「二列に並んで整列してくださーい」

いつものように教室を出て、いつものようにシェルターへ。そしていつものように整列を済ませる。投げやりなわたしの身体はそれでも委員長としての習慣に従って動き、いつものようにみんなをシェルターに先導した。

もう身体が覚えてしまった流れ作業。

それをこなし終わるとわたしはまた一人、殺風景な建材がむき出しの壁を見ていた。

なんだか憎らしい。

間違いなく自分の身体なのに、まるで自分の身体じゃないみたいだ。なんだか自分じゃない他の人の身体と運命に無理やり押し込まれてしまったみたいな変な感じがした。

……どうして、こんなところにいるんだろう。わからない。考えたって、答えなんか出ない。

前と同じように黒い感情が沸いてくる。

わたしがいったい何をした?

こんな羽目に二度も遭うほど悪い人間?


今のわたしは、その疑問に、違う、とは答えられないような気がした。


……ああ、戻りたい。

もう終わってしまっただろうあの世界のことも、きっと終わってしまうこの世界のことも、光と熱になって消えたあの街のことも、同じようになくなっちゃうだろうこの街のことも、なあんにも知らないで委員長をやっていられたあのころに、戻りたいなぁ。


小さいころに見たものを思い出す子供のように、わたしはそんなことを考えた。

でも、わたしをここに連れてきた何かは、わたしをそんな感傷にも浸らせてくれないらしい。


「……長……」

自分の中へと意識が向いていて聞き逃した声に気づき、わたしは振り向いた。

そこには鈴原がいた。最近避けてるせいなのか、何だかびくびくしている。

何か、嫌な予感がする。

訊きたくない。

けれど憎らしいわたしの口は、留守番電話みたいに勝手にそれなりの答えを返す。

「あ、ごめん鈴原、聞き逃しちゃった」

ちゃった、だって。馬鹿じゃないの?

「せやから、わしら、便所や」

なんだ、トイレか。

そして、いつものように考える。「前」はなんて言ったんだっけ? あ、そうか。

「もう! ちゃんと先に済ませときなさいよ!」

そう、だいたいこんな感じ。

「すまんなぁ」

鈴原はそう言うと、相田と一緒にハッチを開け、廊下へと出て行ってくれた。


……待てよ?


「前」は? 「前」は……あ。


わたしはそのことを思いつくと同時に、もう二人を追いかけ始めていた。

幸いにも、わたしが走って廊下に出たとき、二人は歩き出したところだった。

「な、なんやねん委員長!? 言い残したことでもあるんか」

鈴原が面白いくらい焦る。やっぱりだ、何か、後ろめたいことがあるんだ。

「わ、わたしも行くのよ」

「はあ? お、女と連れションする趣味ないで」

……やっぱり。鈴原の顔が見る見る引きつって、声がますます上ずっている。

しかし、それを隣からフォローする声があった。

「ばーか、委員長もトイレって事だろ? トウジぃ、お前、そういう趣味でもあるの?」

相田だ。笑いながら鈴原の肩を叩き、そのまま歩き出す。

「じゃ、委員長。そーゆー事だから」

「あ、あの……」

何も言えぬまま、二人はつかつかと廊下へと消える。

「ちょっと!」と言いかけたわたしの肩を、誰かが叩いた。

「洞木さん」

「はっ、はいっ!?」

なんだか怪訝な顔をした先生がそのまま続ける。

「あー、洞木さん。点呼がまだのようだね。全員いるとは思うが、一応念のために確認しておいてくれ」

しめた、と思った。わたしは精一杯清純な委員長のふりをして、先生に言った。

「あ、あの……鈴原と相田が、トイレに行ったまま帰ってこないんですけど……」

もちろん、正確じゃない。まだ二人は出て行ったばかり、帰ってくるとしても、それはもう少し先になるはず。


でも、わたしは、二人が帰ってこないのを「知っている」


だからわたしは――あれ? なんでわたし、こんな一生懸命になってるんだろう?

少しもいいことなんかなかったのに。鈴原に引っ張られて、あんな怖いめにあって、なのにあんな変なものを見るような目で見られた。それに、碇君もわたしを怯えたような目で見て、わたしは何もかもどうでもいいような嫌な人間になってしまって、なのに――

「あー。そうか。ちょっと待っていなさい」

そう言ってトイレに向かって歩き出す先生の後を、わたしは少し距離を開けて歩き出した。


どうしようか。


わたしが、外に出る?


……何のために?


どうせ、二人は死んだりしない。


じゃあ、わたしはここで待ってればそれでいいんじゃないか?


自問自答をしても、歩みは止まらない。

前を歩く先生が男子トイレに入る。廊下の影に隠れていたわたしは、大した考えもなく反射的に女子トイレに隠れた。

個室のドアを閉めて、カギをかける。

かちゃり。軽めのカギの音がして、あたりはしんと静かになった。


そして――小さな、地響き。


どうしよう?


わたしは碇君やアスカとは違うのよ。


どうしよう。


このまま待っていれば、恐らく二人は出て行く。


どうしよう?


でも、きっと、二人は無事で、怒られて帰ってくるだけ。


そう、それだけ。


一人分の足音が遠ざかっていく。


だいじょうぶ、それだけのことよ。


さっきとは違う足音が二つ、今度は違う方向に遠ざかっていくのが聞こえた。


わたしが行くことなんかない。どうせ何もない。「前」と同じように――




――――ほんとうに、そうなるか?

彼女は世界の端っこで

第7話
「追う女」

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」

わたしは走っていた。規則的な息を吐きながら、必死に二人の馬鹿を追う。入ったのとは別のハッチに向かって続く、長い廊下をひたすらに走る。

わたしは何をしているのか?

