「あれ、何?」

避難警報が解除された後、表に出たわたしの視界に入ったのは、大きな青い、巨大なクリスタルみたいなものだった。

……「飛行石」?


街のまん中に、大きな石の塊がぬぼーっと浮かんでいる。

青くて綺麗で場違いな塊は、美術の教科書に載っていた、マグリットの絵みたいだった。

……良かった。前のよりは、大丈夫そう。


「ただいまー」

「おかえりー」

最近やっと慣れてきた、知ってるより少しだけ幼くなってるノゾミの声。ああ、ちゃんと家に帰ってたんだ。ノゾミのことだから危ないことはない、大丈夫だろうとは思っていても、やっぱりちょっとほっとした。

「見た?」

靴を脱ぐか脱がないかのうちに、ノゾミはわたしに訊いてきた。

「何を?」

「何かあるんでしょ? 街に」

わたしは無関心を装って訊きかえした。

「何が?」

わたしが何も知らないと思ったらしいノゾミは、大げさな声で「なーんだ、お姉ちゃんも見てないんだ〜」と言って、わたしの質問には答えずに階段を上り始めた。そして、階段の途中でわたしのほうを振り返る。

「学校サボって街にいた子が見たんだって、街のど真ん中にでっかい石みたいなのが浮いてるの。『ラピュタ』みたいだったらしいよ。きらきらしてすごい綺麗だったって。結局、その後避難警報出てロボットが戦ってるのは見れなかったらしいんだけど。あ。そだ、お姉ちゃん、さっき緊急連絡網が回ってきたんだけど、街のほう、立ち入り禁止になっちゃってるみたいだから」

早口でそれだけ言い終わると、ノゾミはぺたぺたと階段を上っていった。

そう。こんな感じで、使徒とエヴァンゲリオンのことは、この街では公然の秘密、という感じ。ネルフの関係者が多い街だからテレビの取材なんかに答える人はいないけれど(後が怖いし)、人の口に戸は立てられない。

わたしは友達がパイロットだということは内緒にしている。ばれるのは時間の問題だと思うけど、一応。

……あ。

「ちょっとノゾミ! ちゃんとスリッパはきなさいよ!」

「お姉ちゃんだってはいてないじゃん」

ノゾミはそう言うと、わたしが次の言葉を言う前に、自分の部屋に入ってしまった。

まったくもう。

わたしは一年前の悪ガキに戻ってしまった妹にため息をつきながらリビングに入った。


「番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします」

ん?

わたしは宿題の手を休めてテレビを見た。

「本日、午後十一時三十分より明日未明に掛けて、全国で大規模な停電があります。皆様のご協力を、よろしくお願いします」

ああ、あったなあ、そんなの。

「前」は、夕方から避難して、家に帰って来たのがすごく遅くなったはずだ。

ああ、じゃあ、今日は学校も――

電話が掛かってきたのは、休校だったんだ、と言うところまで思いついた、そのときだった。

わたしは急いでリビングまで降りて電話を取った。まったく、自分のほうが近いんだから取ってくれればいいのに、ノゾミも。

しかし、電話を取ったのがわたしで正解だった。

電話の向こうからの声は鈴原のものだったからだ。


夕方六時、壱中屋上。わたしはそこで数人の男の子たちに混ざって街を眺めていた。

「何で言ったんだよ?」

「……」

わたしのすぐ横で、鈴原と相田は軽く喧嘩になりそうな空気。わたしのせいだ。規則破りの男子だけの集まりに、よりによって委員長を呼ぶなんて――相田はそう言って鈴原に詰め寄ろうとした。

わたしは慌てて二人の間に入った。

「ご、ごめんね。大丈夫、誰にも言わないから、ホントに」

相田はいかにもうさんくさそうな目で、わたしを見た。小さく首を傾げながら、呟く。

「……あのさー、委員長」

「何?」

その会話は、他の子によって遮られた。

「それにしてもさあ、委員長ってお堅いと思ってたけどそうでもないんだな。率先してこんなとこ来るなんて。今日も午後休校だったけど、午前って学校サボったんだろ?」

「そーそー。あれじゃん、碇とも仲いーしさ。何? 付き合ったりしてんの?」

「ち、違うわよっ」

「……でも、委員長ってその辺から、なんか雰囲気変わった感じだし」

う。

……確かに、それまでのわたしの行動から見れば、最近のわたし、今日のサボり、ここにきたこと……どれも、おかしい。

うさんくさそうな相田の視線も、そのせいか。

無理もない。でも、わたしには笑ってごまかすくらいしかできない。もう学校の勉強とか仕事にはそんなに興味が持てないし、規則を守るっていう気もそれほどなくなっちゃったから、今はこっちが素みたいなものなんだけど――それを説明することは、できないから。

