どう答えればいいのかなぁ、と思う。

「ほらヒカリ! あんたただでさえ怪我人なんだから急がないと身動きとれなくなるよ! 市外への避難命令なんだから!」

「うん」

お姉ちゃんに生返事を返しながら、わたしはそっとベッドから足を降ろす。

ゆっくりと右足に体重をかける。

「い痛っ」

「何やってんのバカ!」

「……ごめん」

相変わらずのわたしの顔を、お姉ちゃんはうかがうように身体をかがめて下から覗き見た。

「どうしたの? あんた、心ここにあらずじゃん」

「あ、ごめん。ほんとすぐ準備するから」

「いや……あんたのことだからやるとなったらサクサクやるだろうし、いいけど……どした? なんかあった?」

「ううん」

お姉ちゃんに相談するには……ことが大きすぎるような気がする。

そう、それは大事件だ。

でも、あくまでも、個人的な大事件。

「……どうしたらいいのよ……」

あんな告白。

「ん? なんか言った?」

「ううん、なんでもない。すぐ用意しちゃうね。先行ってて」

「はいはい。急いでねー」

自分の気分さえ乗れば人の事情に厚顔無恥に首を突っ込んでくるお姉ちゃんは幸いにも、特に詮索はせず出て行ってくれた。

わたしがあんまり沈んだ顔をしていたから、何か察してくれたのかもしれない。

「はあ……準備しよ」

わたしはそんな風に口では言いながら、けれど頭ではまだあの告白のことを考えていた。


自分で言うのも寂しい話なんだけれど、わたしはそう男の人にモテる人間ではないと思う。

アスカみたいに可愛くもないし、綾波さんみたいに綺麗でもない。葛城さんや、あの赤木さんだって、ぜんぜん敵わない。

頭が特別に良いわけでもないし、それ以外に何か特技があるってわけでもない。料理ができると言ったって、そんなものはせざるを得なければ誰だってするようになるものだし。

そう、周りにはすごい人ばっかりなのに、わたしは、わたしだけが、何の変哲もない「ただの人」なのだ。


なのに――


「――なあ、洞木。俺じゃ……駄目?」


あれって、告白、よね?


きゃー!


……どうしよう……

彼女は世界の端っこで

第25話
「悪魔のつげぐち」

松葉杖をついて、わたしは車に乗り込んだ。もう治りかけてるのに大げさな、と自分でも思うけど、確かにまだ、支えるものがないとちょっと辛い。

わたしが乗り込んだのを確認して、お父さんは車のエンジンをかけた。

掛けはじめのクーラーから出てくる生臭い風が抜けたのを確認して、窓を閉める。

サイドウィンドウを出しながら、お父さんは後部座席を振り向いた。

「どんどん物騒になってるなあ、ここも。……本格的に疎開、考えといたほうがいいかもしれんな」

後方確認良し、という呟きに遅れて、軽いため息とエンジン音が聞こえた。

疎開、か。

「前」は結局、家は水没事故の後まで疎開せずに、それはもう酷い目にあった。でも、その時はお父さんが疎開疎開と言いはじめたのは、もっと後だったような気がする。

「確かにねえ。この子も怪我しちゃうし。いざって時に逃げられる体制くらい、とっときたいかも」

お姉ちゃんの言葉を聞いて、ああ、と納得した。

そっか、また、わたしか。

でも、早めの疎開が決まれば――それは、わたしたちにとってはいいことなのかもしれない。

みんなにとっては。


――わたしにとっては?


