「何よあの子。媚び媚びじゃない!」

――生徒Aのコメント。同意見多数。


「頭いいのにちっとも鼻にかけない。カッコいい!」

――生徒Bのコメント。生徒Aのコメントと同じく、同意見多数。


2-Aにアスカが転入して一週間と少しが経ち、女子の評価は大体その二つにまとまっていた。アスカの表面にかすかに匂う嘘くささを見抜いて反感を持ち、でもそのせいで仮面の奥にある追い詰められた心にまでは辿りつけない子たちと、アスカのプライドの高さに共感して、でもそのせいで浮かべた笑顔の嘘に気づかない子たちとが、お互いを鈍いと言い合っている。

そして、そんなことを言い合うのが嫌いなわたしはそのどちらにも曖昧な答えを返す。

みんな「前」と同じだ。

わたしが答えを返す理由は「前」と違っているけれど、誰もそんなことには気づかないだろう。

そしてきっとあのアスカも、自分の力でクラスの中に自分の居場所を作り出すのだろう。

「前」と同じに。

でも、「前」とは違ってしまったこともある。

「前」は全会一致でファンになる勢いだった男子の中に、ひとりだけ彼女に険悪な視線を向ける者がいるということ。そのたったひとりが、他ならぬ碇君であるということ。

「前」は親友になったわたしとアスカは、もう親友にはなれないだろうということ。

ほんのささいなことだ。でもたったそれだけで何もかもが違ってしまう。クラスから孤立しがちだったアスカは親友を見つけられる? 以前は同居までしていた二人は、もう上手くやってはいけないの?


――またわたしは碇君の時のように、悪い方に世界を変えてしまったのだろうか?


あの日をなかったことにしたい。

たとえ前の世界には戻れなくても、せめてもう一度あの夕焼けの日に帰れないの?

わたしは無責任にもそんなことを考え、そしてふと、もしかしたらわたしをここに連れてきた誰かがいたなら、同じようにあの結末をなかったことにしたかったのかもしれないと思った。


「一人?」

校舎裏にある狭いスペースに座って何か小さな紙片をぺたぺた繰りながら、顔も上げずに相田は訊ねた。わたしは相田に近づく足を止め、慌てて周囲を見回してから、もう一度奥まったスペースの入り口まで戻って誰もついてきていないことを確認した。

誰もいないわ、そう言ってやっと彼の前に立ったところで、相田の手にあるものがはっきり目に入った。

「それ、盗撮じゃない!」

相田が繰っていたのは女子が写っている写真だった。水着に、体操着に、教室で着替えているシーンまである。胸が見えている写真まで。――いつの間にこんな!

しかし、相田はまだあぐらをかいて下を向いたままで、ぺったりぺったり、写真を繰っていた。

そして事務的な声で答えた。

「仕事だよ。ああ、洞木は知らなかったっけか。『前』も。そりゃそうか。……まあいいや。もう止めるんだよ、意味ないし。やる気、失せたし。いきなり止めると怪しまれるから、徐々に数を減らしてる。これは前のネガからおこした奴で……ああ、一年の時の洞木の写真もあるよ、見る?」

わたしの答えなんか気にしないとばかりの投げやりさで言って、相田は写真を乱暴に袋に詰めていった。あまりに普通の顔で作業をしているので、知り合いの胸が写りそうになっている写真を見つけても怒る気にならなかった。

「いい」

わたしはしゃがんで、相田がやけに手際よく写真を袋に詰める動作を見続けた。


最後の一袋を詰め終わったあとに、やっと相田は顔を上げた。

この前とは違う不安げな表情だった。

「この前は、言い過ぎた。謝る。ごめん」

ぽつぽつと言って、あぐらを書いたまま頭を下げる。両手を拳の形にして地面につき、それはまるで昔の武士か何かのようで、相田の顔とは全く合ってなかった。

けれど、その気迫は、そうそう合っていなくもない。

「いっ、いいのよ。……事実だもん」

そう、事実だ。相田は間違っていない。わたしは、相田が「戻っている」ことにもあの時まで気づかなかった。


もちろん今なら思い当たることはある。

あの巨石が堕ちた後も、この前の化け物だって。相田は誰も知らないことを知っていた。わたしは相田の何気ない言葉にだまされてそれに気づかなかったけれど、後から考えればわかる。一般人にしか過ぎないわたしたちにだって何が起こるかわかるくらい混乱しているときならともかく、戦いが終わった後やこの前みたいに何にもないときに、相田が全部先回りして知ってるなんてこと、ありえない。

