その知らせは松代で聞いた。
碇君わたしがフォース・チルドレンだって知ったらどんな顔するだろう?
それはもうわかりすぎるほどわかっているから、葛城さんに伝えた。
例えわたしがどうなっても。
絶対に、このことは碇君には話さないでください、と。
碇君かわたしか、どちらかの命しか選べないとしたら、きっと選ばれるべきなのは碇君の方だと思うから。
当日、待ち合わせのホームに現れたのは葛城さんだった。
葛城さんはわたしにどう相対していいか、よくわからないようだった。少しおどおどしたような目がおかしくて、つい、ちょっと笑ってしまう。碇君によく似ていたからだ。
「おはようございます。……赤木さんは?」
「ん……準備があるから、先に出る、って」
「そうですか」
「ねえ、洞木さん」
「なんですか?」
わたしを見詰める葛城さんの目つきは酷く悲しげだった。落ち着かなげに、指が動く。
「私達は碇君を犠牲にした。でも、だからって――」
「葛城さん。……わたしも、同じです」
「違うわ。私は直接命令を下した。上官として彼にそうしろと命じた。その先に死の危険があるかもしれないことを解っていてそう命じたの」
「なら、同じです。わたしも碇君にそうして欲しいと思ってました。死ぬかもしれないとわかってて、でも止めなかった」
そう、止めもしなかった。
あの時も。「前」だって。
いつだってわたしは、ただそれを見ていた。
相田は怒っていた。当然だと思う。だから言い返すことも出来なかった。
「なんで、なんで洞木、お前なんだよ」
なんで俺じゃなくて、お前なんだ。
そう小さく呟いてから、相田は屋上の鉄格子を勢いよく掴んだ。ぐらん、と音が鳴ったが、凹みもしない。ただ、耳鳴りのような音を立てるだけだ。
「仕方ないわ。『今回』一番皆に近かったのは、わたしだから」
「……そっか。仕組まれてるんだ、あのクラスも」
アスカが呟いた言葉が、頭の中に響いていた。綾波さんの言葉も。
「ええ、マルドゥック機関による選抜学級」
たぶんそういうことなのだ。エヴァンゲリオンのパイロット候補者がいる学級。鈴原だけじゃない。わたしだって相田だって他のみんなだって、そうなる可能性はあったんだ。
「死ぬかも、知れないんだぞ」
「死なないかもしれないわ」
「そんなの分かるかよ」
「でも」
「なんだよ」
「わたしが断ったら、別のひとが乗ることになる。そんなのできない」
ぐっ、と。相田が言葉に詰まる。
そうだ。わたしが乗らなければ、誰が乗る? 鈴原? 相田? それとも他のクラスの誰か?
そんなこと、できるはずがない。
わたしは碇君に、乗れと言ったのに。いつだって、そうやって誰かに乗れと言ってきたのに。
そのわたしが、自分の番から逃げていいはずない。
だから。
葛城さんはわたしの目を覗き込んだ。わたしも見返す。その向こうに迫ってくる物が見える。列車。黒い列車。
先に目を逸らしたのは葛城さんの方だった。
「着たわ……危ないから、ちょっと下がって」
「はい」
けれど、松代で待ち受けていた赤木さんは開口一番に、実験の延期を伝えた。
「延期、ですか?」
「ええ。2、3日ほどね。3号機の輸送が遅れることになって。できれば天候の良いうちに輸送を終えてしまいたかったのだけれど」
「じゃあ、わたしはどうすれば……」
「基本的にはこの場所で待機になるわ。それから……その理由についてなのだけれど」
赤木さんは少しだけ口ごもる。わたしは無言のままその目を見て、先を促した。
「初号機の輸送を優先させることにしたからよ」
え?
初号機?