さらにさらに、記憶を遡る。

そこは屋上で、最近はもう慣れっこになってしまったアスカと綾波さんと碇君のいない昼食の後で、わたしはひょっこりと姿を現した相田とお茶を飲んでいた。

正確には、相田はパックのレモンティーだった。

「久しぶりみたいだね、なんだか」

「ああ。最近――俺、ここ来なかったからな」

「そうね」

そこで、相田が妙な間を置いた。

「あー……あのさ」

「なに?」

「脚、大丈夫か、それ」

わたしは相田の視線を辿る。包帯を巻いているくるぶし。

ちょっとスカートの裾を延ばしながら、わたしは答えた。

「まだ痛いけど、大丈夫。すぐ治るわ」

綾波さんと同じ。あれが大した怪我じゃないなら……これも、大した怪我なんかじゃない。

わたしは笑って見せたが、相田は眉をひそめた。

「なに?」

「いや……なんでもない」

それっきり、相田はしばらく何も喋らずに、もうすっかり空になっているパックをもてあそんでいた。

そしてわたしはと言えば、そんな相田に声もかけづらくて、と言って立ち上がるには億劫で、座り込んだままポケットに忍ばせた小説を読んでいた。

しばらくそうして時間だけがただ過ぎた。

沈黙を破ったのは、相田だった。

「――、すんなよ」

「え?」

ポツリと出たその言葉は、風に紛れて聞き取れなかった。

「無理、すんなよ」

今度ははっきりとした声だった。相田はうつむいたままで、でも、その手で空のパックを握りつぶしていた。

「無理なんか……」

ぱしん、と、叩きつけられたパックが乾いた音を立てる。

「してないってのかよ! 自分の怪我我慢して! あいつら、送り出して! ……それで、無理してないって言えんのかよ、お前」

「相田……」

何アツくなってんのよ馬鹿、とは、言えなかった。

だってその声は、真剣そのものだったから。

「何でそんな風にできるんだよ。わかんないよ」

立ち上がった相田は――


歯を食いしばって、何かを耐えているみたいに見えた。


「……洞木、さあ」


返事もできない。


家族でもない人に、そんな風に心配してもらうなんて、初めてだったから。


「自分がどうでもいい人間だとか、思ってるわけ?」


「……ごめんなさい」


何故だろう。

わたしは、謝ってしまった。

そうしなければならない、と思った。だって、うぬぼれじゃなければ、彼はわたしのために怒っている。

ううん、そうじゃなくても――自分と同じ境遇にいる人間がいなくなってしまうのが怖くて怒っているのだとしても、それでもやっぱり、わたしは謝らなければならない。

だって、わたしだってそんなのは怖い。

また、たった一人になってしまうなんて。相手が自分で危険に首を突っ込んでしまうせいで。


けど、そんなわたしのマトモな思考は、次の相田の言葉でどこかへ飛んでしまった。


「……シンジの、ためか?」


……え?


「どういうこと?」

わたしは訊き返した。どういうこと? なんで、碇君が?

「あいつのためだから、そんな風にできるの」

「……えっと」

「洞木さ、シンジのこと、好きなのか?」


……え、ええー!?


どうしてそういうことになっちゃうの?


「え? は、何? え?」

「何、って」

何って、って、それくらいしか言いようがない。


だって、そんな、ありえない。


「え? あ、だって。碇君って、どうして……」

相田は顔をしかめて、また、わたしを混乱させる一言を言った。

「シンジはきっと、お前のこと好きだよ」


――はああああ?


「……うそだぁー」

それは謙遜でも何でもなかった。碇君の周りには、アスカがいて、綾波さんがいる。わたしは彼女たちに惹かれていた碇君のことを知っているのだ。

教師の誰とも会話を交わさない綾波さんと話して、彼女の頬を赤くさせた碇君。

アスカと同じ部屋に暮らして、多少嫌がりながらもずっと連れまわされていた碇君。

どちらも、わたしははっきりと覚えている。


確かに、今の碇君はわたしの大切な友達だった。失いたくない、と思う。

でもそれは、綾波さんや相田や、そんな人たちと一緒のはずで――


「嘘じゃないさ。……シンジは、洞木のことが好きなんだと思う。ここでは……惣流とも仲が悪いし、綾波ともそんな雰囲気じゃないし。……でも、洞木は、なんか、特別なんだよ。きっと……あいつは、洞木のために戦ってる部分も、大きいんじゃないかって思う」


その台詞を聞いて、混乱する気持ちが何となく収まってくるのがわかった。

……それって、消去法?

