今ならはっきりと言える。わたしは彼が嫌いだ。

彼女は世界の端っこで

第5話
「弱る心に刺さる棘」

わたしが泣きそうになりながら家に帰った次の日。

「えーでは、転校生を紹介します」

先生が廊下のほうへ向かってそう呼びかけた後、ドアを開けて出てきたのはやっぱり碇君だった。

あの後、ほんとうは嬉しいはずなのに、泣きたい気持ちで夜を過ごしたわたしには正直どうでもよいことだった。どうせ碇君はまたあの時のように鈴原や相田と仲良くなるのだろう。そして「今度」のわたしは、たぶん「今度」の鈴原と仲良くなることはできないのだろう。


――嘘つき。


そもそも鈴原と仲良くなったことなんか、一度もない癖に。

……どうでもいいや。

考えることを放棄したわたしは、碇君の挨拶も聞き流してぼうっと黒板を眺めた。やがて始まった授業もどこかうつろで、夢の中みたいに感じた。


その日の午前中は、久しぶりに夢の中で過ごした。学級日誌のファイルも真っ白だ。後で怒られるだろうな。……いいや、いちおう優等生だし。

お昼休みに入り、鈍痛の頭に眉をしかめながら辛うじて「綾波レイ」の名前を欠席欄のセルに打ち込んだころ、誰かが机にあごをくっつけているわたしの肩を叩いた。

いつも一緒にお昼を食べるグループの子だった。

「ヒーカーリっ。お昼は?」

やけに楽しそうな友達の声が、やけにかんに触る。

わたしは精一杯苦しそうな表情を作って言った。

「……ごめん。ちょっと気分悪いの」

嘘だ、と思われるようなキャラじゃなかったのが救いだった。

彼女たちは「そうか……しんどかったら保健室行きなよ?」とだけ言って、教室の外へと出て行った。

心の中で小さくザンゲして、もう一度机の上に突っ伏す。

ごめん。でも今日は誰かと一緒に笑っていられる気分じゃない。


――――視線を感じる。


遠いところから、斜め後ろ頭に、じいっと、なんだか物凄くうっとうしい視線を感じた。

相変わらず机に突っ伏したままちらりと横目で見ると、教室の端の方で一人きりの碇君がこっちを見ていた。


……


…………


………………


……………………何よ。


わたしは斜め後ろに気づかれないように端末の時計を見た。もうお昼休みは半分終わっている。

もう一度横目で確認すると、碇君は手に持ったパンに口もつけずに、窓の外と私を交互にちらちら見ていた。


……


…………


………………


……………………


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!


我慢の限界だった。顔をあげ後ろを見ると、碇君は顔を逸らした。

一瞬、何か言ってやろうか、とも思った。

けど……それすらも面倒くさい。そもそもなんで碇君に声をかけないといけないんだろう。鈴原の妹さんが怪我をするのも、鈴原に怪訝な視線を向けられるのも彼のせいなのに。

そう考えると彼と言葉を交わすのも、視線を交わす事さえ嫌悪感を覚えた。

八つ当たりかもしれない。あの病院では、ちゃんと話せた。なら、変わったのはわたしの方なのか。

でも、そんなことを考えても、気持ちは抑えられない。やっぱり不快だった。


わたしが視線を外すと、碇君はまたちらちらとこちらを見ていた。

そして、いい加減我慢できなくなって席を立とうとした時に、ちょうどチャイムがなった。

――良かった。解放される。

ひとまず授業が始まれば彼の事は意識の外における。そう思ったけど。

午前中とは打って変わって、努めて真面目に授業を受けたわたしの頭に、碇君の視線は刺さった。

……もう! 何なのよ!?

