「……ちゃん、お姉ちゃん!」

揺さぶられるのを感じて、わたしは目を覚ました。揺さぶる手の主は他ならぬ、ノゾミだった。

「なに?」

つっけんどんに訊いてしまって、ちょっとだけ後悔する。

ノゾミは面食らったみたいに言った。

「なに、って……今日、平日だよ」

「それで?」

「だから、学校が……って、やばい、遅れちゃう! もう八時二十分だよ! 知らないからね!」

大声で叫んで、ノゾミはばたばたと部屋から出て行った。

「そっか、朝か」

窓から日が差して部屋は明るい。

スズメがなくうるさい声もしっかり聞こえるこの時間は、見間違うことなく朝だった。

頼まれもしないのに朝はやってくる。わたしの意志とは関係なく、決戦の次の日はやってくる。きっと、ふたりはもっと仲良くなっている。もしかしたら、他のみんなも。わたしをおいて。


わたしを置き去りにして。


「学校……行きたく、ないな」

拗ねたように声を出しても、慰めてくれる人はいない。望むべくもない。

わたしはひとりだった。そうでなければならなかった。


少し遅れて教室に顔を出すと、時間はもうホームルームも終わって、授業が始まる直前で、碇君も、綾波さんも、アスカ……いや、惣流さんも、相田も鈴原も、みんなそれぞれ自分の椅子にかけていた。

そしてわたしもまた、ぽつんと椅子に座る。

朝にあったかもしれないにぎわった時間を見なくてすんだことに少しだけほっとして、そのことに、またうんざりする。

わたしはまた――

「洞木」

へ? 顔を上げると、こそこそと身体をかがめた相田がいた。

「おっす。大丈夫か? なんか、顔色悪いけど」

「だいじょう、ぶよ」

「そっか。えっと……ちょっと、耳貸して」

「うん」

言われるままに、わたしも椅子に座ったまま、少し身体をかがめて首を傾けた。

中腰の相田は小声で先を続ける。

「決戦の結果だけど、辛勝、ってところみたいだ」

訊いてもないのに、教えてくれる。こういう親切さが少しだけ迷惑だということは、きっと相田には想像もつかないに違いない。

それでも、仕方ないのでわたしは訊きかえす。

「辛勝?」

「ああ。やっぱり零号機も弐号機……あの、赤い奴だけど。あれには劣るってことだよ」

「……そう。でも、勝てたんでしょう?」

「そりゃ、勝てなかったら俺達はここにいないさ。綾波の零号機が中破しながら攻撃をかけたところに初号機が追撃。分裂したもう一方を弐号機が撃破。アスカは手柄を立てたけど、シンジは……」

ふう。ため息をこれみよがしに聞かせてみせた。

「もう、いいわ」

「え?」

「だって、わたしが知ってても意味、ないし。……ほら、先生、来たわよ」

「え? あ、ああ」

相田はしぶしぶ席に戻り、また一回受けたことがある授業が始まる。


同じだ。


またわたしはここに戻ってきた。


何の意味も感じない、同じような繰り返しの世界の、ほんの隅っこに、わたしはいるんだ。


何もできず、ただなりゆきを見ているしかできない――いや、そうしなければならない、この場所に。

彼女は世界の端っこで

第17話
「ひとりでいたい、嘘」

わたしが寝ぼけまなこのまま上った屋上には、既に碇君と綾波さんがいた。そして、相田も。

「懐かし……」

ドアを開けて、そこにいるみんなを見たときに、自然とその言葉を口にしていた。最後にこうして集まったのはほんの数日前のことなのに、ひどく長いことひとりでいたような気がする。

「座らないの」

投げ出すような声。いつもの綾波さんの声だ。

いつもの声。

「え? ……ええ、ありがとう」

わたしは何とか笑い返して、綾波さんの隣に腰を下ろした。その隣には、碇君と相田。二人はもう半ば食べ終わっていた。

「寝すぎだって洞木。そろそろ切れられるぞ」

わたしの視線に気付いたのか、相田はそう言って茶化した。自分だって端末を使って別のことをしている癖に、とは言わないでおく。きっと、簡単に他人に漏らせることじゃない。

「え? ああ、そうね。でも、体調が悪くて……」

調子を合わせて言いながら、頭を押さえて軽く首を振る。仮病もそろそろ手馴れたものだ。

「……大丈夫? もうすぐ、修学旅行なのに」

碇君はそう言って、まだ開けていなかった缶を開けて渡してくれた。


……ん?


