碇君はその戦闘の音声記録を後で聞いたのだという。

最後まで聞けなかったんだ、と言って、目を閉じる。

「綾波が守ったんだ」

確かめるように呟きながら目を開いた時に、また一枚、碇君が自分を殻で覆ったのがわかった。

「だからさ、僕はもう、惣流のことを嫌わないことにするよ。嫌えるわけない」

痛々しいその記憶は、きっと、彼女を縛るのにも充分だ。いや、きっと彼女の方をこそ、もっと、ずっと強く、この思い出は絡め取っていくだろう。

でも、最悪の事態は避けることができた。わたしたちは目的を果たした。

アスカは助かった。誰も死ななかった。

――でも。

わたしは、こんなことをしたかったんだろうか?

体中に包帯を巻いて寝込んでいる綾波さんを見て、わたしはそのことだけをひたすらに考え続けていた。

彼女は世界の端っこで

第21話
「友達の資格」

「見た目ほど傷は酷くないわ」

見舞いに訪れたわたしたちの前で、赤木さんはさらりとそう告げた。それはまるで、綾波さんと血でもつながっているみたいによく似た言い方に聞こえた。

でも、違う。ちょっとだけ、苦い。

「ただ、彼女は――レイは、あなたたちも何となくはわかっていると思うけれど、皮膚が普通の人より弱いから。そのために保湿ジェルによる保護措置を取っているの。見た目は確かに辛そうに見えるけれど体内に被害はないし、炎症それ自体は火傷とも言えないような軽微なものだから、全身浴治療はせずに済んだ。大丈夫、一週間もすれば」

――元に、戻るわ。

その顔があまりにも平静だったので、少しだけ、ぞくり、と寒気がした。

「綾波……言うても、声、出せへんな。大変やろうけど、頑張りや」

鈴原が言って、手は握らずに、軽く布団に手を載せた。

結局、それが部屋に入ったわたしたちの最初で最後の言葉になった。


「ん」

「ああ……ありがとう」

「おおきに」

「ありがとう」

待合室に入ると、相田がさっと四人分のジュースを買ってわたしたちにパスした。

「百円だっけ?」

「や、九十円」

「ワシ、釣りはええで」

そんなやりとりを横目で見ながら、わたしは一瞬だけ、あの、修学旅行に行く直前の週末に、綾波さんの頬に当てた缶のことを思い出し、またあの部屋でひとり眠る、ミイラのようになった綾波さんを想う。