当然、二人の後を追っている。

なぜなのか?

わからない。そう、わからないから、追いかけている。どうなるかなんて、わからない。もうわたしは、この世界を変えてしまっている。鈴原の妹さんを助けたときに――もしかすると、あの日、買い物袋を落として卵を割ってしまったときからもう既にわたしは、この世界を変えてしまっている。

「前」と同じように行く保証なんて、どこにもない。


そして――そして、もし、「今度」二人に何かあったら――それは、わたしの責任だ。


怖い思いはしたくない、でも、嫌な思いはもっとしたくない、悲しい思いは、もっとずっとしたくない。

だから、わたしは二人を追う。

廊下の端、電灯の明かりしかないはずの場所に光が差し込んでいた。少しずつ光の筋は細く、暗くなっていく。

駄目だ、もし閉まっちゃったら、わたし一人の手では、もう開かない。

「待って!」

わたしは叫んで、閉まりかけたハッチに無理やり足を捻じ込んだ。

「委員長!?」

ドアの外から声がする。あれは、相田の声。

「開けなさい」

「委員長、何でここに……」

「開けなさいよぉっっ!!」

わたしは半泣きで叫んだ。シェルターのハッチはとんでもなく重い。脚がハッチに挟まって、腿の肉の形が、ゆっくりと歪んでいく。


あ、駄目……痛い。痛い!


鈍い痛みが、ゆっくり鋭くなっていく。


あ……あ……あ……あぁ!


「ちょ、おい! トウジ、手伝って! 委員長が潰れるぞ!」

「何で委員長がおるんや!」

「俺だってわかんないよ!」

さっきまで興奮していてわからなかった痛みが、段々はっきりとわたしを襲う。

痛い。めりめりと脚が潰れるみたいな感触。駄目……いやだ……!

「た、助けてぇ!」

わたしは目に涙をにじませて、金切り声で叫んでいた。

「ケンスケ、行くで!」

「ああ、イチ、ニィの……」

「サン!」


二人がハッチを支えて広げた隙間からわたしは外に躍り出た。

脚が痛む。泣いたので頬は真っ赤だ。声も鼻声。

でも、ここでおめおめ引き下がっては、駄目だ。でないと、わたしがここに来たのには何の意味もなくなる。

「委員長!」

珍しく相田が声を荒げてわたしを見た。

「どうしてこんな無茶――」

「あなたたちこそ、何するつもりだったのよ」

わたしの鼻声の言葉に、相田がしまった、という顔をした。

すかさず追い討ちをかける。

「委員長として気になって見に来てみれば二人して外に出てる! いったい何するつもりだったのよ! 外は危ないってわかってるんでしょ?」

嘘八百を並べ立て、自分を正義の味方に仕立て上げる。

「それは……」

「そんなもん委員長に関係あるかい!」

えっ?

隣から口を挟んだのは、当然だけど鈴原だった。

「ほんなもんワシらの勝手じゃ! それに、この前も大丈夫やったやないかい。な、せやな、ケンスケ?」

「あ……ああ」

相田はその口調にたじろいだみたいで、言われるままに頷く。何? この剣幕。いったい、どうしちゃったんだろう?

「せやから……ワシらのことは放っとけや、委員長!」

そう言い切ると、鈴原は、


階段を駆け上がって。


「おい、あ、待てよ、そっちは危ないって!?」

相田が慌てて言うけれど、鈴原はなおも駆け上がる。

すると、チッ、とひとつ舌打ちをして、相田も鈴原を追いかけて駆けていってしまった。

男の子の足には到底敵わない。どんどん差を空けられて、結局わたしだけがその場に残された。

上がる息。

脚に走る、痛み。

そうだ。階段を登りきれないのは、体力の問題だけじゃない。短時間に色々なことが起こったせい? 起こったこと起こったこと、どれも頭を素通りしていくような。


――あれ、わたしはどうして二人を追いかけていたんだっけ?


――ふと、顔に影が差す。

半端に登った石段にも。

くっきりとした影。

振り返った向こう、街の方には、あの日と同じような、紫色の巨大な――エヴァンゲリオンが――

何故か、空に。


頭がまっしろになった。


――――――!!


ち、ちちちちょっと待って待って待って!

でも待ったなし。叫ぶ間もなく轟音があたりに響く。もし耳を塞いでいなかったならきっと鼓膜が破れていただろう。


割れた石段のいくつかが降ってくる。


「きゃああああああ!」


ちょっと待ってよ。


そして階段の上、鳥居の向こう、光る大きな――


なによこれ、なによこれ、なによこれ。


何か考えようにも、考えられない。

どうにか動こうとしても、腰が抜けちゃったみたいで動けない。

何やってるんだ。わたし。

こんなの……まるで足でまといじゃないか!

「す、鈴原! 相田!」

精一杯声を出すけれど、さっき叫び終わったっきり喉が干上がってしまったみたいに渇いて、いつもの半分の声も出ない。

あたりに響き続ける轟音に、稲妻みたいなばちばちいう音に、勝てるわけない。

そして。

わたしのかすれた声よりずっと大きな音――声が、辺りに響いた。

「あなたたち! 乗って! 早く!」

「か……葛城……さん?」

わたしの知ってるのとはまるで違う声だったけれど、それは葛城さんの声だった。

しかし、こちらは気づいていても、向こうは気づいていない。葛城さんが話しかけているのは、たぶん、鈴原と相田だ。

その直後、鈴原たちが例のエヴァンゲリオンの背中、白い筒の中に入っていくところが見えた。


ああ、良かった。二人は、無事だったんだ。


二人は。


……わたしは?

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