「――えっ?」

アスカは、そう呟いた。

その一言が、その場にいた全員の思いを代弁していた。

彼女は世界の端っこで

第20話
「女友達」

きょとんとするアスカは、誰かの腕に自分の腕を絡ませていた。

ちょっとだけ、嫌な感じを覚える。そうだ。見覚えがある。この人は……

「あんた、何か言った?」

わたしがその人の名前を考えるより前に、アスカが相田に声をかけた。

「俺じゃないよ」

相田はこちらも目をぱちくりさせながら言う。

「じゃあ……あんた?」

碇君を飛ばして、わたし。どうやら最初から無視する構えらしい。

ちらっと見てみても、碇君は驚きを半分残しながらも、アスカの登場には明らかに嫌そうな顔をしているだけで、飛ばされても別段大したことはないというふうだった。

わたしは仕方なく、できるだけ誰も刺激しないように、そっと答えることにした。

「いいえ、さっきのは……」

そこで、アスカの顔色が変わった。

相田ではなく、碇君では当然なく、わたしでもない……とすると、残るのはひとりしかいなかった。

「まさか……ファースト?」

アスカは男の人の腕にぶら下がったまま(かなり背が高いので、そう見える)顔をしかめた。

「そうよ」

綾波さんは何気ない顔でさらりとそう言いきった。

やっぱり。なんで?

わたしは一瞬皆と一緒に首を傾げたが、やがて、その理由に思い当たった。

いや……違う。違うわよ。急、急、急!

急すぎ!