そんな馬鹿な。

それでわたしが、守るべきお姫様になっちゃうなんて。そんなお手軽な。


「でも……他にも、女子なんか、たくさん、いるでしょ?」

「いないさ。自分の苦しみを知ってて……同じように、耐えてくれる女子なんて」

相田はあっさりと言い切って、わたしは少しぎょっとした。

「だって……そうだろ? おかしいよ、お前。だって、知ってるじゃないか。これからどうなるか。わかったじゃないか。……俺たちには、何もできないって」

「そん、な」

ことないとは、言えなかった。

だってそうだろう? 相田が言っているのは、事実だ。

何とかしたい。そんな風に勝手に思って、それで? 何をした? 何ができた?

何にもできなかったじゃないか。

……それでも、わたしはまだ、しつこく、ここにいる。

でも、それは……碇君のためじゃない。そんなのが好かれる理由になんて、ならないはずなのに。

「碇君の、ため、じゃ、ないわ。わたしは自分の……」

「自分のため? そんなの無理だろう。自分には何にもできなくって、どうにもできなくって。だったら、目だって耳だって塞いで、早いとこ疎開して、じゃないと、耐えられないじゃないか。なのに、なんで、そんな風にここにいられるんだ。どうして」

まくし立てる相田はますます辛そうな顔になって、もうほとんど、泣きそうな表情。

「――なあ、洞木」

わたしは気圧されならが、呆然とその言葉を聞いて――そしてさらに混乱の渦潮に突き落とされる。

「俺じゃ……駄目?」



………………。


…………。


……。



えええええええ!?


話がぶっ飛んで、まったく着いていけなかった。


「え? あの、その、ふぇ?」

「俺、さ。シンジみたいに、エヴァパイロットじゃない。でも……俺もこの先のこと、知ってるから、なんとか、洞木を守れるんじゃないかって――」

「ちょ、ちょっと待ってよ! どうして? どういうこと? 寄りにもよって、わたしなんか――」

そうだ。さっきから、相田の言うことはいちいち何もかもどこもかしこも滅茶苦茶だ。

碇君がわたしのことを好きなんだと言ったり、わたしが碇君のことを好きなのかとか聞いたり。

挙句、わたしに、わたしに――


告白?


きゃ―――――――!!


「なんか、じゃないよ。俺、洞木が怪我したって聞いて、死ぬほどびっくりしたんだ。それで、わかったんだよ。俺は、ちゃんと……ねえ、俺のこと、嫌?」

覚束ない言葉をしゃべる、眼鏡の下の相田の顔は真っ赤になっている。え、本気なの。

「嫌って言うか……わたし、びっくりして……」

ただのびっくりじゃない。びっくりのオンパレードよ、こんなの。


頭の処理能力が追いつかない。


「俺は、冗談でこんなこと言ってるんじゃ――」


当たり前だ。冗談だったら松葉杖でぶん殴ってる。


「ちょ、ちょっと待って! とりあえず、待って! ――ごめん!」


結局。

わたしはその言葉を投げつけて、半ばケンケンで屋上から逃げ出したのだった。


そして、今もまだ、わたしは何もかも中途半端なままで混乱している。

「あ、見て! あれ――」

お姉ちゃんが声を上げて空を指差した。

空から、サイケデリックな柄がひゅるひゅると落ちてきていた。こんなもの、わたしたちみたいな一般人に見せていいんだろうか、と思うけれど、避難が間に合っていないのだから仕方ない。

わたしは結局、第3新東京から山梨へ抜けるルートの途中から、その非現実的な形の「使徒」を目撃した。

「わぁ……何かの冗談みたい」

「ロボット、勝てんのかなあ」

「馬鹿ノゾミ。大丈夫よ、あんなひょろひょろの奴」

そんなことない。わたしは知ってる。あの時――そして今、みんなは遺書を書いてこの戦いに参加している。

アスカは、きっと自分の誇りのため。

綾波さんは、きっとみんなとの絆のため。


――じゃあ、碇君は? どうして戦っていられるの?

そして、わたしは――どうしてこんな風に、避難なんか、してるんだろう。


何もわからないままで、わたしはただ、第3新東京市のある方角から見えた閃光に彼らの無事を祈っていた。

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