目の前に、一糸乱れぬ動きを見せるふたりがいた。

綾波さんはいつも通りの冷静さで、そして碇君は、わたしがそれまでに見たことがない真剣さで、

踊る。

いつもどこかにある「いかにもこういう人間だと見えるようにしている」という作った素振り、少しだけのよどみはそこにはなかった。

もしかすると、そのような感じ方はおかしいのかもしれない。

その素振りがあることに、わたしはやっと気づいたのだから。アスカだけじゃない。例えばわたしや相田や、そんな人の前では、晴れた日に少しだけかかる薄い雲のようにそれはとても微かで気づきにくいけれど。

それでもやっぱり、膜のようなものがあるのだと。

でも、今はそんな膜はなかった。

二人は互いに思っていることをすべてわかっているみたいに、ごく自然にタイミングを合わせる。

まるで映し鏡のよう。

「――あんた、嫉妬してんの?」

ジュースを飲むついでとばかりに、からかうでもなく、ごくごくクールに言ったアスカの言葉にわたしは言い返せなかった。

言い返そうと口を開いたときに、自分がきつく噛んでいた唇の痛みに気づいたからだ。

何よりもまず、そのことに愕然とした。渡されたグラスを取り落とさなかったことは奇跡に近い。

だってそうだろう? わたしが、こんなにきつく唇を噛んでこの二人を見る必要が、どこにある?

どこにもないはずだ。

なのに、何故、わたしは言い返せなかったの?

返さなかった、返せなかった言葉が、今、言伝でも思い出したように、鈍く腹に襲い掛かってきた。

胸に、ずん、とくる衝撃を感じてわたしは目を細める。

いったい何がどうなっているの。

わたしが、嫉妬しているだって?

彼女は世界の端っこで

第15話
「嘘つきの世界解釈」

「もう、いいですか」

ひとしきり踊った後に碇君は言った。その声にはもう踊っているときにはなかった「優等生の振り」の膜が戻ってきていた。その膜の厚さは目に見えるんじゃないかと思うほどに分厚い。

「……ええ。結構よ」

そう言う葛城さんの声も、にこやかな笑顔も、同じようにドライだった。


……あ。


何かを思い出せそうな気がした。この顔を、どこかで見たような気がする。

「それじゃあ、失礼します」

「はい、お疲れ様。拘束して悪いんだけど、明日もよろしく。もうちょっとで決行だからね。頑張ろう!」

「はい。ありがとうございました」

淡々と話は進み、碇君はまるで苛立ちの木の葉が踊っていた間中降り積もっていたように、静かな苛立ちのこもったようすのままわたしたちに背を向け、部屋を後にした。

「……なんや、愛想ないやっちゃのう」

ぽつりと、鈴原が言った。ぽかんとした表情をしている。

「何か、あったんですか?」

今度は相田だ。落とした調子ではあるけれど、こっちには鈴原にはない、棘のようなものがあった。……不安なんだ。

葛城さんは気だるげに、んー、と言って姿勢を崩した。考えることをまとめるように、ちびりとビールを(昼間なのに)煽った。

その空いた間にすかさず、アスカが口を挟んだ。ふん、と殊更大きく胸を張って、冷静そうな顔を見せる。何も感じてないよ、と主張する顔。

そういうときは何かに堪えているときなのだとわたしは知っている。

「あいつさあ、根に持っちゃってんのよ、あんたの一件。ったく本気でネクラよね。あんなの根に持って。あんときだって、あたしが腕もがれて戦ってなかったら、あんたたち死んでたってのに」

「えっ」

内心、えっじゃないよ、と自分で自分の言葉に嫌気が差していた。

わかりそうなことだ。碇君ははっきりと言っていた。「嫌いなんだ、彼女」と。その原因は、恐らくわたしに違いない。だって、それ以外にきっかけの考えようがない。何しろわたしの記憶の中以外では、二人はあの日以前は面識はないはずなのだから。

わたしは何か言おうとして顔を上げた。でも上下する唇は虚しく宙をぱくぱく食むばかり。

それを中断させたのは、他ならぬ葛城さんだった。

「こら、アスカ。もとはと言えばあんたがヘンな悪口言うのが悪いんでしょー? 洞木さんは謝られるほうで謝るほうじゃないの。……ほんとにごめんなさいね、洞木さん。洞木さんのせいじゃないからね。ま、碇君のせいでもないけどね。アスカのせいでもないわ。信頼を得られなかったのは……私の責任ね。まあ、ゆっくりやっていくしか、ないかな」

いつのまにか呼び名を「碇君」にしている葛城さんは、また困ったように笑った。


あっ。


そうだ。あの艦の上、碇君とアスカが言い争った、あの時の顔。

それがちょうどこんな顔だった。

やれやれ、というような、乾いた――


駄目、こんな、こんな笑い方をしていたら、きっと。

「……そんなふうに笑って、信頼が得られるって言うんですか」

言ったのは、わたしじゃなかった。

「え?」

怪訝な顔をして訊きかえした葛城さんに、わたしの隣にいる相田は切りかかるように言った。

「葛城さん、指揮官なんでしょう。指揮官の方からそんな壁造るみたいな笑い方してたら、信頼を得るのなんか、不可能ですよ」

研いだ剃刀みたいな攻撃的な言い方。

隣にいる鈴原が、肩を押さえた。怒っているというよりは、混乱しているようだった。何が起こっても軽く肩を竦めているような友人が、こんなに感情をむき出しにしていることに。

