翌朝、泣き喚くわたしに、お父さんはただ耐えた。お姉ちゃんとノゾミはそれを目にして、泣き続けていた。

騒ぎこそすれ、動くことはできなかったから、暴れることさえできなかった。

そして泣きつかれたころ、誰かが入ってきた、先生?

いや、やめて――

再び、暗転。



誰かに、名前を呼ばれていた。

「――らき。洞木――起きろ、洞木」

「……だれ?」

「俺だよ。俺、相田」

「あい、だ?」

目を開けると、また世界は……病室は、薄暗かった。

「もう夕方だよ。……暴れたんだってな。家の人に、かなり頼まれちゃったよ、なんか」

ああ、あれは……あの部分は、夢じゃ、なかったのか。

「どうして、ここに?」

たったひとりで?

相田は少し押し黙って、周りのようすを伺っていた。ベッドの脇、部屋の隅、窓際、それから天井までぐるりと見回してから、はああ、と大げさにため息を吐きながらわたしの耳元に口を寄せた。

「心配させやがってよー!」

気の無い声で叫んでから俯き、声を潜める。

「この部屋はモニタされてるから、こうやって話すぞ。まあ、時間稼ぎにしかならないけど。正直迷った。けど、洞木には、言っとかないといけないと思って」

「どういう……こと?」

「シンジが、出て行く」

それを聞いて初めて、ひどいことをしてしまった、と思った。わたしは、知っていたのに。

何を間違ったのかと考えて、そもそも何を間違わなかったのかを数えた方がずっと早いと気づいた。そう言えることなんか、何もなかったから。

「……わたしのせい?」

「違うさ。……いや。そうだな。違わない、かも。でも、洞木が――責任感じることは、ないと思う。洞木のせいだとしたら……きっと俺も、同罪さ」

俺だって、知ってたんだから。つっかえつっかえそう言ってから、相田は自嘲気味に笑う。

「……ありがとう」

相田はわたしの礼の言葉には答えずに、じっと目を見つめてきた。そして問うた。

「なあ、洞木」

「なに?」

「洞木は、どうしたい?」

語り落ちている言葉がなんなのかは、すぐにわかった。きっとこの街から去ってしまう、彼のこと。

「わからない。だって……」

あのときと、「前」と同じように事態が動くのなら、碇君は戻ってくるのだろう。もちろんそうはならないかもしれないが、戻ってこなければ、みんな死ぬだけだ。

それに戻ってきても、「前」と同じように進むのかは、わからない。

ということはもう、これから何が起こるのか、まったくわからないのだ。「前」そうだったのと同じに。わたしたちができることのあまりの小ささまで、嫌になるくらい同じ。

それは相田もきっとわかっているはずだった。

「ああ……もしかしたら、戻ってこないかもしれない。本当に、ここで何もかも終わりかもしれない」

「そう、だね」

ふと投げやりに、それでもいい、と思った。そうしたら……


そうしたら。


……そうしたら、どうなるんだろう?




抱えていることを言えないまま、わたしはまた病室に残された。

相田は話さなくなったわたしに二言三言、声をかけたけれど、結局はため息をついて、一言だけ言い残して、行ってしまった。

「俺はまだ、諦めてない。シンジを、お前のところに連れてくる」

やめて欲しいとは、言わなかった。言えなかった。確かにそうしたい気持ちもあった。

碇君に、会いたい。

それもまた本心だったけれど、わたしはいま、溢れていた好きの気持ちがどこかへ行ってしまったように、静かに澄んでいた。

静かに、たったひとつのことを、考えていた。

逃げ出すように。


考えていた。ここで、終わってしまったら、どうなるのだろう。


死ぬ?


そう思った。そうなると、普通なら思う。でも。わたしは、ここにいる。二周目を生きている。


それなら?


ここで、全部終わってしまえば、また、戻れるんじゃないか?


「また」なんてなかったのに。

ないかも知れないって、わかりきっていたはずなのに。


確かにそうだった。そう思っていた。でも――ほんとうは、逆じゃ、ないか?

「また」はあると、あるかもしれないと、わたしは知っているんじゃ、ないのか。

だって、いま、まさに。

わたしは「また」二回目を、生きているんだから。

それなら――どうして、『三回目』がないと言える?


戻れる?

あの夕焼けの日に?

