それは後から考えると。


この「今」でわたしたちが笑いあっていられた、たぶん最後の日だった。

彼女は世界の端っこで

第29話
「最後の夕凪」

結局、それぞれに二度寝をしたわたしたちが曲がりなりにも動き出したのは、お昼も過ぎようという頃だった。

といっても、何をするでもない。

昼の二時はまだ学校も終わってない時間で、でも街に出て遊ぶにはまだ早すぎる。


「いいじゃん別に」とアスカは涼しい顔だ。「どーせ街に出て遊べるような顔、してないでしょ。あたしもあんたらも」

「まあね」と相田が相槌を打つ。「シンジ、トウジ。なんかアイデアとかある?」

「いや、別に……」

「ワシもやな」

「綾波さんは?」とわたし。でも答えは決まりきっている。

「別に」

やっぱり。

「じゃあ……このままここにいる?」

「まさか」とアスカ。「ぞっとしないわ。……あ、そうだ。あたし海行きたい」


海?


「何きょとんとしてんのあんた。そりゃああんたらは遊んでたからいーんでしょうけど、あたしたちは例の旅行も行ってないんだからね」

「あっ……」

確かに。わたしたちが修学旅行に行っているとき、三人は戦っていたんだ。

「ふうん。んじゃあ、行きますか?」

「当てあるんかいな?」

「平日昼間だぜ? どこだっていいよ」

「そんな適当な……」

口々に言い合っている面々を他所に、綾波さんはすっくと立ち上がった。

「綾波さん?」

わたしが声をかけると、全員がちょっと眠たげなその青い髪に注目する。

「レイ?」

アスカがそう呼ぶと、綾波さんは少しだけ気だるげに振り向いて、言った。

「準備。急がないと時間が無いわ」

それで決まりだった。



そしてわたしたちは急いで準備を整えると忍び足で外と歩きだした。

あいにくわたしの水着は家だったけど、幸い家にはこの時間にはもう誰もいなかったから取りに行くことができたし、みんなだってそうだった。


ちょっとびっくりしてしまう事実だけど、わたしたちの中にお母さんが生きている者はひとりもいない。


「……そっか。仕組まれてるんだ、あのクラスも」

アスカは駅への歩き道でそう呟いた。疑問を口にしたわたしへの答えなのかどうかわからないくらい小さな声。そしてそれきり口を開かない。

でもその声を継ぐひとがいた。

「ええ、マルドゥック機関による選抜学級」

綾波さんだ。でもその声もやはり呟き声のように密やかで、街を外れて駅に近づくに連れて濃くなる蝉の声に危うく塗りつぶされてしまいそうだった。

「仕組まれてる?」

綾波さんはこくりと頷いた。けれどアスカと同じように、それ以上語ろうともしなかった。

ただ一言話の補足のようにさりげなく、言った。

「着いたわ」

見ると、先を歩いていた男の子たちが、少しはしゃぎながらわたしたちの方をちらちらと見ていた。



けれど、そんななのに電車では男の子たちがまっさきに寝てしまったりする。すると女三人の車内、でも平日昼間の電車は声を出すのをはばかられるくらい静かだった。

崩れ落ちる三人を小さなボックス席から遠めに見て、わたしたちは小さな笑い声をあげた。

三人がのべっと寝こけている席の後ろには、大きな窓の外、山の合間にもう海が見え始めていた。

「ったく、なあにやってんだかこの三バカは」

呆れたように肩をすくめて呟く。こんな綺麗なのに。アスカは笑いながら、でも次の瞬間わたしに視線を合わせ、少しだけ目を鋭くする。


何?


