断われなかった。
「全く、持つべきものは友達だ、な? シンジ」
相田は軍隊モノ? のベストとズボンで、もうノリノリでビデオを撮り続けている。
「ごり押ししといて……」
隣の碇君は、少々呆れ顔。
「まあまあ、そっちはいいとして、毎日山の中じゃいい女が腐っちゃうじゃない? ね? 洞木さん?」
振り向いてそう言う葛城さんは、茶目っ気たっぷりの顔でわたしを見る。
「え、あ、ハイ……」
間抜けな答えを返すわたしが、碇君の隣の席にいた。
ここにいるのは、あの日屋上にいたメンバーだ。その内、綾波さんを除いた三人がこうして新しいパイロットを迎えに来ることになった。
当の綾波さんはと言えば「私は、本部に残る必要があるから」と言って、そうそうにこの話から降りてしまった。そしてわたしのほうは、断わる理由もなく、ここにこうして座っている。
きっと「前」だったらきっと鈴原が座っていただろう、この位置に。
「でも、洞木さんがいてくれて助かったわ」
「どうしてですか?」
一応、訊く。でも、何となく答えはわかる。
「いやね、新しく配置されるパイロットの子ってのがさ、女の子なのよね」
「女の子ですか? 同い年の?」
碇君が少し首をかしげた。やっぱり、気になるのかな、女の子だと。……確かに、気になるだろう。自分と同い年で、外国から来て、しかも、ロボットのパイロット、だなんて。それに――それ以外も。
葛城さんがにやり、と笑ってそんな碇君を茶化した。
「あっらあ? シンジ君、気になる? 洞木さんがい・る・の・に」
えっ!?
「そ、そんなんじゃ……」
碇君が口ごもる。……どう反応していいものやら。
しかし、葛城さんはそれもネタの一つとばかり、あっさりと話を切り替えた。
「とまあ冗談はさておいて、私とシンジ君だけで迎えに来るってのも、ちょっと、って思ってた所だから。本当にありがとう、洞木さん、相田君も」
「……はい」
感謝の言葉を口にする葛城さんを、真っ直ぐ見れなかった。
ヘリは洋上を滑るように飛ぶ。ヘリって言ったらもっと揺れるものだと思っていたのに、そんなことはなかった。
そしてそんな風に静かだと、わたしは自分の世界に潜って行ってしまう。
アスカ。
わたしはただ見てるだけしかできなかった。覚えている。わたしの家に泊まりに来たときの憔悴しきった顔。憑かれるみたいにゲームをし続けていたときの、虚ろな表情。背中合わせで眠った夜中、ひとりで肩を震わせて泣いていたこと。
「よくやったと思う」そんな当たり障りのない言葉しか掛けられなかった。アスカが背負っていたものなど、何にもわかってはあげられなかったのだ。
そして今、もう一度わたしはアスカと出会う。
どうすればいいんだろう?
また、あの疑問が頭を過ぎる。
わたしが今から会うアスカは、あのアスカなのか?
駄目。
わたしは考えずにおこうとした。
あのときに襲われた別の恐怖を、死の恐怖を隠れ蓑にして、深く考えずに頭の中で凍らせておいたように。
お姉ちゃんを、ノゾミを、お父さんを、碇君を、鈴原を、相田を、綾波さんを、わたしが知っている彼らだとみなしたように。
わたしがもといた場所にいた、憔悴していたお姉ちゃんを、少し背が伸びたノゾミを、忙しそうにしていたお父さんを、傷ついた碇君を、足の無くなった鈴原を、荒んだ相田を、知らない人のようだった綾波さんを頭から追い出し、考えることを止めたように。
――ああ、駄目だ。どうしても、考えることを止められない。
もとの場所にいた人々は、今(?)、どうしているのか? みんなの時間は止まってしまったのか?
そして――ここにいるわたしは、あのわたしと同じわたしなのか?
過去に戻ってきている?
そんな馬鹿な。今なら分かる。この身体は、中学二年生のときのわたしの身体だ。
ここに初めからいたはずのわたしはどこに行った?
もとの場所にいるはずのわたしはどうなっている?
ここにいるわたしは、誰?
ここにいるみんなは、誰?
