そのころ、碇君は誰とでも仲が良く、誰とも友達ではなかった。


「――これは私たち人類の……皆さんのお父さん、お母さんの世代の……」

先生は飽きずにセカンド・インパクトの話をし、わたしは相変わらずうんざりしながらその話を聞いていた。迷惑だ。そんな風に授業の半分を潰されると、学級日誌に書くことがなくなってしまう。そもそも、授業自体やり直しで身が入らないっていうのに。

しかしそれも、その後の騒ぎに比べればどうってことなかった。

「えええええええええええ!?」

そろそろ寝てしまおうかと思案しているころ、クラス中がどよめいた。何事かと声のするほうを見ると、碇君がクラス中の子に囲まれていた。わたしにとってはやり直しの授業のせいでまったく見ていなかったディスプレイには、校則違反のインスタント・メッセンジャーの会話が表示されていた。


『ホントなんでしょ? Y/N■』

『YES』


あの時のように叫ぼうか、とも思ったけれど、結局は面倒になって、教室の声など気にせず自分の話を続ける先生を見た。ほんとうに全く気にしていないようだった。その顔にはしょうがないなあ、という苦笑だけ浮かんでいる。

……そうか。大人はみんな何となく分かっているんだ。どうせこんな平和、いつまでも続くはずないんだ、って。

わたしがまさに今ここにいるみたいに。

あの先生を見習いたい、と少し思った。規則や周りのことばかり考える人間じゃなくて、ちゃんと自分の置かれている状況を理解して、自分のしたいことを好きにやる人間になりたい。

まあ、状況の理解だけなら、わたしはきっと他の誰よりできるはずだけど。


そう。

この後碇君は質問攻めにあう。それにいい気になってへらへら笑って答えていると、鈴原が屋上に呼び出して、殴る(らしい)、それで、その後に……え?


「使徒」が来たんじゃなかったっけ?


「……ッッ!?」

わたしは急いで学級日誌を確認した。この前避難した日は……一週間前?

こんなに早かった?


わたしは頑張って思い出してみた。ほんとうなら一年も前のことを思い出すのは難しいけれど、そこは学級委員、カレンダーとにらめっこしている時間はどのクラスメイトより多いのだ。


いや、おかしい。やっぱり、早すぎる。

いつか、避難した日の間隔を計算してみたことがある。テスト勉強が捗らないからその暇つぶしにやったことだったけれど、そこでわたしはあることに気づいていた。

いつも「使徒」が来るのは、前来たときの一、二ヶ月くらい後だったのだ。アスカがここ以外で倒したっていう、溶岩の中にいる虫(アスカの話には真剣味があったけど、わたしはどうも信じられなかった)のような使徒とか、「前」の鈴原が……怪我をしてしまった原因になったようなものも入れれば、もっと近いのかもしれない。そのへんは、よくわからないけれど。


それでも、月に四回も五回も避難したことは、なかったはず。


なら……どういうこと?


わたしはウィンドウを閉じて、声のするほうを見た。騒がしいクラスメイトの団子の中で、相変わらず碇君は質問攻めにあっている。教卓のほうへ目を向けると、先生は既にわたしの挨拶を待たずに帰ってしまっていた。

「……え?」

そしてまた視線を教室の後ろへと戻したわたしは、違和感のある風景を目にした。


鈴原が碇君に頭を下げていた。


「ほんま、すまんかった! 家の妹がじゃましたばっかりに、お前が苦労したゆうて聞いて、気になっとってん。ほんま、すまん。妹にはワイのほうからよう言うとくさかいに、堪忍したってくれ!」

鈴原はそういうと、戸惑い顔の碇君に深々と頭を下げた。


そうか。

わたしがしたことで、この世界は変わっていっているんだ。鈴原は休まずに学校に来ているし、この世界の碇君が鈴原に殴られる理由は何もない。どうして碇君の正体がばれるのが早まったのかはわからないけど、そもそもわからないことだらけだもの、そんなものだ、と納得するしかない。

納得したからといって、何が変わるわけでもないけど。

視線の先では、碇君が慌てた顔をして鈴原に話しかけている。鈴原は碇君が何度も呼びかけてからやっと顔を上げた。それを他のクラスメイトが「かっこいい!」などとはやし立てる。

みんなのまん中にいる碇君は、はにかみながら笑っていた。

……ふうん、良かったじゃない、碇君。友達ができて。


わたしはそれきり興味を失って、また視線を端末に戻した。


このときの自分の認識が甘かったことを、わたしはしばらく後に知ることになる。

彼女は世界の端っこで

第6話
「(どうでも)いい人」

碇君は孤立していた。

わたしがそのことに気づいたのは、あれから数日間の大騒ぎのさらにしばらく後、昼休みにふと碇君のほうを見たときだった。

「やあっと午前しゅーりょー」

「でも次の英語小テストあるとか言ってなかった?」

「マジ? うげー」

口々に言い合い、男の子たちが席を立つ。碇君は彼らのほうに視線を向ける――けれども。

「お前弁当?」

「いや、今日はパン食」

「んじゃ、買いに行こう。早く行かないと売り切れるぞ購買」

そう言い合って教室の外へ出て行く彼らが碇君に声を掛けることは、なかった。


どういうことだろう?