あの日。わたしがうとうととしていた同じ時間に、アスカは死の危険に直面していた。

それはわたしが予め知っていた未来と同じ、弐号機を支えているケーブルの断線という事態だった。

けれど、憎らしい神様は、歴史をほんの少し動かしてしまったわたしたちへの報いに、もうひとつ困難をくれた。

ケーブルが断線した、その時にも。いまだ敵は生きていた。


「あ……惣流さん。は?」

碇君は一瞬険しい顔をしてから、無理に笑みを浮かべてみせる。

「ああ。仮眠、取ってるんじゃないかな」

「仮眠?」

「うん。付きっ切りだったからね、昨日は」

「どこの部屋?」

「綾波がいた、隣の部屋だよ。今は葛城さんもいるんじゃないかな」

「碇は? どうするんだ?」

相田が訊くと、碇君は一瞬考えてから答えた。

「僕は、一度戻ることにするよ。葛城さんから鍵を預かってて――」

「着替え?」

「ああ、うん」

「それじゃ……わたしも一緒に行くわ」

「えっ?」

「ねえ、碇君。惣流さんが女の子だってこと、忘れているでしょ?」

碇君は恥ずかしがりもせず、平べったい調子で頷いた。

「ああ……そうだ、そうだね。何やってるんだ、僕は。ごめん、お願い……できるかな」

「もちろん。鈴原、相田? そういうことだから」

「おう。やっぱりそこは、女子が行ったった方が、何かとええやろう」

自分自身妹がいるせいか、何か思い当たることでもあるように鈴原は頷いた。

「りょうかい」

そして相田も――こちらはわたしの意図を理解して、頷く。

「じゃ、行きましょうか」


葛城さんの家はかなり雑然としていたけど、思っていたほど汚くはなかった。

「葛城さんが家事しない分、惣流がやってるらしい。一人でやってたらこんなもんじゃないかな」

首を傾げてるわたしが思っていることを察したのか、碇君はそう言った。

ああ、そうね。わたしは、リビングよりはずっと綺麗に片付いているアスカの部屋のクローゼットを開きながら考える。

アスカは――そう、これをやらなければ、と心に決めれば、たいていのことは無理をしてでもやってのけてしまう女の子なのだ。

良くも、悪くも。

そういう無理ができるところがアスカの美徳で、そして同時に、アスカを壊す。


そうだよ、わかってたのに。


――だって、同じ人だって、思えなかったんだもの。


ええ、そうね。心の底では、そう思ってたんでしょう。


――そうよ。わたしを知らない、アスカなんか。


アスカじゃない?


――そうよ。


じゃあ、これは何? これは、あなたの――わたしの、知っているアスカ。それを――


「洞木さん?」

呼ぶ声に、わたしははっとして振り向く。

「え? ああ、ごめんなさい。……あ、碇君はいいから、自分の家でシャワーでも浴びてきたら? 着替えて、ないんでしょ」

「へ? ……臭うかな?」

「ううん、そんなことないけど。きっと、ずっと詰めてたんだろうなって思って」

碇君は虚をつかれて、素の顔でうん、と一言。

「何でだろうね。すぐ……そう、すぐ、行かなきゃ、って思った。昨日の今日まで、一緒に住んでたからかもしれない」

ふっ、と小さく息を吐く音。無理に笑っているのがまるわかりのその声に、少しだけ、心がうずく。

「ねえ、さっきの……」

わたしは思わず、クローゼットを漁る手を止めて、問いかけていた。

さっきの病室。相田と鈴原が訪ねてくる直前、わたしと碇君と横たわった綾波さんだけの病室で、碇君が漏らした言葉。

碇君は足元を見つめながら言った。


「『あなたは死なないわ。私が守るもの』」


「え?」

碇君の口をついて出た言葉を聞いて、わたしは思わずアスカの下着を取り落としてしまった。

「それが――」

「言われたことがあるんだ」

「あ……」

「この前の、停電の日だよ。……綾波がそう言ったんだ。その後、『さよなら』って」


あなたは死なないわ、私が守るもの。

さよなら。

――なんて、覚悟。


「ヒカリ? ……寝よっか」

「……うん」


わたしはもうすっかり下着を手繰る手を止めて、碇君に見入っていた。あの日の甲板と同じように小さく、繰り返し手を握りながら、押し出すように話す碇君に。

「無理を言って、聞かせてもらったんだ」

ずっと、予感があった。帰り着いたその次の日に、連絡を貰った、その時から。

「どうしても、確認したかった。命令、だったからなのかって」

……わたしは、また、やってしまったのか?

「でも――綾波の、悲鳴が聞こえて」

……いや。いやだ。

「惣流が……でも、綾波は、違うって」


――やだ、聞きたくない!


碇君の昂ぶりがこちらにも伝わってきて、わたしは思わず耳をふさいだ。

でも、耳に入ってくる言葉を防ぐことなんてできなかった。


「――『大事だから』って」


嗚咽。そして――こじ開けられる記憶。


アスカはどんどんやつれていく。

でも、わたしはただ見ているだけしかできなかった。


ゲームをする手を止めて、アスカが覇気の無い声でぽつりと言う。

「ヒカリ? ……寝よっか」

「……うん」

わたしははたとアスカをうっとうしげに見つめていた自分に気づいて、ごまかすように答える。


布団の中でアスカは泣く。小さくすすり上げて、肩を震わせる。

「よくやったと思うもの……」

かつてとは別人のようなアスカの隣で、わたしはただ、暗く沈んだ天井を見ている。


「召集だから」と言って、それでも帰るアスカを、死ぬかもしれない戦いに向かうアスカを、

友達だったはずのわたしは、引き止めることさえしない。

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