でも、綾波さんはそんなこと知ったことではないという感じだし、アスカはアスカで、そんなことを知るはずがない。

可愛い顔を台無しにするくらいゆがめながら、煙たがるように言った。

「なに、なんか悪いもんでも食べたの?」と、そこで、にやりと表情を変える。「ははーん。それか、またあれか、ミサトの入れ知恵?」

「……そこまで露骨に言わなくてもいいだろ」

黙っていた碇君がここで少し前に出る。その勢いを難なく遮って、アスカは言葉を続けようとした。

だがその声を、彼女の頭の上にかぶさった大きな手が遮った。

「そうだぞアスカ。レイちゃんに悪いじゃないか」

ぽんぽん。と子供のようにアスカを扱うその人は、やっぱり見覚えがある。

「加持さん……」

あ、いた。そうだ。この人は、葛城さんの。

思う間に、また加持さんは、ぽん、とアスカの頭を一撫でする。

「同じチルドレンなんだから、仲良くしないとな。ん。もうこんな時間か……じゃ、俺はこの辺で退散するよ。アスカもレイちゃんと仲良くな?」

「えぇーっ!? だって、まだ買い物のとちゅ……」

甘い声の呼びかけもむなしく、括った長髪はあくまでもクールに街灯の中へ消えていった。


うわ。あーあ……


わたしはぽかんと口を開けながら、その光景を見るしかない。わかっている、この後に来るのは――

「……あんた、私に恨みでもあるわけ?」

ほら、来た。

「なぜ?」

冷静な声が、余計に神経を逆撫でしてるのが目に見えるみたいだ。

アスカの首にある逆鱗を、綾波さんの冷たい空気が逆なでするイメージ。

だめだ……こういう時には、何を言っても、

「そうそう、単純に向こうが飽きただけなん」

軽口を言う相田をひと睨みして黙らせる。馬鹿。

「あんたには聞いてないの。あ、た、し、は! こ、い、つ、に! せえっかくの加持さんとのデートをなんで邪魔するのかって訊いてんのよ!」

「邪魔した?」

わたしの方を振り返って首を傾げる。止めて、今わたしに話を振らないで。

血圧、再上昇。

「あれが邪魔以外のなんだってーのよ!」

「ええと、ほら、あのね?」

「あれが邪魔じゃなかったら世の中ジャもマもいないわよ!」

わたしの声も、全然届かない。もう何言ってるのかもなんかわからない。そうだ。アスカはこの人のことになると、妙に意固地になるんだ。


加持さん。


そうだ。あの人は……そう、死ぬ人だ。


アスカはわたしの家に来たとき、そう言った。


加持さん、もう帰ってこないんだ。シンジも、ミサトも、あたしに教えてくれないけど、わかっちゃうわよ、あいつら、馬鹿だから。


そうだ。どうして忘れていたんだろう。


あの人は死ぬ。そしてアスカは、深く傷ついてしまうんだ。


こんな元気に、叫ぶ気力もなくなって――


「だから! 何とか言ってみなさいよ!」


わたしはその大声に、はたと自分のいる場所に引き戻された。

二回目の、ここ。第3新東京市。

見ると、あまりの勢いに怖気づいた碇君が、恐る恐る何か言おうとしていた。

「あ、ほら、ただの挨拶なん」

「あんたは黙ってなさいよ!」

あー。こっちもこっちで、やっぱり馬鹿。もう、余計へそ曲げちゃったじゃない。

こうなったらもう止めようがない。

案の定、アスカはこんな捨て台詞を吐いて踵を返し、ずかずかと歩いていってしまった。

「……ふんっ。覚えてなさいよ」

悪役じゃないんだから……それはないと思うんだけど。


嵐のようなアスカが過ぎ去った雑踏の中、最初に口を開いたのは、綾波さんだった。

「何か、失敗した?」

……致命的、かも。

でも、碇君はそんな綾波さんを見て、憮然として答えた。

「綾波は悪くないよ。あんなの、惣流が勝手に喚いただけだ」

そこに、ここだとばかり相田がかぶさる。タイミング、いいのか悪いのか。

「あ、ほらさ! 腹減ったし、そこで飯食って行こうよ!」

だが、そこで引き下がる綾波さんではないことは、わたしにはわかっている。

「いい」

ほら。

「え? ……ちょっと!」

二人は声も出ない、という顔。でも、そこは少しだけ綾波さんとの付き合いが長い碇君の方が、先に持ち直した。

ふう、と乾いたため息ひとつ。碇君はすっと――顔にもう一枚薄皮を貼ったみたいに微笑んで、言った。

「――じゃ、僕も帰ることにするよ。今日は、どうもありがとう。じゃ」

あ……

「あ、おいシンジ!」

相田は叫んで、わたしは声も出さず。

でもどちらも、その後姿を追いかけることができなかった。

そしてわたしたちは、またあの屋上と同じく、二人になった。

「……あーあ、両方とも行っちまった。どうする? 食べてく?」

わたしは碇君よりはたぶん湿っぽいため息を吐く。やらなければならないことは、もう決まってる。

「追いかけないと……きっと、アスカのところよ」

「惣流の?」

最悪、そうよ。という言葉を、わたしは今日、もう何回ついたかわからないため息と一緒に吐き出した。


追いかけた先では……やっぱりだった。

ギリギリその場に間に合っただけでも幸運かもしれない。いや、こうして陰から見ているだけで何もできそうにないんだから、不幸と言うべきか?

やっぱり、わたしたちはせいぜいこの辺の位置にいるしかないのか、と、ちょっと悲しくなる脇役の位置。

「っと」

つい肩からずり落ちそうになったバッグを直し終えたちょうどその時、綾波さんは口を開いた。

「アスカ」

あっ。急いで顔を上げると、アスカがちょうど振り向くところだった。

気合が入っていたはずのスカートが、舞い上がる。ちらりと、ちょっと派手な下着が見える。

「何か用? ファースト」

「……」

綾波さんは黙して、じっと見つめる。

「何よ」

「……」

やはり、黙したまま。

そこでやっと、アスカは綾波さんの意思に気付いたみたいだった。

「えっと……な、何よ、綾、波」

「レイでいいわ」

一瞬の返しで、事も無げに言う。その平静さがまたアスカに火をつける。

「ッ! な、何よその変わりようは! 気ッ持ち悪い。だいたいあんた私のことアスカなんて呼んでなかったじゃない」

「あなた、アスカじゃないの」

「そりゃあたしはアスカだけど。――あんたには呼ばれたくないの! 悪いけど!」

「なら、惣流……さん」

「それもだめ!」

「なら、ラングレー」

「なんでそっちの方は呼び捨てなのよ?」

「ラングレー……さん?」

ことりと首を傾げる。

「なんで疑問系なのよ!」

「……ミス・ラングレー」

今度は傾げっぱなし。

噛み合わない会話に明らかにいらだっていたアスカは勝ち誇ったように言った。

「馬鹿ね、ドイツ語では、『Frau』って言うのよ、『Frau』。ま、所詮日本の中学生、あんたにゃわかんないでしょうけどね。ほら、もういいでしょ、そこどきなさいよ」