「……ねえ、ほんとうに来るの?」

やっぱりうまい答えを思いつかなかったわたしは、相田にそう質問してお茶を濁した。

「絶対に来るさ。……パパのデータをちょろまかしたんだ」

「しゃあけど、出て来ぇへんで? もう避難せなあかん時間やで? えらい遅いなあ」

相田のミョーに自信満々の発言に、鈴原が疑わしそうな口調で言う。

「もうちょっとだよ。もうちょっと……ほら」

鳥の鳴く音が聞こえた。


ぐおおぉ…………ん。


……や、山が、動いた。

そりゃあ、ビルが浮き沈みする街に住んでるんだし、たいていの移動モノには驚かない自信はあるけど。

まさか、山が動くとは思わなかった。

みんなも、一斉に「おおっ!」という歓声を上げた。

「すげえ! エヴァンゲリオンだ!」

夕焼けの中現れたその巨人二人は、やっぱり壮観だった。

「頑張れよー」

「頼むぜー」

「行けー」

「ごー!」

周りにいた男の子達は、口々に声を上げた。

わたしはそんなに楽しげな声を出す気にはならなかったけど、小さく、唱えた。

「……頑張ってね」

「なあ、委員長」

え?

小さく声を掛けてきたのは鈴原だった。最後に話したのはもう、ずいぶん前。

「前は……すまんかったな」

「ああ。いいわよ、もう」

「……転校生」

「碇君が、どうしたの?」

「うん、あんじょうしたってや。ワシ、あんまりあいつと、仲ようできんらしいねや、せやから、な」

その言葉を聞いて、わたしは言葉に詰まった。

「前」は、あんなに仲が良かったのに。

「ちょっと……」

わたしは最後まで言葉を続けられなかった。

「頑張れやー! あないなワケわからんモン、いてもうたれー!」

わたしの声を無視してそう叫んだ鈴原の顔には、もうさっきの悲しげな表情は微塵もなかった。

彼女は世界の端っこで

第10話
「暗い夜、死地へ」

シェルターに入って、ノゾミとお姉ちゃんを探す。え、と……

「ヒカリ」

「わひっ!?」

「……何、妙な声出してるの、あんた」

「後ろから声掛けるからじゃないのよぉ」

……なんだ、お姉ちゃんか。さっき規則を破って避難時間になっても外にいたせいで、ちょっと過敏になってしまっている。バレなきゃ、別に怒られやしないんだけどね。

まだまだ、臆病な委員長体質は抜けない。

「なーにを。後ろめたいことがあるからビビんのよ。男だか何だかわかんないけど、気いつけなさいよ? ただでさえ最近……あ」

あ。

暗い。

部屋中の電気が落ち、真っ暗になった。

お姉ちゃんはチッと小さく舌打ちをすると、わたしの手を取った。

「ほら、こっち」

お姉ちゃんが暗闇の中をずんずん進む。お姉ちゃんはこういう状況にはけっこう強くて、お化け屋敷でもひとりでずんずん進む性質だ。いつもは迷惑だけど、こういうときは、ありがたい。

お姉ちゃんの温かい手に引かれて、わたしはノゾミの待つシートにたどり着いた。


それから、避難は始まった。とはいえ、「前」と同じで、真っ暗闇の中、ただぼうっと時間を過ごすだけだ。

周りが真っ暗だと、自然と声も物音も小さくなってしまう。暗いシェルターに静寂が降りて、たくさんの人のごそごそいう衣擦れの音と、息遣いだけが聞こえる。

ノゾミはわたしの肩をとんとん、と叩き、小声で訊いた。

「お姉ちゃん。どこ行ってたの?」

当然の疑問、わたしは焦らず用意していた通りの答えを返した。

「ん? 学校のことでちょっとね」

ノゾミはわたしを疑わしそうな目で(たぶん)見て、もそもそと何か取り出した。

「何?」

「ケータイ」

ノゾミがボタンを押すと、真っ暗だった室内にわたしとノゾミ、お姉ちゃんの顔が浮かび上がった。

さっきから黙っていたお姉ちゃんはノゾミに訊ねた。

「あ、ちょっと見せて、今何時?」

ノゾミは「自分の見ればいいじゃん」とかぶつぶつ言いながらも、お姉ちゃんに携帯の画面を向けた。

わたしも一緒に覗く。

10:00

十時か……まだまだね。

まだまだ、か。

わたしは不意に、ここに着いてからしばらく思考の外にあった碇君と綾波さんのことを思い起こした。

今、二人は何をしているんだろう?

きっと、作戦か何かで、闘いの準備をしているんだろう。いや、もしかすると、もう戦っているのかもしれない。

……そうだ。

「今回」もうまく行く保証など、どこにもないんだった。

急に不安になった。心配も。……ああ、こうやって不安が先立つのが自分勝手なわたしの限界なんだろうか。


この暗い夜の中で、誰も知らない死地へ向かわなければならない二人。

二人はそこで、どんなふうに戦っているのだろう? わたしの知らない場所で。


「ねえ」

しばらく経って、お姉ちゃんがわたしを揺り起こした。ノゾミはもうすやすや寝息を立てていて、わたしも寝入りそうになったころだった。

「ん……なに……?」

「ほら……聴こえない?」

お姉ちゃんはそう言うと口を閉じた。そして静寂が広がり――小さな振動が、聴こえた。

ごごん……ごごん……


――ああ、始まったんだ。

お願い。二人とも……死なないで。

そんなふうにどことなく嘘っぽい祈りを捧げて、わたしはその小さな音をずっと聴き続けた。

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