Evangelion G.G-side 

第弐話「多くの月日を越えて」

■ 第3新東京市直上会戦の二時間前 ■

碇シンジは、葛城ミサトが運転する車の中にいた。隣の女性の荒い運転にもびくともせず、悠々と座席に腰掛けている。首だけを外に向け、誰も居ない街を見ながら、ポツリと呟いた。

「あれは一体何なんでしょうかなぁ?」

その言葉は、あまりのことを処理できないという様子がありありと見えるものだった。老人が言葉を発した数秒後に、それが自分に向けられた言葉であると理解したミサトは、前を向いたままその問いに答えた。

「あれは『使徒』です。人類の敵……です」

その言葉を聞くと、老人はそれまでの呆けたような雰囲気を一転させ、はっきりとした口調で言葉を発した。

「やはり、知っておいでなのですか、あれが何なのか。と、いうことは、あなたはあれに何らかの形で関わっておいでなのですね」

言われたミサトは、齢九十になろうかという老人とは思えない冴えた指摘に、少し襟を正しながら述べた。

「はい。私は特務機関ネルフ所属、葛城ミサト一尉です。ネルフは、かの『使徒』を殲滅せしめるために、国連が設置した超法規的機関で……」

「いやいや、葛城さん」

いつになく丁寧な口調で話すミサトは、シンジの言葉に言葉をさえぎられた。疑問の表情でシンジを見ると、彼はいたずらを見つかった子供を見るような目でミサトを見て、言った。

くるくると表情が変わるので、どれが彼の本質かは見えない。

「そんなに硬くならずとも大丈夫ですよ。私はただの爺に過ぎません。……それに、詳しいことは、いずれ分かりましょう。あの男に会えば」

「は、はい」

「ふうむ、どうもお硬いですな、葛城さん。……私にあんなに刺激的な写真を送ってくださった方とは、とても思えませんなぁ」

相変わらず硬い調子を崩さないミサトに、いたずらっぽくシンジがそう言うと、彼女は途端に顔を赤らめた。

「あ、あれは!……失礼……しました……」

写真。ミサトがシンジに送った封筒に封入してあったものだ。彼女もバカではない。いい歳の老人相手に、わざと変な写真を入れるはずもない。それは単に、もともと入れる予定だった写真に、もう1枚の写真がくっついてしまっていただけの話だ。ただ、まずかったのはその内容である。それが、単なるスナップ写真なら、問題はなかった。

しかし、物事はそう上手くは行かない。彼女が誤ってその封筒に入れたのは、あろうことか冗談で取った水着のスナップ写真だった。それに気付いたのは、残念ながら封筒を投函した後だった。ミサトはまさに穴があったら入りたい気分だった。とはいえ、上司の身内を運ぶ途中に穴に突入するわけにもいかず、無言のままハンドルを切って荒れたアスファルトの上を走った。そしてクラッチを踏み込みつつ、流してくれていると思えばこんなところでその話題を持ち出してくるとは……このジジイ、意外と意地悪ね。とミサトはちょっと涙目になりながら思ったのだった。

一方、シンジの方はと言えば、詰まらぬ演説が終わって一段落、というところだった。あの怪物、そしてかつては義理の息子であった男の勤め先、そんなことはもともと彼の興味の外にあった。確かに、目の前に現われた常識を超える事物について人並みの興味がない、とは言わない。しかし、既に隠居して久しい老人が詳しく聞いてどうこうなるという話にも思えなかったし、どうこうする気もなかった。世界が終わるというのなら、彼としては終わるに任せるだけである。それに、かつては義理の息子であったあの男も、娘が亡くなった今となってはただの他人だった。それどころか、彼はあの男を憎んでさえいるのだ。

何しろ、彼の娘は、夫であったあの男の実験のために命を失ったのだから。

しかし、彼はそれでも要請に応じてやって来た。あの男が、何の理由もなく自分を呼びつけるなどということはないと分かりながら。呼び出しの手紙を破り捨てようという気持ちを抑えて。それもこれも、あの男の思わせぶりな言葉のせいであった。

「……お前の意思だと言うなら、やぶさかではないな。……ユイ」

シンジの胸ポケットには小さく折りたたまれた便箋が入っていた。その便箋には、こうあった。

『碇ユイの意思を果たせ。』

■ その二時間弱後 ■

碇ユイの意思を果たせ。その言葉に導かれて彼、碇シンジはここまで来た。しかし、今ここにこうしていることが果たして彼女の意思なのかを確認する術は彼にはない。それでも、彼が彼女の意思を伝えた男の言葉を信じたのは、このどこまでも信用ならない男が、しかしその妻を愛していたという一点においてのみ信用に足るということを知っていたからだ。そしてその意思とやらに導かれるまま、シンジは70年ぶりの戦場に立っていた。思えば不可解であった。数年来、会っていなかった義理の息子に呼ばれ、突然、戦闘機のパイロットとして任官される。普通に考えれば、ありえるはずがない。だが現に彼は戦場にあって、この奇妙な機械を動かそうとしている。