「わかったわ」

「そ、じゃ」

「フラウ・ラングレー」


わたしは吹きそうになりながら、その漫才を見ていた。見事に噛み合ってない。でも、綾波さんに話をしようとする意思があるせいで、最悪の状況までは至っていなかった。

そしてそうなると、このやりとりはひどく面白かった。不謹慎だけど。

「ほっ、洞木ぃ。いったい綾波に何言ったんだ?」

ひいひい笑いながら辛うじてそう訊いた相田に、わたしもおなかを押さえながら答えた。

「ふえっ? っく、あの、アスカと仲良くして、って。ただそれだけ、なんだけど……」

相田の顔からすっと笑顔が消えた。

「そう……言ったの?」

「ううん……もう、葛城さんが、そう言ってたって」

「ミサトさんが……」

「命令、したって」

さっきの加持さんの言葉を思い出す。同じチルドレンなんだから、仲良くしないとな。

「多分、本当は命令じゃないの。でも、綾波さんだから……」

うーん。ずり落ちた眼鏡を直しながら、相田は呆れたような顔で腕を組む。

「あー……。で、あれ?」

「みたい。名前って……無理やり呼んでも……」

そんなんで、仲良くなれるわけないでしょうに。

「……あ、いなくなった」

見ると、アスカは肩をいからせて歩き去るところだった。

「あ、戻ってきた」

綾波さんは、まだ無表情のまま、頬を押さえて帰ってきた。

「……痛い」

と、一言。

「ど、どうしたの?」

わかってるんだけど、流れ上一応訊いておかないといけない。

「頬を叩かれたわ」

「あー、ひどいなあ、これ」

確かに。思いっきり殴られたのだろう、かなり腫れている。

「大丈夫?」

「問題ないわ」

即答。も、相田があっさり否定した。

「ないわけないじゃないか。ひとまず、冷やすもの探さないと」

小走りでどこかへ走って、すぐに戻ってくる。手元には缶ジュース。あ、そうか。

こういう時の機転は、わたしには真似できない。

わたしは受け取った缶ジュースを、そっと綾波さんの頬に近づけた。真っ白な頬に赤みが差しているのが、やけに痛々しくて目に残った。

「どう?」

「んっ……問題、ないわ」

相変わらずの答えだったけど、缶ジュースが触れたときに漏らした声だけが、妙になまめかしかった。

「っていっても、缶ジュースじゃなぁ。早いとこ家帰って氷かなんか当てないと」

「なぜ……」

「何?」

冷たいジュースの成果、少しだけ紫が差したみたいに見える唇からこぼれた言葉を、わたしは耳に留めた。

「なぜ、フラウ・ラングレーは怒ったの?」

「これ、問題……あるよな?」

「言わないで」

相田はもう放棄と言った感じ。でも、わたしはそうするわけに行かない。

「……?」

頭を抱えながら、わたしは切り出した。

「あのね、綾波さん。いくらなんでも、ものには順序っていうものがあって……ほら、いきなりじゃなくて、徐々に、仲良くなるの、ね?」

「どういうステージを踏むの」

「え?」

「どういう段階で、そこに至れるの」

いや……そんなふうに言われても。

そういえば。そうやって考えたことって、なかった。

わたしは、確かにアスカの友達だった。でも……どうして、わたしはそうなったんだろう?


……あ。


そっか。もう、言ってるんだ。

「さっき言ったこと。覚えてる?」

「ええ」

そっか。

「うん。じゃ、大丈夫」

「え? いいの?」

「ん!」

わたしは相田に笑いかけた。そうだ。わたしだって、アスカと大喧嘩したことはあった。

会って最初に大喧嘩して、仲良くなって、また喧嘩して、仲良くなって。でも、決して、相手に媚びずに、相手を、大事だって、そう、思えるなら。

「大丈夫。大丈夫よ」


そう、きっと、大丈夫――「俺、喋んなかった理由、それだけじゃないんだよ」


「……え?」

わたしは顔を上げる。あれ? ここは、どこ?

「寝てた? もしかして」

あ。

「あ……ごめん。何?」

寝ぼけ眼で見回す。ここは空港で……そうだ。今日は、最終日。眠っていたのか。

「だからさ。俺が喋らなかった理由。ほら、今日――作戦の、日だったろ?」

「うん……」

そうだ。だからこそ、昨日は寝れなくて……その分ここで、ついうとうとしてしまった。

「どうやら……うまく、行ったらしいな」

相田はちらっと電光掲示を見る。時刻はもう、夕方の六時。とっくに、戦闘は終わっているはずだ。欠便はない。

「そうね……そうだと、いいね……」

わたしもちょっと安心して、また少しうとうととしながら答えた。そして半分落ち込んだ夢の中で、あの時自分が浮かべた無根拠な笑顔と、それに答えるきょとんとした綾波さんの表情を、もう一度リプレイしていた。

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