女三人寄れば姦しい。失礼な言葉だけど、あの集まりについてはそれほど間違ってはいなかった。

久しぶりに、楽しい、と思えた。

けれど、それももうかれこれ二、三日前。

あれから周りの状況が何か好転するわけもなく、わたしはやっぱり世界の端っこにいて何もできずにいた。


教室のドアを開き、席に着く。おはよう、と気軽に声をかけあう人は、今はいない。

わたしは久しぶりに一人だった。考えてみれば、それまでの友人を何人も失ってはいたものの、結局今までわたしの周りには碇君が、綾波さんが、相田が、鈴原がいたのだ。

でも今は誰もいない。

碇君たちは今日も学校には来ていない。

相田は学校にいるときもいつも何か考えているみたいで、近寄っても来ないし、こちらからも近寄れない。

そして鈴原はと言えば、相田の様子をうかがう方に忙しくて、わたしのことはほとんど意識もしていないみたいだ。

あの日からそんな状況が続き、何もできないままで、わたしは漠然と学校に通い続けている。

「前」と同じに。

彼女は世界の端っこで

第16話
「間に在るもの、欲しいもの」

葛城さんの家で散々飲み食いした帰り、碇君と綾波さんにプリントを渡していないことに気づいた。

ちょうど、エレベーターの前。

振り返ると、そこには碇君の家がある。

気づいてよかった。

そう思う気持ちと、

気づかなければよかったのに。

そう思う気持ちの両方がわいてきて、わたしはまた、昼間、踊る二人を見ていた時と同じように混乱した。アスカに指摘されてぎくりとしたときのように、また、一瞬息が止まる。

だが……

廊下の先には、しっかりとして、けっこう重そうなドアがあった。その向こうの気配はわからない。

しかし、そこには確かに、綾波さんと碇君がいるはずだ。

――ええい、ままよ。

独り言にしては少々古風な言葉が口をついて出て、その言葉の勢いに乗ってわたしはつるりとしたコンクリートの廊下を引き返した。

少し蒸す夜の空気がまとわり着いてくる。

引き止めようとしているみたいな感覚を振り切って、わたしは歩いた。

そして妙に長く感じた廊下を渡りきり、わたしは数時間前と同じ、ドアの前に立った。

っすう、はあ。

一呼吸置いて、わたしは呼び鈴を鳴らした。

「はーい」

わたしの行動の遅さとは裏腹に、返事はすぐに返ってきた。昼ほどよそよそしくないけれど、完全にくつろいだという感じでもない、微妙なトーンの返事。

「どちらさまですか?」

「あ、あの、洞木です」

雰囲気が緩む。

「ああ、洞木さんか。ちょっと待ってもらえる……はい」

開いたドアの向こうには、ちょうど一風呂浴びたという風情の碇君がいた。肩にかかったタオル、ハーフパンツと、首元がすこしくたびれたTシャツ。葛城さんの家で見せたような堅さは、今はない。

「……ええと、ごめん、変な恰好で……」

おずおずと謝る声。碇君は少し赤い顔をしながら、くたびれた襟首を伸ばすようにシャツの肩を左右に引っ張った。

へ? ――ああ!

――やっちゃった。じろじろ見すぎた。

わたしは慌てて言いつくろった。

「あ、いや、大丈夫、渡しそびれたプリントを持ってきただけだから……」

何が大丈夫なのかは全くわからなかっただろうけれど、碇君はとりあえずうんうんと首を縦に振り、わたしを家に招き入れた。


碇君の家は、隣の葛城さんの家よりはずっとすっきりしていた。……というよりも、殺風景だった。奥の方は見えなかったし、ついさっきじろじろ見て失敗したところなので止したが、少なくとも見える部分には、生活に必要なものしか置かれていなかった。

なんだか、綾波さんの部屋みたい――

そういえば。

「綾波さんは?」

「ああ、綾波なら――」

碇君はその先を続ける代わりに、わたしの少し先に立ち、奥の暗がりを示した。

「? ……ああ」

わたしはことの次第をすぐに理解した。

寝てる……

綾波さんは奥の方にある、葛城さんの家でも寝室になっていた和室で寝息を立てていた。よく見ると妙に可愛らしいパジャマを着ている。自分で買いそうにもないし(それに、一度綾波さんの家を掃除したときなんか、怖ろしく服が少なくてびっくりしたのだ)、おおかた葛城さんか誰かが、見かねて買ってあげたのだろう。

碇君はわたしを振り返り、小さく笑った。

「綾波って早いよ、寝るの。無駄なことは何にもしないみたいだ」

まるで旧年の友人を語るように碇君は言って、「ああもう、また布団蹴って……」とかなんとか呟きながら、見かけに似合わず豪快に布団を蹴り飛ばしている綾波さんに布団を掛けなおした。

自分の肩の力が抜けるのがわかる。

何これ? 想像してたのと全然違う、これは……

……ええと……

「最初は……」

「え?」

わたしは訊き返した。碇君はわたしに椅子を勧めて、自分はキッチンの方に歩きながら話しなおした。

「最初は……キツかったんだ。何話していいかわからないから緊張するし、話しても、すぐに終わっちゃって間が持たないし。向こうも、そういうこと何も気にしないみたいだし……」

そう言って、しばらく碇君は黙った。

やがて、静まり返った部屋に、ぴいーっというお決まりのやかんの音が聞こえてきた。

碇君は綾波さんを起こさないためだろう、すぐに電器コンロを止め、さっと紅茶の葉を放り込んだ。とても手際が良かった。少なくとも、さっき葛城さんがお茶を淹れようとしたときの手つきよりはずっと手馴れていた。