わたしが、ここで死ねば。

いくらでもやり直せる? 次のわたしに、次の次のわたしに。永遠に――


「違う。そんなの……」


思わず口に出していた。

なんて馬鹿なことを考えたんだろう。そんなの、ただの自殺願望だ。

そうか?

だが、もうひとりの自分が、問い直す。そうか? 本当に、それはただの自殺願望なのか?

「ただの」だって?

もう、わたしはそれが馬鹿な妄想ではないと、知ってしまっているのに?

彼女は世界の端っこで

第33話
「回廊の、行方」

「無理だった、ごめん」

端的にそう言って、相田は頭を下げた。わたしは笑ってそれを受け止める。驚きはなかった。きっとそうなるだろうと、わかっていた。

碇君はきっと、自分で傷つけてしまった相手の前に立てるほど、強くないと思っていた。そんなに、押し付けがましくはきっとなれない。

怒る気になんかなるはずがなかった。ただ、申し訳なかった。この先、「前」の碇君がきっとそうだったのと同じように、こちらではわたしのことを傷にして生きていくのかと思ったら、消えたくなった。

そう。消えてしまいたい。

昨日からずっとそのことばかり考えていた。その中に自分の汚い欲望が混じっていることも、気づいている。初めから。考え始めたときからずっと。でも、それを退ける気力も、今のわたしにはない。

消えてしまいたい。

ここから忽然と消えて、碇君に、自分とは関係ないところでわたしが喪われたのだと、そう思ってもらいたい。

消えてしまいたい。

そうして、今度こそいい人間としてあの場所に還りたい。今度は上手くやれる。きっともっと上手くやれる。


ぜったい、上手くやってみせるから――


「洞木? おい、しっかりしろ!」

その言葉に、急に現実に引き戻された。鎮痛剤で頭がぼうっとする、わたしの目の前に転がってる現実に。

「しんどいのか?」

確かに、そうだった。頭が朦朧として、気だるい。

でも今の間は、そうじゃない。――相田になら。

「……ねえ、相田?」

「どうした?」

「もう一度――」


そう言った、その瞬間。


相田はぎくりとしたような表情で、身体を強張らせた。そのまま、しばらく目を閉じて、わたしを見た。

だろうな、と思う。

相田はきっとこのことなんか、ずっと前から考えていたはずなんだ。

「……洞木がそうしたいと本気で思うなら、俺には、それを止めることはできない」

「成功すると、思う?」

「わからない。これは一回こっきりのことかもしれない。でも、ありえないことはもう起こってる。パパのデータじゃわかんないことさ。あるとも言えないし、ないとも言えない」

相田は淡々と告げる。検討済みのレポートを発表するように。きっと、本当にずっと前から、下手をしたら、あたしと出会う前からそのことを考えていたのかもしれない。

「もし成功するとすれば、洞木はあの、何もかもが始まる前に戻ることになる。この世界がどうなるのかはわからない。洞木の主観が重要なんだとすれば、最悪消えてしまう可能性もある。……逆に、俺の主観が重要なんだとすれば、成功しない。別々の独立した世界ができるっていう可能性ももちろんある。俺たちが前にいた世界は、まだ実在してるのかもしれない――要するに、何も判らない」

「そっ、か……」


相田の提示した可能性を聞きながら、考えていた。

わたしはどうしたいのか。

消えてしまいたい。でも、それはどういうことに、なる?

悩む必要なんかない。知っている。それはつまり、死ぬってことだ。

二周目に、三周目に、その次に、その次の次に……永遠に、わたしはやり直せるかもしれない。


わたしだけは。


でも――でも、この世界は、どうなる?

世界の隅っこにいる、ほんのちっぽけなわたし。でも、だからって死んでしまって、本当に、大丈夫なのか?


駄目だ。考えがまとまらない。逃げ出したい。でも、駄目。でも、消えてしまいたい。頭がぐるぐるして、どこにも行けない。世界の中心になんて、わたしはいない。いることは、できなかった。でも、だから、逃げて、それで? だけど、残って、それで? 何をしたらいいの? 何をしたら、許してもらえる?


怖い思いをして自由を失くして、でも、それでもまだ、逃げちゃ駄目?


あんなことをしでかしてしまってひとを傷つけて、それなのにまだ、ここにいいて、いいの?


わからない。


全然、わからないよ。何にも。

34話へ
32話へ
Get back to index (of "At the edge of the world")