ためらいがちに視線をさまよわせてから、赤木さんはわたしを見返した。
「あなたには言っていなかったのだけれど、米国第二支部でエヴァ4号機の実験を行っていたの。本来はS2機関――使徒の持っていた機関の搭載テストだったのだけれど、初号機ロストの結果を鑑みて、急遽S2機関を利用した虚数空間の発生実験とその連動試験に変更になった」
そこで赤木さんが言葉を切った。ドアが開く音がしたからだ。葛城さんが会釈して席に着く。
「ごめん遅れた。どこまで話してる?」
「今ちょうど、肝心の部分よ」
「そう。……続けて」
その言葉を受けて、赤木さんはううん、と咳払いして話を再開した。
「実験は昨日午後実施されたのだけれど、その結果――4号機が忽然と消滅した」
消滅。――そうか。
相田が言っていた。本来は3号機が輸送される前に起こった事件。アメリカの支部がひとつ丸ごと消えてしまって、だから3号機は日本にやってくる。それが、本来起こるべき出来事。
なら、やっぱり、あのディラックの海に飲み込まれてしまったのか。
「支部ごと、消えちゃったんですか」
わたしがそう訊きかえすと、葛城さんは眉を寄せた。
「え? ……そうなの、リツコ?」
赤木さんも同じように眉を寄せる。
「いいえ? 第二支部の関連施設はそのほとんどが無事よ。失われたのは『ディラックの海』の発生源になっていた4号機だけ。そして4号機が失われたその跡地に、別のエヴァが出現した。――初号機よ」
初号機――なら、碇君も?
「おめでとう。碇君も無事よ。今はもうどちらも機上というわけ。――その分3号機の到着が遅れてしまうことになるけれど。でも、ねえ、相田君もそうだけど、あなたたち、どうしたの? 何かそういう噂が流行ってるの? ……洞木さん?」
説明は、質問も、もう耳に入らない。
碇君が、生きてる。
それを知って途端に、逃げたくなる。代わって欲しい。こんなの乗りたくない。怖い。
でも駄目。そんなことできない。絶対。
碇君。
もう、まともにものを考えられない。
お話は変わっている。きっと良い方に。碇君がそこにいることで。
なら、わたしはどうすればいい?
葛城さんが、不思議そうにわたしを見詰める。
「洞木さん?」
「え? あ、なんですか?」
「え、あ……あなたのことなんだけど……」
「あ? ……ああ」
そうか。碇君はこのことを知らない。わたしが今ここにいることも。
碇君わたしがフォース・チルドレンだって知ったらどんな顔するだろう?
そんなの、わかってる。
――だから。
初めて着るプラグスーツは、ラテックスの生臭い臭いがした。
初めて歩くケージは死刑台への道みたいに見えた。
初めて見る3号機は死神みたいに黒かった。
初めてじゃないL.C.L.は血の味がした。
目を瞑って吸い込んだ。吐きそうになって、それでも吸い込んだ。目は瞑っていた。開きたくなかった。
だって、そこは。
「エントリー、スタート」
告げられて目を開いた。頭に流れ込んでくる言葉。初めての感覚。接続される。
そこにはわたしがいた。広がるわたし。大きくなったわたし。大きな手のひら。慣れていく。巨大だったわたし。黒いわたし。黒々と大きくて、何でもできそうなくらい。
だけどそれでも。わたしはわたしのままだ。わたしはエントリープラグにもいる。台座に座って震えている。新しい感覚を楽しみながら怯えている。なんでもないはずの視界に怯えている。なんでもないはずの感覚に怯えている。
何もかもに。
どうしてここにアスカは、綾波さんは――碇君は、座っていることが出来たのだろう?
ここはまるで空中にぶら下がる棺桶のようなのに。
「起動試験を開始します」
目覚める。――違和感。
「第一次、接続開始」
声が流れていく。グラフ位置正常、初期コンタクト問題なし、作業をフェイズ2へ。
「絶対境界線、突破します」
そこに何かいる。
嫌だ。いる。ここは……嫌だ! 何かいる! どうして誰も気付かないの? 嫌だ! ここは嫌だ! 出して! ここから出して! いや、怖い! やめて、怖い嫌だ! 入らないで、はいってこないで!
「いや!」
気が遠くなっていく。大きな音がする。何もかもが吹き飛んでいく。大きな音を立てて弾けていく。
熱と光に変わっていく。
気持ち、いい?
「嫌ぁぁぁぁぁ!」
――嫌だ! 駄目! ここから出して! こんなことしたくない! 嫌だ。助けて。逃げないで。誰か。助けて。助けて。誰でもいいからここから出して。
わたしはもうここにいたくない。
はじめからこんなところいたくなかったのに。
どうしてこんなところにいるの。
嫌だ! 怖い! 嫌だ。や。止めて。嫌だ。嫌じゃな、嫌だ!
