬鹿だった。

病室の前まで来て、自分の記憶に足がすくんでしまうなんて。

わたしはいつかのお見舞いの日を思い出して思わず生唾を飲み込んだ。「あの時」は、病室の向こうには、色んな機械につながれた――

それを思い出すと、急に入るのが怖くなる。

わたしは殺風景な廊下に、ぽつんと手土産も持たず突っ立っていた。きっかけが欲しい。何かきっかけがあれば、中に入れるのに。

幸いにも、きっかけはやってきた。目の前のドアが開いたのだ。

ドアから顔を出した鈴原は、わたしを見てきょとんとした顔をした後、笑顔になってわたしの肩をばんばん叩いた。少し痛い。

「おー! 委員長も無事やったか。心配したでー。元気なのはええこっちゃ」

言い放つと、鈴原は笑いながら外へ行ってしまった。帰るようすじゃなかった。何か飲み物でも買いにいったのだろう。でも、わたしはどうすればいいのだろう。

ドアを開け放した状態で置き去りにされてどうしていいか分からずに、わたしは相変わらずぼけっと突っ立っているしかなかった。

入るに入れず、首だけ伸ばして患者用のベッドに目を向ける。

そこには、なにやら不思議そうな眼で私を見る妹さんがいた。……大丈夫だ、「この」妹さんの怪我は重くはない。

わたしが多少ほっとしながら見返すと、彼女はわたしに小さく会釈した。そりゃ、自分のお兄ちゃんがあれだけ大声で話せば、気付くよね。わたしは軽くため息ひとつつくと、決心して部屋の中へ入った。

「怪我、だいじょうぶ?」

「……」

こく、と大きく頷いてまた無言で私を見つめる女の子。どう対応していいのか分からない。どうしよう。ノゾミと歳は変わらないけど、ちょっと印象が違うな。

そうやって見つめあっているうち、鈴原は帰ってきた。わたしが部屋にいるのは予想済み、というか、そうさせるためにドアを開けていったみたいだ。遅いのよ馬鹿。

「おー。すまんの。委員長のおかげでこいつも怪我せんと綺麗なままや。恩に着るで」

鈴原が笑い、わたしも今度はつられて笑った。


でも、わたしは忘れていた。この状況なら、きっとくる質問があったことを。

しばらく喋った後、鈴原はわたしに「あのな、アホや、とか言わんとったってな? ……なんや、委員長、エスパーとかそんなんちゃうか?」と訊いた。

――そうだ。ここに来たら、訊かれることは覚悟しないといけないのだ。

確かに妙な言動だったし、鈴原が気味悪がるのも仕方ないかもしれない。

鈴原に気味悪がられる。あのときの変なものを見る目を思い出すと痛みを感じる。

「たまたま、よ。ほら、虫の知らせ、って言うじゃない」なんて、説得力のない言葉を言ってみるものの、鈴原の表情はあまり代わり映えしなかった。

「ほうかぁ……まぁ、助かったんやしなんでもええか。委員長、ほんまに助かったわ」

そんな強引な締めの後も、また向けられる不審げな視線。いいのよ、と答えてはみたけれど、その後は続かない。

辛い。

わたしは急激にこの場から逃げ出したい気持ちにかられていた。

しばらく笑って耐えた後に、夕飯の準備があるから、と言って病室から逃げるように抜け出したわたしは、少し涙ぐんでいたと思う。

病院を出てお姉ちゃんと歩く夕暮れの帰路でも、あの不審げな視線ばかりが頭に浮かんでは消えていた。

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