Evangelion G.G-side 

第参話「老人と若者たち」

■ 第3新東京市直上会戦の翌日 ■

ひとまず状況は終息した。特務機関ネルフは、その本拠地たる第3新東京市の中心部ほぼ全てを失いつつも、使徒殲滅を完遂した。それは、人類のひとまずの勝利であった。あくまでも、ひとまずの。

そして、その勝利の鍵である老人は、第3新東京中央病院の一室にて、日本茶を啜っていた。


一方、その勝利の立役者である女性たちは、彼を尋ねるため廊下を歩いていた。

「……素晴らしいわ」

白衣の女性、赤木リツコが感嘆した声で言った。その感情は多分に研究者としての興味によるものだった。

「とんでもない、の間違いじゃないの?」

その横、こちらは赤いジャケットの女性、葛城ミサトは対照的に眉をひそめた。その表情は、彼女の感じた「底知れなさ」を端的に表していた。

「そのとんでもないおじいさんのおかげで、生き延びられたんじゃないの、私たちは」

「とりあえずはね?」

「そうね。それにしても……AT-フィールドの展開は確認できず、か。一体、何が起こったのかは研究してみる価値はあるわね。作戦部長の見解は?」

「……技ね」

「あら、随分あっさりしてるわね。それが若き作戦部長殿の見解?……確かに、かなりのスピードでの移動が見られたけれど……それも、通常の運用範囲内のものでしかないわ」

リツコは皮肉を込めて言った。あくまでも冗談の範囲であったが。

いつもならば、この時点でミサトが「うぬぬ」などともらし、会話が終わる。しかし、今日は違った。リツコの言葉に「しめた!」というような顔をしたミサトは、こちらも少しの皮肉をこめて言った。

「よーく計算なさい、リツコ。天・才・科学者なんだから。そう! 人呼んで『実験狂』の現代の魔術師、赤木リツコさまっ!」

いつも言いくるめられているので仕返しにも力が入る。リツコが少しムッとしたのを見届けてから、言葉を続けた。

「あんたが見てんのは『エヴァの』瞬間最大速度でしょー? 映像をちゃんと見てないわね。相対速度を計算してみれば、分かるわ。……速度の変化率と、角度の変化もね」

ミサトの言葉は要するに「あんた、そんなことも見てなかったの?」ということと同じであったが、リツコは何も言うことは無かった。フィールドに関するデータに集中していて、算出はされていたそれらのデータをろくすっぽ見ていなかったことは事実だったからだ。それよりも、ミサトの説明に興味がある。

「……続けて?」

「さーてどうかしらねー、お願いすれば教えてあげないこともないわよん」

「この前貸した飲み代……昨日の昼ご飯代……ええと、それから……合計したら幾らになるかしらね、葛城一尉?」

調子に乗っても結局はこうなる。ご愁傷様である。自業自得とも言う。

「!? いやねえ、冗談に決まってるじゃない。あれは、使徒の反応の隙をついた攻撃よ。相手に隙を見せ、その速度が上がる瞬間に合わせて自らも急激に加速し、ほんの少し斜め前方向に進みでて攻撃線を外す。正面からの激突とAT-フィールドの展開を予想していた使徒は目の前から敵が消えたことに反応できず、その反応のラグを使って初号機はコアにナイフを突き刺した。……『入身』、ってヤツね。まさか、碇さんがフィールドを知っていたとは思えないけど」

その最後の言葉には、ろくに説明もせずにエヴァにシンジを乗せなければならなかったことへの自嘲も含まれていたが、リツコは研究者としての意欲の方をより刺激されたようだった。

「イリミ?」

耳慣れない用語を訊きかえす。

「剣術の歩法よ。一刀流とか、そんなところの。……ああ、でも、あれは体術だから、合気道とか、古流の柔術かしら? まあとりあえず、そういう歩法があってね。身体を、入れる、と書くの。ま、割と普遍的にある技法だと思うけど」