動揺は既に鎮まっていた。

「あり得ないということはない」がシンジの座右の銘である。それは、たった1日の差で特攻を免れ、高度成長期を生き抜き、セカンドインパクトという未曾有の災害を経験し、なおも日本という国に生きている男の経験から言える事実であった。そんな彼だからこそ、このような状況においても、それほどの動揺も無しにこの戦闘機の座席に座っていられるのだ。

「この歳でもう一度戦争とはなぁ、長生きはするもの、か」

誰に聞かせるでもなく独り呟く。その口から、泡が漏れる。

シンジは、汎用人型決戦兵器「人造人間エヴァンゲリオン」のコクピット――エントリープラグ内にいた。エヴァンゲリオン、通称エヴァは、今はジオフロントの中にある。

この施設を見るに至っても、老人は「地下司令部計画のようだな……これを見つけておけば、あるいは」などという、よく分からないことを述べたきり、興味を失っていた。

「……歩くことだけ考えて!」

「……分かっとりますよ……なあに、昔は、動くか動かんか分からん機関銃を使わされるようなこともあったんです。こういうものを動かすときにゃあ、よーう集中せにゃあならん。碇二尉、初号機を起動します」

シンジがゆっくりと、前半を敬語ではなく独り言として、後半を報告として述べると、エヴァ……使徒と同じく巨大な人型のそれは、ゆっくりと歩みだした。

「凄い……動いた」

リツコをはじめとしたスタッフから歓声が上がった。

「やるわね、あの爺さん」

ミサトも、にやっと口元に笑みを浮かべながら、次なる指令を伝えた。

「碇さん」

「なんですかなぁ?」

「そのまま、微速前進。どうです、何とか動かせますか?」

「はっ。葛城殿。何、やさしいもんですよ。思うた通りに動いてくれます。操縦桿もありませんしな。いやあ、快適、快適」

「……どうも感じが掴めないわね……それに、操縦桿って。戦闘機乗りでもないでしょうに」

自分よりはるかに(ちょっと、どころではなく)年齢が上の部下、という状況にどうにも馴染めないミサトであった。

「いかがいたしましたか?」

「! いいえ! いいんです、続けて。敵の狙いは、恐らくこの施設への侵攻です。初号機はそれを阻止。詳しいことは、先ほど赤木博士から聞いた通りで構いません」

「承知致しました。私碇シンジ、我が身に換えても食い止めてみせます」

最初に会った柔らかい老人の印象と、今の軍国主義そのまんまのしゃべりの老人。印象があまりにも違いすぎて、本気なのか冗談なのか分からない。

「いえ……あの、帰って来て頂きたいんですけど……」

「でしょうなあ、この機体、動かせるのはこの一機のみ、と赤木博士からお聞きしましたから」

こともなげに言う。その口調はまるで、焦る子供をなだめるかのような口調だった。飄々とした言葉が、その裏にあるであろう感情を隠す。

「くっ……このジジイ!」

先ほどからのやけに丁寧な口調も冗談だったと知り、ミサトは人目も気にせず悪態をついた。それは果たして、老人の気遣いか、あるいはただの冗談か。後者かも知れない。

「まあまあ、あまり気を立てずに」

「んなこと言っても、人類の命運が掛かってんのよ!?」

「ふうむ。私も昔は、国民の命運のために戦っておると、思っておりましたよ」

急に醒めた口調で言うシンジが、セカンドインパクトから考えてもさらに半世紀も前の大戦のを言っているなどとは、セカンドインパクト世代のミサトには分からなかった。

「何を……」

「分かっております、できるかぎり善処いたします……が、なにぶん始めてですから、非常時には一時退却か、自爆攻撃の許可を頂きたいですな」

さらりととんでもないことを言う。ミサトは、自分の手の中にこの老人の命はあるのだ、と改めて認識し、身震いした。

「……分かりました。それでは、リフトに戻ってください」

初号機がリフトに戻り、肩パレットがボルトで固定されたのを確認すると、ミサトはすうっ、と息を吸い、一言、叫んだ。

「エヴァ初号機、発進!」



エヴァ初号機は、地上に射出され。安全装置を外された途端、目の前の使徒に向ってたたらを踏んだ。

「むう、バランスがつかめません……な」

今にもこけてしまうというギリギリのところで踏みとどまる。スタッフ一同の顔に冷や汗が走る。今、エヴァが体勢を崩せば、使徒の攻撃にあうのは目に見えているからだ。

なおもふらふらと、初号機は進み続けた。だが、不思議にもバランスはギリギリのところで保たれ、倒れることはない。スタッフと、ミサト、リツコの心配を他所に、当のシンジは、「ふむ……」とか「はあ……」とか「ほえ……」とか呟いている。

「……所詮、素人か……」

ミサトは呆然とした表情で独り言を呟いた。それもそのはず、このとき、使徒はゆっくりと、だが確実に初号機に近づいていたからだ。スタッフ一同、この直上作戦の失敗を覚悟した。今だ目に輝きを持っているのは、最年長であろう三名――碇シンジ、冬月コウゾウ、碇ゲンドウの三名だけだった。

ついに、使徒は、初号機から1ブロックのところに進入した。使徒が、一気に加速し、初号機をその手に掴もうとした。

その瞬間、初号機はその場から消えた。

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