わたしは一瞬疑問に思った。けれど、すぐにその理由に気づいた。

要するに碇君は飽きられてしまったのだった。いくらこの街を救った英雄であっても、話の持ち合わせはそれほどない。碇君は所詮、この街に来たばかりでいきなり何もわからずに乗っただけの、ただの中学生なのだ。

碇君からパイロットを取ったら何が残る?

ただの暗い、ちょっと中性的なだけのなよなよした男の子だ。アスカが、なよなよしてみじめったらしいと罵倒していた、男の子だ。

そして、ロボット人気にあやかっただけでろくに友達作りなどしていなかったらしい碇君は、その一過性の人気が収まると同時に、当然のようにクラスから孤立していった――と、そういうことなのだろう。

そこにいたのはわたしが覚えている通りの、誰とも話さない根暗な碇君だった。「前」の今頃と同じ、相田や鈴原とも仲良くなくて、アスカや綾波さんとも話さない碇君だ。


わたしはしばらく碇君とその周りを観察した。みんな今でも表面的には碇君と仲がいい。軽い挨拶を交わし、そして各々の友達とどこかへ去っていく。

碇君は一生懸命話しかけようとして、でもみんなのやんわりとした拒絶の態度に、そのたびに口をつぐんでしまっていた。悪い人間じゃないから、嫌いなわけではない。でも、友達じゃない。

そんな、どうでもいい人。

……なあんだ、結局、そうなるんだ。

一瞬、そう考えた後。

わたしは自分の中からそんな乾いた感想しか出てこないということが、怖くなった。

最近はなんでもそうだ。誰かが泣くことも、誰かが笑うことも、日々のニュースにも、見知ったことをなぞる日々の中で何もかもに無関心になっていってる。碇君を笑えない。わたしだって、じょじょに女の子のグループから孤立している。今はまだこれまでの「委員長」のイメージに守られているけれど、このままいけば「あいつはスカしてる」なんて影口を叩かれたりする日も、そう遠くないと思う。

たとえそう言われてしまってもわたしは何も言い返すことなどできないだろう。

だって今、碇君の状況が悪くなっていくのを見たわたしは楽しみさえ感じている。

わたしはこんなに嫌な人間だったんだろうか?

このままでは、まるで内側から腐っていくみたいにどんどん駄目になっていってしまう気がした。


そう、どんどん、足が早い魚が切り口から腐っていくように。加速度的に。足元から何か這い上がってくるみたいに、どんどんわたしは腐る。

次の日の朝、わたしはそんな悪夢とともに目覚めた。


だからかもしれない。

わたしが嫌いなはずの、孤独な碇君に、孤独になりつつあるわたしは話しかけていた。

ほんの少しでも、いい人間になりたくて――ほんの少しでも、楽になりたくて。


きっかけはほんの些細なことだった。

教室にいたくないわたしが最近良く行く校舎の屋上、そこにたまたま碇君がやってきたのだ。

そっとドアを開け、わたしに気づかず大きく深呼吸して目を閉じた碇君は、目を開けてわたしを見たとたん、ひっ、と小さく息を飲んだ。

ムッときたわたしは、思わずキャラじゃない言葉で言い返していた。

「そんなに怖がらなくてもいいじゃないの」

「ほ、洞木さん……」

碇君は最後に話したときとは打って変わっておどおどした目でわたしを見た。

何かに怯えているみたいな目。すくんだ気持ちが伝染して、わたしまで動けなくなってしまうような、嫌な目。

でも、ここで話を止めれば、もう決してわたしは碇君と話をすることはないだろう。

そう思うと、向こうが今にも逃げ出したいような目をしているにもかかわらず、わたしは口をつぐんだ碇君にもう一度話しかけていた。

「どうしたの?」

「いや、あの……えっと」

「何?」

問い詰める口調になる。駄目、これじゃ逆効果だ。

「……どうしたの?」

わたしは猫なで声を出して、こけて泣き出した子を保健室に連れて行くための害のない笑顔で碇君に笑いかけた。

けれど、その時の碇君は、わたしにはわからない表情をした。

碇君は、泣き顔のような、笑い顔のような、戸惑い顔のような、わたしには言い表しにくい奇妙な表情をした。


どうして、そんな顔をするんだろう?


「ねえ……」

わたしの言葉は、中途で途切れた。

ドアが開いたからだ。

のろのろとドアが開いたその向こうからのぞいたのは蒼い髪。

綾波さんだった。

何も言えない碇君に、綾波さんはあの医者のお姉さんのように冷淡に告げた。

「非常召集。先、行くから」

それだけ言うと、綾波さんはそれこそ幽霊が障子の隙間でもすり抜けるように、すいっとドアの隙間へと消えた。

碇君はわたしを見た。

「……行ったら?」わたしはそう言って、少し考え……もう一言、付け足すことにした。

「頑張ってね」


碇君は走り去り、アナウンスが校内に響く。わたしがもう辞めたいと思っても、委員長の仕事は学期中は辞められないし、わたしの中の委員長体質もそうやすやすとは消えてくれない。

わたしは鉄でできた手すりの向こう、校門の前で黒塗りの車に乗り込む綾波さんを見届けると、教室へ向け精一杯ゆっくりと歩いた。

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