頭がおかしくなりそう。塗りつぶしていく。何か。嫌だ。やめて。はいずる。はいずらないで。わたしの頭の中に入らないで。入ってこないで。なかにはいらないで。やめて。怖い。こわい。嫌だ。気持ち悪い。そんなの嫌だ。やめて。そんな――
そんなのきもちいいからもうしないで。
「――あ?」
――あ、あ……
「やら。違う。嫌なの! たすけて! やだ! や、や……ぁ……あぅ」
違う! これは違う! 違うの! こんなこと考えてない! 嫌だ、嫌なの! こんなことはしたくないの! わたしはここから出たいの! ここにはいたくない。いたくない。いたくない。いたくないの。だって――
もっとここでこうしていたくなるから。
――違う! そんなこと思ってない! 怖い! 嫌だ。気持ち悪い! こんなことしたくない! 入ってきて欲しくない。わたしがわたしじゃなくなっちゃう。こんな――
こんなきもちいいこと。
ちがう! 助けて。駄目。駄目になる。わたし駄目になる。駄目なの。やだ。誰か助けて。ここから、ここにきて。わたしを一緒に。助けて。わたしに。一緒になって。嫌だ。こっちに。こっちに――
こっちにきて。
アスカ。
叩き伏せる。アスカがそこにいる。叫んでいる。こっちに。やだ。一緒に。なろ? あのときみたいに。
あ、綾波さんも?
そこにいる。一緒になりたい。あ……ぁ。そう、こうしたかった。わたしがほどけて入っていく。綾波さんに入りたい。
――痛い!
いたい。綾波さんが千切れる。どうして? ひとつになりたいのに。寂しい。怖い。ひとりは嫌だ。いやだよ。ふたりで、もっと気持ちよくなりたい。気持ちよくなろうよ。
ひとつになろうよ――痛い!
なんで? どうしてだめってゆうの? なんで……わたしはただひとつになりたいだけなのに。
でも、……もうひとり、いる?
……あ。碇君だぁ。
嬉しくなる。碇君は好き。だからひとつになりたい。アスカよりも綾波さんよりも、ずっと碇君のことが欲しい。
――嫌だ! そんなこと考えてない!
いやじゃない。碇君が目の前にいる。わたしの前に帰ってきてくれた。碇君は好き。碇君と一緒になりたい。溶けていたい。溶かしたい。入り込みたい。入り込みたい。犯してしまいたい。犯されてしまいたい。
もっと近くにいたい。
わたしは碇君を組み伏せる。掴む。溶けそうに熱い。触れ合っている。気持ちいい、ああ。
もっと、もっとしたい。
碇君の首に触れる。力を込める。わたしが碇君の中に入っていく。
でも、碇君はわたしに触れてくれない。やめて? どうして。
――止めて! 碇君が死んじゃう!
そんなはずない。ひとつになるのに。わたしは碇君とひとつになるから。ずっとひとつでいられるのに。
ほら、触れてくれた。碇君が、わたしに触れて――苦しい!
いたい。食い込んでくる。碇君がわたしを締め上げてくる。苦しい。
くびが。
あ……はいってくる。締められる。あ。
あたま。
ちぎられる。
わたしが小さくなる。でも気持ちいい。見られてる。わたしのなかが見られてる。ぜんぶ。犯されていく。引き千切られて、見せびらかされる。むねも、うでが、あしも、おなかまで。ぜんぶ、
見てほしい。
そして何かが消えていく。だらしなく広がっていくわたしのなかにいたものが、消え去っていく。
泣き声が聞こえる。
なんで泣いてるの?
手を伸ばそうとしたけど、わたしは肩から先がなかった。
碇君は泣いているのに。
わたしはもうこれだけしか残ってない。小さくてみすぼらしいわたしだけ。
そうしたいの?
いいよ。いやじゃない。碇君にされるなら、ちっとも嫌じゃない。碇君はわたしのために泣いてくれるから、だからそんなことちっともいやじゃない。
碇君が生きていてくれるなら、そんなのちっともいやじゃない。
だからいいよ。
そのまま――
握り潰して。