「本当にしんどかったんだ……けど」

碇君は歩き出すと同時に話を再開して、ポットをテーブルに置いた。そしてそっと椅子を引くと、わたしの向かいに座った。

「何だか、慣れちゃったんだ。向こうがこっちのこと全く気にしてないのはすぐにわかったし。……はい。それによく考えたら、あの葛城さんがこの部屋監視してないわけ、ないんだよね。隣の部屋だし」

碇君の手は、今話をしている人とは別の生き物みたいに手際よく、二つのカップにお茶を注いでいく。ポットを持つ手が揺れたのは、あの葛城さん、と言ったときだけだった。

言い終わるころには、カップが二つ、湯気を立てていた。

注がれたお茶を飲んでみる。

おいしい。

蒸らしも、茶葉の量も、過不足ない。

男の子にここまできっちりお茶を淹れられると、ちょっと悔しいような気もする。

「それにさ、ちょっと一緒にいてわかったんだけど、何だか綾波って、女の子って感じ、しないんだ」

それって、女の子って感じがしないというより、碇君が女っぽいってだけなんじゃないか?

そんなことを考えながら、わたしは言い返す。

「あんなに可愛いのに?」

言ってから、棘があったか? と後悔した。でも、碇君は特に他意無しに受け取ったらしく、真面目に腕組みをしていた。

「えっと……何て言うんだろう……お母さん、みたいな……」

「それじゃ失礼だよ。同い年なのに」

「あ、ごめん……」

わたしに言ったわけでもないのに、碇君が謝った。

本当に、さっき葛城さんの家で見た碇君とは別人のようだった。

――それって、綾波さんがいるから? それとも……


――あんた、嫉妬してんの?


「あ、カップ空いたね。まだ残ってるから」

碇君はポットを手に取り、空になったわたしのカップにお茶を注いだ。

「あの……葛城さんと……何か……?」

「あっ」


ガタン。


ポットとカップがぶつかり、お茶がこぼれた。わたしの手は、いつの間にか碇君の手に触れていた。

「ごめんなさい、わたし」

碇君は何も言わずにテーブルの隅の布巾を取り、こぼれたお茶をふき取った。

わたしが不用意に言った言葉も、触れたことも、何もかも「なかったことにする」という様子だった。

「どうぞ」

何事もなかったようなその言葉を聞いて、わたしはほっとしていた。

わたしは苦笑いを作って、紅茶を一口飲んだ。自然になるように注意しながら、言ってみる。

「紅茶淹れるの、上手いんだね」

わたしが笑うと、碇君も同じように、ぎこちない苦笑いを作った。


そしてわたしは――そのまま談笑して二人分のプリントを手渡し、部屋を後にした。


「起立、礼、着席」

授業が終わり、騒がしくなる。

振り返っても、碇君も、綾波さんも、アスカもいない。相田は熱心に端末を操作し、鈴原は授業中から引き続いて、机にうつ伏せになっていた。

なら、今のわたしにとってはもう、誰もいないのと、同じだ。

わたしは弁当箱とペットボトルを持って廊下に出た。


屋上には誰もいなかった。

ひとりで、柵にもたれかかって弁当箱を広げる。ペットボトルの口を開け、今朝沸かしたお茶を、一口飲んで喉を潤す。

唇に、ちょっとだけ痛みを感じる。

昨日噛んでいた唇。


どうしてあの時葛城さんの家で、わたしは唇を噛んでいたのか。

どうしてあの時碇君の家で、あれっきり何も訊けなかったのか。何も、言えなかったのか。

今ならわかる。


わたしは、怖かったんだ。


別に、碇君にだけ嫉妬していたわけじゃない。好きだった、わけじゃない。自分自身、半ば勘違いしかけていたけど、そうじゃない。

碇君に触れた時、それをなかったことにして、安心した時に、はっきりとそれがわかった。


わたしは、綾波さんと碇君の関係に嫉妬していた。


わたしを軽々と飛び越えて、綾波さんと仲良くなる碇くんに。

わたしなんか関係なく、碇君と仲良くなれてしまう綾波さんに。


わたしは嫉妬していた。


だから、誰にも、何も言わなかった。

わたしはあの世界でみんなの間に噛み合う歯車が狂ったことも、今、みんなの間で噛み合い始めている歯車がそこからもっと狂っていることも、知っているのに。

それでも、欲しかった。

わたしも誰かといたかった。みんなといたかった。

都合のいい友達が欲しかった。

離れていった昔の友達は、もう信用できないから。

でも、家族は知りすぎているから。怖いから。

恋人だって、そう。知らなきゃならないから。

そうだ。だから、だからあの時、わたしは心から安心したんだ。自分の行動を無視されたことに傷つきもしなかった。ただほっとした。碇君を、知りすぎないでいられることに。エヴァンゲリオンのパイロットと、そのことを知っている一般人の友達。そんな、つかず離れずの関係を維持できるから。


ああ、そうだ。

わたしが欲しかったのは、碇君じゃない、綾波さんじゃない、鈴原でもない、相田でもない、アスカでもない、葛城さんでもない。


わたしが欲しかったのはそんなはっきりした誰かじゃない。


誰でもよかった。

ただ、わたしの近くにいてくれる人なら、誰でも良かったんだ。


なら……なら、今の状況は、わたしへの罰なのかもしれない。

そんなことを考えながら、わたしはまた、ひとりで、屋上でもくもくとおかずを口に運んだ。

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