そうして終えた五時間目、わたしは六時間目を本気でサボってやろうかと思った。

そして休み時間を終えたとき、その考えを実行に移さなかったことを心から後悔した。

「課題制作」

先生が黒板にチョークでその四文字を書き込み、

碇君以外の人がすんなりと二人組を作り終えたとき、

わたしは軽く天を仰いだ。

こんなとき、この後に待ち受ける展開ははっきりしている。


『洞木さん、××君(さん)は転校してきたばかりだから、手伝ってあげなさい』


そうして案の定、保健室に逃げ出す間もなく先生からはっきりと死刑宣告にも等しい指示を下されたわたしは、こちらに端末を持ってやってくる碇君をひかえめに睨む事しかできなかった。

「あの……」

話しかけないでよ。

「何?」

つい刺々しく切り返してしまう。

再確認する。わたしはいつの間にか、かなり碇君のことが嫌いになっている。もしかすると、「前」以上に。

いや、他の人の関わりがなければ碇君のことなどどうでも良かった「前」に比べれば、ずっとひどくなっているのかもしれない。

「あ、ごめん……」

それが証拠に、小さく消え入るような声でそう言った碇君を見ても何も感じなかった。

そして。

「いや、あの、その、えっと……怪我、大した事なくてよかったな、って」

そう言って笑う碇君の声を聴いて、頭が一瞬真っ白になった後ふつふつと怒りがわきあがるのを自覚した。


ええそうよ。


あなたのお陰でビルの下敷きになりかけるし、怪我をする鈴原の妹さんを助けようとしたら鈴原に変な目でみられるし、怪我はするし、怪我が大したことなくてよかった?


違う!


そもそもわたしは怪我なんかしないはずだった。それなのに。


なんでわたしばっかりこんなに辛い目にあわなきゃいけないのよ!


――だから。

「おかげさまでね」

わたしはそう言うと、思いっきりにっこりと、満面の作り笑いを浮かべた。

唇のまん中が割れるくらいに。

授業中に叫んだりしてキャラを壊すことはわたしの「委員長」としての自覚が許さなかったし、何より、怒ったりなんかしてもわかってくれないのはわかっていたから。

だからわたしは精一杯の恨みを込めて笑った。

そして、そんな私の顔をみて嬉しそうに笑う碇君を見て、今度は確信した。

私は彼が嫌いだ。ううん、そんな生易しいものじゃなくて。


大っ嫌いだ。


初めてだ。

いま初めて、自分がこんなに誰かのことを理不尽に嫌いになれる人間だってわかった。

だって、ほんとうは碇君のせいなんかじゃない。

わたしのせいだ。

でも……碇君を悪者にしたい。


嫌い。嫌い。嫌い嫌い嫌い! わたしも、碇君も――みんな嫌い! ……もう、やだぁ。


「ど、どうしたの? 洞木さん?」

え?

目の前で、碇君が揺れていた。

揺れて、にじんで……

わたしはいつの間にか泣いていた。

碇君が先生のところへ走る。先生が駆け寄ってくる。そして先生が担任の先生を呼び、昨日一昨日の事情を知っている先生は、わたしの肩を抱くと保健室へと連れて行ってくれた。


そして、あれよあれよという内に、またわたしは病院にいた。

「なに、やってるんだろう、わたし……」

もう何回目か分からない呟きが自然と口からこぼれ出たわたしの前で、あの時の金髪のお姉さんがなにやらカルテに書き込みながらわたしに質問を繰り返していた。

やがて、お姉さんはカルテから顔を上げ、わたしのほうを見た。

「心的外傷後ストレス障害ね……出るかもしれないとは思っていたけど。だいじょうぶ。事故の後にはよくあることなの、心配しなくていいわ。そうなるのはあなただけじゃないの」

お姉さんはわたしを安心させるためかにっこり笑ってそう言うと、また冷淡なようすでカルテの書き込みを続けた。

わたしは笑い出しそうになった。


よくあること? あなただけじゃない?


そんなわけない。あなたがわたしの何を知ってるの? そう、わたしのことなんか、誰もわかってくれるはず、ないんだ。わたしみたいに、望みもしないのにこんなことに巻き込まれた人間なんか、いるはずがないんだから。

そうよ、いるはずがない。

「それじゃ一応、薬を出しておくわね。一日一回飲めばそれでいいから。これを服用してもまだ悪夢を見たり、体に変調があったりするようならまた来てちょうだいね」

わたしは赤木、という名前のそのお姉さんから薬を受け取りながら、こんな薬なんか絶対に飲んでやらないとかたく誓った。

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