「ねえ、碇君」

「何?」

「今、なんて……」

「大丈夫?」

「違う、そのあと」

わたしが少し声を大きくして迫ると、隣にいた相田も気がついたように顔を近づけてきた。

二つの視線に迫られて、碇君が少し後ずさる。

「……えっと。修学旅行、だ、よね?」


昼休みを終えて、屋上には四人のうち、二人が残っていた。

わたしと、相田だ。

「……忘れてた」

不覚だ、と付け足して、相田は携帯電話を取り出した。

カレンダーを確認して、ポケットに戻す。

「確かに修学旅行だよ。それでもって」

わたしがその後を続けた。

「次に、『来る』日」

「そう。確か、浅間山の――」


ああ、終わりか、ってその時は思ったわ。


「山中にいて、アスカが捕まえるために潜る。その後に、事故があって、結局斃した……でしょ?」

驚いたような顔で相田がわたしに目をくれて、眉をひそめてつぶやいた。

「よく知ってるな」

「……内緒で教えて、もらってたから」

顔を背けて校庭を眺めながら、わたしは嘘をついた。


正確には、そうじゃない。この話を最初にしたのはアスカだった。


「ああ、終わりか、ってその時は思ったわ」

アスカは……まだ明るかったあの頃のアスカは、そう言って一気にジュースを飲み干した。

「助かったんでしょ?」

コップがわたしに向けて放り投げられる。わたしは慌ててちょっと怒る。

「もう! 割れちゃったらどうするの」

まだ知り合って間もないこの美しい女の子の機嫌を損ねたのではないかと、少し怖れながら、わたしはたしなめる。

そのバランス取りに夢中だったわたしは、早口の言葉を危うく聞き逃すところだった。

「助けられちゃったのよ」

「え?」

「柄にもなく無理しちゃったあの馬鹿シンジの奴に。……あたしとしたことが、不覚だったわ」

苦々しそうな顔で、アスカは少しだけ笑った。

そんな風に器用な表情をしたアスカは、少なくともあの時は少しだけ、碇君のことが好きだったんじゃないかなと思う。


懐かしい記憶だった。


でも、それは、ここじゃない。


彼女はここにはいない。わたしもまた、そこにはいない。


わたしがいるのは――


相田を振り向いて、わたしは言った。

「それで……どうするの?」

「どうする、って。何ができるって言うんだよ。さっきお前だって――」

怪訝な顔で、相田は言った。


はっとした。


わたしは今、何を言っていた? 自分があんな風に歯車を狂わせられるのを見た後で、


それが、自分勝手な寂しさを紛らすためだと知った後で。


それでもまだ、まだ、何かしようというのか?


どうして?


「でも……何もしなかったら、アスカは……」


本当に? そんなことのために、お前は今何かをしようとしているのか?

ただ、自分が置いていかれたくないだけなんじゃないのか?


否定できない。


「そう……だな。確かに、今のシンジが惣流を助けるかは、怪しいし」

「そんなことは……」


否定できない。


――ああ、まただ。頭の中が、ぐしゃぐしゃになる。

進んで落とし穴にはまるウサギか何かみたいに、どこか暗いところへ落ちていく。

頭の隅に残り続けていることが、顔を出す。


わたしはどうして今、こんなに何かしようとしているんだろう。

碇君は、アスカをどうするんだろう。

アスカは、どうなるんだろう。

葛城さんは、碇君を、どうするんだろう。


何がどうなっているのか、さっぱりだ。


わたしは何をしたらいい?


「……くなよ」

頬に、何か触れた。

「え?」

「わっ」

何かがわたしの頬から引き剥がされるのが見えた。

「いや、ええと、あー……」

目の前にいる相田は、真っ赤な顔をしていた。

「相田?」

「ごめん」

「何が?」

わたしは本当にその言葉の意味がわからなくて、顔をしかめている相田に訊く。どういうことだろう。わたしは……

「いや、泣くなって。ホント、頼むから。ごめん、悪かった」

ますます顔をしかめて相田は身体をかがめる。わたしの下に回りこんで、それでわたしは、自分がうつむいていることに気付いた。

泣いていることにも。

「ごめん……なさ……んっ」

喉が詰まって、言葉が出ない。痙攣したみたいに、お腹の辺りが揺れだすのを、我慢できない。

ああ、ずるい。

最悪だ。

またわたしは、こうやって。

ここに戻ってきてから、わたしはこうして泣いているばっかりだ。

泣いて、ごまかして、弱者になって、言い訳をするばっかりだ。

男子なんて尻には敷かなくても、負けやしないってアスカと言っていたのに、今のわたしはまるで媚びるように、すぐに泣いてしまう。

何もかも放棄したみたいに。


わたしはそういう女の子は嫌いだった。


今だって、大嫌いだ。


なのに――どうしても、止まらない。


わたしはそれからもしばらくの間、立ちすくんで情けなく泣いていた。

相田はその間ずっと涙でにじんだ視界の中にいて、困った顔でわたしに謝り続けていた。

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