「ちょお待てケンスケ。そっち系に詳しい言うても、相手はホンマモンの軍人さんやで? それをお前一介の中学生がやなぁ……」

「放っとけよ、トウジ」

あ。

ビシリ、と何かが弾ける音がしたような気がした。

「んじゃとコラ! お前ええ加減にせんと……」

「何だよ」

「はいはーいストップストップ。いくら私が美しいからって争そっちゃ駄目」

静と動。正反対の怒り方をする二人を間に入って止めたのは葛城さんだった。

「……相田君。その意見、参考にさせてもらうわ。けど――」

周囲が水を打ったように静かになる。

誰も声なんか出せなかったろう。

その細めた、相田の剃刀なんか歯が立たないくらいの凄みをたたえる目を見たなら。

それは一瞬のことだった。すぐに視線は柔らかくなり、葛城さんはいつもの軽いお姉さんに戻る。

「……いえ、いいわ。私もまだまだねえ。久々に熱くなっちゃった。あ、お風呂でも入ってこよっかな。ごめん、適当にくつろいどいてもらえる? 晩御飯はお姉さん、奮発しちゃうから。……じゃねっ」

矢継ぎ早に言って、すたすたと去っていく背中。それを見送ったのは、放心した四人だった。


「……怖ぁ。あんた、度胸あるわね。イッカイの中学生が一瞬とはいえあれを本気でキレさせるなんざ、なかなかできるもんじゃないわよ。ありゃ保護者モードじゃなくて、本気モードだったわよ」

一介、に妙なアクセントをつけてアスカは言った。相田はまだ声も出せないみたいだ。床に座り込んで、ドアをぼうっと見ている。

呆けて立っていたのは鈴原も同じだったが、こちらは相田よりはダメージは小さいらしい。短い髪をばりばり掻いてから、わたしに向かって手を合わせた。アスカにも。

「すまん、ワシとしたことが取り乱した! 惣流も、ほんまごめんな」

「あ……うん」

「まあ、あたしはあんたらみたいなクソガキが騒いだところで、どうってことないけど」

「一言多いやっちゃなあ。人が謝っとんねんから素直に取っといたらええねん。でな、ごめんやねんけど、今日はこれでもう行かしてもらうわ。今日は家で夕飯の支度もせんならんし。ワシ、食事当番当たってんねん……これと一緒にメシ喰うのも、なんやけったくそ悪いしな。ほんまごめん、よろしゅう言うとって」

そして鈴原は出て行き、やがて、相田も立ち上がった。

「二人ともごめん、変なとこ見せて。……俺も、帰るよ」

いつもよりずっと口数少なく、それだけ言って、相田も部屋を出て行った。


二人とも苦笑いの表情の中に、精いっぱい感情を抑えているのがわかった。


わからないはずないのに、あれで、隠しているつもりなんだろうか? あんなふうに気を使って。


「どうして、男の子って……」

「あんな馬鹿なのかしらね」

「そう、思う?」

アスカはふふん、と笑って、電話のほうへと歩く。近くの棚から何かの紙束を取り出す。

「そりゃね。あのサードもそうだけど、中学生のガキなんて、メガトン級のバカばっかりよ……ね。あんたは、食べてくんでしょ」

決定事項みたいに言う。すっかり嫌われていると思っていたので、わたしはそんなことを言われたのに驚いて、間抜けにも口をぽかんと開けたままで彼女を見返してしまった。

「何よその馬鹿みたいな顔。ね、食べてくよね?」

「え? ……まあ、それは……」

「あんたはそんな好きじゃないけど、あんたがいればレトルトは避けられるからね」

そういうことか。

わたしがやっと納得したときには、アスカはもう目的のデリバリーのチラシを選び終わっている。

不意に、重なる。


ねえ、ピザとか取らない? あたし奢るからさ。


――泣いては駄目だ。


笑え!


「うん。食べてく」

「よし」

アスカは笑い、わたしもちゃんと笑うことができた。思えば、二人で笑ったのは、この世界ではこれが初めてだった。

わたしは笑った。懐かしくて嬉しくて、笑いながら泣きそうだった。

それだけで、アスカに言われたことも、自分が思ったことを言った相田と鈴原が言い争ったことも、碇君も綾波さんも、自分にとって都合の悪いことはすべて、都合よく解釈することができた。

ほら、わたし、今笑っているじゃないか。


笑え!


ぎすぎすした空気も、自分の中のよくわからない気持ちも、ちゃんと考えるのは辛すぎる。


わらえ!


わたしはにこにこ笑って、葛城さんが出てくる前に料理を決めた。

アスカが電話をかける。妙に仲良く電話の向こうにいる人と談笑していて、それを聞いてキッチンを覗くと、アスカや葛城さんがほとんど料理なんかしていないのはすぐにわかった。

「すぐに来るわ。ミサトの分も適当に頼んじゃったから」

「わかった」

この部屋を去った男の子達より、ずっと上手にわたしは笑う。

だって、そうしたいんだ。何かを抑えてるんじゃない。わたしにそんなものはない。何も言えなかったわたしなんかに。だからそう、これは誰かのためじゃない。ただ自分のために、自分が悲しまないために、笑いたいから笑ってる。

わたしは何にも考えたくなんかなかった。

ただ、昔みたいに気楽に笑っていたかった。

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