他のことだってそうだ。わたしが鈴原にばかり気を取られていなければ、ちゃんとわかったはず。

あの屋上の、言われた言葉の意味も、うさんくさそうだった視線のわけも、自信満々の口調の理由も。

それだけじゃない。そのずっと前でだって、その可能性を考えていれば気づけたはずだ。

「そっちは危ない」あんなところでそんなことを言った意味。

おかしかった。鈴原が走り出したとき、エヴァンゲリオンが飛んでくる前に相田は「そっちは危ない」と言った。

そこまでついてきておきながら。

本来なら、わたしが何もしなくても、興味津々で鈴原を引っ張り込み、あの戦いに巻き込まれていたはずの相田が。

あの舌打ちの理由、今ならわかる。あの時にはもう、相田は危ない場所がどこなのかまでわかっていたのだ。

だって、「前」にこってり搾られたのは、あの二人だったから。相田は、それを知っていたから。

小さなサイン。

けれど、気づいたっておかしくなかった。

要するにわたしは、自分のことにばかり夢中になって――

「だから、言い過ぎたって」

相田の言葉で我に返る。どれくらいのあいだ、自分の世界に入っていたのだろう。校舎に切り取られている空を見上げると、もう夕暮れのオレンジ色も薄れてきていた。

「なんか色々考えてるみたいだけど、俺だって、何にもしなかっただけなんだ。洞木とは逆でさ、俺は、何か変えて余計悪くなっちゃうのが怖かったから、その通りにしたんだ。情報を集めてから、準備ができてから――そう考えてんのにどんどん状況が変わってきちゃって、正直焦ったよ。何もしなくても、俺が何かちょっとでも違うことをするだけで、全部変わっちゃうのかよって。そしたら、もう何もできなくなってた」

だから、と相田は強く言った。

「……だから、洞木もそうなんだ、って気づいて、悔しかったんだよ。俺は何にもできなかったけど、そっちはトウジの妹も助けたし、シンジとも綾波ともちゃんと友達になってた。だから俺……」

普段から口数は多いほうだけど、今日はそれとも違って真面目な顔のまま相田は話し続けていた。いつもの饒舌な口調とはほどと遠く、少しずつ詰まりながら。

わたしは聞き続ける。それだけしかできないから。

話をつづけているうちに、相田の肩の力が少しずつ抜けていくのがわかった。

やっと、わかった。

相田も怖かったんだ。わたしと同じように。

彼女は世界の端っこで

第14話
「ペア」

「あれ?」

「誰もおらへんやないか」

「部屋、間違ってるんじゃないの?」

いや、そんなことは……

わたしはもう一度表札の掠れた字を確認した。男みたいな乱雑な字で「綾波」、確かにそう読めないこともない。それに他の部屋がここよりマシだとも思えないし、そもそも人が住んでいる気配がする部屋も、ここしかない。

「仕方ない。碇君の方、先に行きましょう」

ええ? と後ろから声が聞こえた。鈴原の声。

「ここの郵便受けに放り込んどいたらええんとちゃうん?」

わたしはどう答えようかちょっと考えていたが、その間に相田がフォローを入れた。

「見ると思う? これで」

相田が芝居がかった仕草で指差した先には、いつ入ったかわからない書類が押し込まれていた。


碇君と綾波さん、アスカにプリントを届けるためにわたしたちは歩いていた。

いや、相田とわたしにとっては、あの練習をしているであろう二人を見に行くため、だ。

だから綾波さんがいない時もわたしは大して驚かなかったし、碇君とアスカが一緒に住んでいても驚かないはずだった。

でも、結果としてわたしはびっくりして、相田と二人頭を抱えた。

もちろん、それはあの二人が一緒に住んでいるからじゃない。理由はその逆。あの二人が一緒に住んでいないからだった。

碇君の部屋は、わたしが知っている部屋――葛城さんの部屋の隣だった。

わたしがチャイムを鳴らすと、すぐにドアは開いた。碇君はあのときと同じ、妙なレオタード? を着ている。

「はい……えっ、あっ」

碇君は慌ててドアを閉める。そして、そっと隙間から顔を覗かせた。

「な、何の用?」

久しぶりに見る「らしい」仕草に、わたしはちょっと笑ってしまいそうになった。

一方、相田は違った。

「……なんだそのヘンな服? まあいいや。しばらく休んでたから、プリント持ってきたんだよ。いいなあ碇、あの葛城さんのお隣さんじゃん。ずっとこの部屋住んでんの?」

訊くべきことを、努めて「興味津々な旧友」という口調を模して訊くと、碇君は鬱陶しそうな顔をしながら身を乗り出し、ため息と共に答えた。

その目が、またちょっと攻撃的になる。

「いっとき、同居させられそうってところまで行ったんだけどね……ちょっと色々あって、隣に住むことにしたんだ」

「もったいないのお! あのたわわに実った葛城さんを目にしながら……」

鈴原がいかにも外野と言った風情で茶化す。すると碇君は、ちょっとだけ馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「そんな良いもんじゃないよ。この服だってあの人が言い出したんだ。何事も形から、だってさ。それに今はあの惣流もいるし。嫌いなんだ、彼女」

碇君は鬱憤を吐き出すように次々と言った。

相田の目が、一瞬険しくなる。そして……

「……あー……ああ! そうだ!、そういえばその惣流にも届けものがあるんだ! な、委員長?」

「……そ、そう! そうなの! 綾波さんもいないし、どうしたの?」

「ああ、そうか。ちょうどいいや。僕らもまた呼ばれたところだったんだ」

僕ら?

「それでいいかな――綾波?」

「ええ」

あれ?

碇君の後ろ、そこには。

碇君と同じデザインのレオタードをまとった、綾波さんがいた。

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