つい眉をしかめてしまうわたしにアスカは訊いた。

「で? どっちにすんのよ、あんた」

「……へ?」

「へ、じゃないわよ。相田か碇か、どっちにするか訊いてんの」

それは考えたくない話題だ。考えていいのかもわからない。


楽しいだけでいることができる場を乱す、きたない気持ち。


「どっち、と言われましても……」

だからそんな風にまた、情けなく誤魔化してしまう。

「だって、好きなんじゃないの?」

アスカはいつだって直接的だ。「前」と同じに。その見えない、今わたしの目の前にいる彼女が知らない彼女の出来事が、またわたしの心をざわつかせる。


好きなんじゃないの? 鈴原のこと。


そう、あのときアスカは別の男の子のことをわたしと話していたのだ。――鈴原のことを。


「何よう。ぼやっとしちゃって気持ち悪い。いいこと? あたしはあんたのことが……好き……じゃないけど! でも、別にだからって反対もしないわ。こんな時代だもん、あんたにそれだけの覚悟があんなら、迷わず付き合っちゃえばいいのよ」

「え……」

覚悟。きっとそれは碇君についてなのだろう。それにきっと、この世界についての、覚悟も。

「白々しいわねえ。あんた見てればすぐわかるっての」

すぐわかる。その確信に満ちた言葉が胸にぐさぐさ刺さる。

「……鈴原か、とは訊かないんだね」

「あぁん? あんたもかなりバカねー。誤魔化すならもっとましなやり方があんでしょが。あんた、別にあいつのことなんとも思ってなさそうじゃん。そんなの、他に愛しの彼がいる、ってほうがまだ信用できるわ」

アスカが事も無げにわたしのど真ん中を突き刺してくるのに、それにどこかで納得してるわたしがいる。

そして、わたしは、わたしが恋とか愛とか言っちゃいけないインスタントな人間だ、ってことをまた思い知る。


わたしは、もう。


あのとき鈴原のことが好きだったという気持ちすら、うまく思い出せないのに。


なのにどうして、またぬけぬけと人を好きになんかなったりできる?


「なによ、その顔。あんた、まさか本気?」

「昔ね。今は違うわよ」

そう、それははっきりしている。

そしてわたしは自分の持っていた好きだったという気持ちを捨てて、自分を好きだと言ってくれた男の子や、自分のことを好きだと教えられた男の子にわかりやすく転ぼうとしているのかもしれない。

「……悪かったわよ」

「ううん。いいのよ」

けれどわたしの答えにも、アスカは渋い顔のままだった。吐き捨てるように言う。


「そんなことない。……なんて顔してんのよ、あんた」


アスカにそう言わせたわたしは、さぞ寒々しく笑っていたのだろう。


でも、どうにもできそうになかった。だから。

「ごめんね。……ほら起きて!鈴原!相田!碇くん!もう駅着くよ!」

そんな叫び声を上げてわたしは立ち上がる。仁王立ちになる。

目を擦る男の子たちの向こうには、夏の光をたたえる海が田舎道の線路の向こうにもう手が届きそうなほど大きく迫っていた。



「……静かだね」

碇君がそう言うまで誰も声を発さないほど、昼下がりの海は静かだった。

そこにあるのは誰もいない海。平日昼間の海には私たちの他に誰もいなくて、でも占領するにはあまりに広すぎた。

「泳ごう!」

仕切り屋の本領発揮で相田が叫んだ。もう早くも水着だ。どうやら初めからズボンの下に着てきたようだった。

小学生みたいな行動がおかしくてわたしはつい吹き出してしまったけれど、でも。

「ええ」

と言って綾波さんがワンピースを脱ぎ去り、

「ちょーっと待ったッ! 一番乗りはあたしよ!」

と叫んで走り出したアスカに碇くんと鈴原が負けずに追いすがって行った後、仲間外れは自分の方だったんだと気づいた。

「ちょ、ちょっと!」


何時の間に!?


っていうか、脱ぎ散らかした服!


文句を言う暇もなく、昨日の熱気を冷ますみたいに我先にと海へ飛び込んでいった。


そして浜に残されたのは、わたしひとり。


まったく……

「やれやれ」

口に出してそう言ってみると、わたしは不意に小さな子供を預かる保母さんのような気持ちになって、みんなの服を集め始めた。遠く、遠浅の沖に沈んだ街を望みながら。

「いいんちょー! こっちきーな!」

鈴原が無責任に呼びかける。その後ろには、碇君やアスカの声も混じっている。

「あんたたちが脱ぎ散らかすのが悪いんでしょ!? ちょっと待ちなさいよ!」

切れて見せながら、わたしもやっぱり笑っている。

悩んでいたいろいろなことが、どうでもよくなりそうなくらい。

いつものように暑い日になりそうだった。



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