――頭がおかしくなりそう。
「大丈夫? 洞木さん。顔、青いよ?」
かけられた声で、ふと現実に引き戻される。ここはどこ? わたしはだれ? まるで記憶喪失にでもなったみたいに、自分がなんなのか、どこにいるのかがわからない。
「え……碇、君?」
「ほんとに大丈夫? ――ミサトさん」
「……洞木さん? 気分悪い?」
「委員長?」
碇君、葛城さん、相田。
合計六つの目に見つめられて、わたしはますます自分の所在がわからなくなった。
けれど、そのまま見つめられ続けるのは耐えられない。
だからわたしは答えた。
「あ、いえ……あの、ちょっと寝ぼけてただけなんです。昨日眠れなくて。ごめんなさい、ちょっと、寝ていいですか?」
言いながら、その言葉でみんながわたしへの興味を失ってくれること、そして、次に起きたときには、自分が自分なのか、他人が他人なのか、そんな面倒なことを考えずに済むことを願っていた。
相田、葛城さん、碇君、そして、わたしの前に、彼女が立つ。
わたしは目を伏せた。
「ヘロウ! ミサト! 元気してた?」
聞き覚えのある声、でも、わたしが最後に聞いたのとはまるで違う、明るい、自信いっぱいの声。
「まあね。あなたも、背、伸びたんじゃない?」
葛城さんの少しほっとしたような声。
「そ。他のところもちゃーんと……、ね、ミサト」
聞き覚えのある声が、少し、不安げになる。
「なに?」
「それみんなチルドレン? そのメガネの奴と、冴えない奴と、下向いてるそこのソバカス女。あたし、日本のチルドレンはふたりって聞いてるんだけど」
その声で、碇君が軽くムッとした調子でわたしに言った。
「? 洞木さん、大丈夫?」
「え? ああ、大丈夫、ちょっと目にゴミが入っただけ」
ひゅおう、と一陣の風が吹く中、葛城さんは苦笑しつつ答えた。
「まあまあ、まず、あなたの紹介からね。――紹介するわ、エヴァンゲリオン弐号機、専属パイロット、セカンド・チルドレン」
わたしは顔を上げた。
「惣流・アスカ・ラングレーよ」
――ああ。
そこには、アスカがいた。見たことのある、目が覚めるようなレモン・イエローのワンピースを着て、挑戦的に腰に手を当てて。
「……アスカ」
呟いた声で、彼女はわたしの方を一瞬見た。その顔をまともに見ることができなくて、わたしはまた少し目を伏せた。
こつこつと靴の音を響かせながら、彼女は自信満々で近づいてきた。
「で? 噂のサード・チルドレンはどれ? ゼロのパイロットは女って聞いてるけど、そっちもいるわけ?」
「いえ、レイは今、本部で待機中。ここに来たチルドレンは、この子よ」
ふうーん?
じとっとした視線で、彼女は碇君を見る。
「……やっぱ、冴えないわね。ね、ミサト、横の子って、こいつの彼女なわけ?」
「そうなの?」
軽い調子で、葛城さんが訊く。
「……うるさいな」
かなりイライラした声だった。ふと、半そでのシャツから伸びる腕と、その先にある手が目に留まる。
碇君の手はせわしなく、開いたり、閉じたりを繰り返していた。
けれど、彼女はさらに続けた。
「ふうーん? 否定しないんだ?」
わたしのほうに視線が向いたのがわかった。
顔を上げた。
……やっぱり、アスカだ。でも……
品定めするような視線がわたしの上をなめる。
わたしは腕組みをする彼女の前で、何も言えずにただ突っ立っていた。
やがて彼女は言った。
「彼氏が彼氏なら彼女も彼女よね、カップルで揃って冴えない顔、してるわ」
その言葉に傷ついたわけではなかった。そんな場合じゃなかった。
ただそのとき、わたしは、どうしたらいいかもうわからなくなっていたのだ。
この、女の子は――アスカ? わたしの知ってるアスカの顔をしている。声をしている。性格をしている。 けど、わたしの知っていたアスカとは、違うアスカ。
一番考えたくなかったことを、鼻先に突きつけられていた。
どうすればいいの?
そのときだ。
ぞわっとする不穏な気配を感じたのは。
「――謝れ」
少しかすれた、底冷えするような嫌な声は、碇君の声だった。
「……シンジ君?」
葛城さんは、焦った声。そして目の前の彼女も、同じように。
「な、何よ。別にあたしは……」
ぎりっ。
歯を噛み締めたときの音がわたしの耳にまで届いた。
「謝れって言ってるんだよ!」
叫び声。きゅうっと、搾られたように心臓が縮まる。不穏な空気に、身体の芯が震える。潮の匂いがきつくなったように、鼻がつんとする。
怖い。
下を見た。
地面に、濃い点々があった。
……そうか、わたしは泣いてるんだ。
「謝れよ! 泣いてるじゃないか!」
「嫌よ! なんであたしが謝んなくちゃなんないわけ!?」
言い争いは続いている。
葛城さんは頭を抱えて、失敗だった、というように顔を歪めた笑い顔。
その隣の相田は、いつになく厳しい顔をしていた。
わたしが、原因だ。
わたしはそこにいるのが耐えられなかった。
だから、わたしは逃げた。
「……ごめんなさい」
言い残した言葉が二人に届いたのかどうかはわたしにはわからなかった。