「……確かに、経歴には、剣道五段、とあるわね。……あら」

「それだけじゃないはずよ……あれだけの動き、なかなか出来ないわよ。それも、初搭乗のエヴァで。何者なの? あの爺さん……」

「ただの爺ですよ。葛城さん」

「そんなわけないじゃないのよリツコぉ。あんなの、かなり訓練を積んだ人間でも難しい……の……よ?」

そこまで言って、やっと彼女はその相槌の声が若い女性のものから、しわがれた男性の声に変わっていることに気付いた。しわがれた声の持ち主は続ける。

「いやいや、継続は力なり、長年続けていればできることもあるものですよ。葛城さん?」

「……碇……さん?」

隣にいるはずだった女性のほうを見れば、そこには病人用の着衣を着た小柄な老人が歩いていた。振り返れば、さっきまで隣にいた女性は、その後ろにいる。

「……いつの間に……」

「はあ、『とんでもない、の間違いじゃないの?』からですな」

「……盗み聞きとは美しくないですわね、碇さん」

後ろにいる赤木リツコが突っ込みを入れる。

「ふむ、それを言われるとぐうの音も出ませんな」

ほのぼのとした会話、だがその横には、やや青筋を立てた女性が1人。

「……とりあえず、中に入りましょうか、お2人さん……?」

その声に、さしもの二人もしばし無言を通すしかなかった。

■ 第3新東京中央病院特別病棟・404病室 ■

部屋に入るとミサトは後ろ手に鍵を掛けた。これでこの部屋は密封密室(もちろん、防音の個室である)であり、彼ら以外にこの部屋での会話を聞くものはいない。

その様子を見届けてからリツコはおもむろに医療機器を確認し、部屋の中をチェックする。

この部屋で交わされる会話は彼女たち以外の人間に聞かれては絶対に困ることだ。

それが、この組織における彼女たちの立ち位置だった。あるときは飼い主の命令に忠実な飼い犬であり、またあるときは野に放たれ自分の意思で動く狼でもある。研究者として、復讐者として。そして同時に猫を溺愛する可愛いもの好きの女性だったり家にペンギンを飼う寂しがりやの女性だったりもする。キューティーハニーではないが、彼女たちは悠々とそんな多面性を生きる。

すっかり秘密の空間を作り出すと、リツコは目の前のベッドに所在無さげに座る老人、碇シンジ翁に話しかけた。

「お加減はいかがですか?」

リツコは医者の口調で話しかけた。仕事をしているだけ、という調子だ。

「まあ、悪くはありませんなぁ」

こちらも老人ホームの爺よろしくふわふわと答える。

まるで茶番劇だった。

しかし、ここにはそれをよしとしない人物が1人混じっている。隣にいる白衣の女の言葉を続けさせないでおこうとするかのように、ミサトは矢継ぎ早に話しかけた。

「それは結構。なかなか食えない方のようですから、単刀直入に伺います」

しかし老人はあくまでも茶番を続けるつもりのようである。

「何でしょうか? 葛城殿?」

口調ははっきりと下位の士官が上位の士官に話しかけるときのそれだったが、この状況でははっきりと冗談だった。

おちょくられている、とミサトは感じた。お世辞にもお茶目とは言えない。どうやら私、相当この人に嫌われてるみたい。仕方ないけど。……それとも、体のいい遊び相手を見つけたから遊んでるだけ? ……腹が立ってきたわね……。ミサトはその内に渦巻く様々な思いを沈めるために少しため息をつきながらも、ポーカーフェイスでカードを切る。これでも、国際組織の作戦部長を務めているのだ。しかも、切るカードは、とっときの切り札だ。「パンツを脱いで股を開いてるのよ」と言ったら隣の相棒に白い目で見られたけれど、食いつかないはずは、ないのだ。

「……娘さんについて、知りたくありませんか?」

静かに述べられたその言葉に、ピクリ、とシンジの眉がほんの少しだけ、動いた。さしもの老人も自分の娘の話に至ってははぐらかしきれまい。それがミサトの予測だった。

その予想はある程度は当たった。しかし、ミサトはこの老人の粘り強さを知らなかった。

「……ただとは、おっしゃいませんでしょう?」

ゆっくりと、それだけを述べた。

午後四時、カーテンの隙間から少しずつ西日が差す病室を、静謐な橙色が埋める。それは山吹にも近い橙で、あたかも老人を遅れて呼びに来た死が周りを包むようだった。黄泉に続くような黄色と、音のしない空間。

その中での、死にも近しい五分の沈黙の後、シンジは言葉を続けた。

「……あなた方は悪い方ではなさそうだ。ですが、私はあの男の戯れに付き合う気はないんです。今は、訊かずにおりましょう。期待はずれで、申し訳ありませんが」

その言葉を述べた後、老人はしばしばと瞬きをして、ベッドの横の病人用テーブルを眺めて言った。

「日本茶と茶菓子は、いかがですか?」

『これで終わり』の宣告だった。



部屋から出て、二人の女性は自分達の試みの失敗を自覚した。

ミサトにやり、と笑った。生き意地汚い笑みである。この笑みを浮かべられるところが、彼女の強さだ。

「なかなか、厳しいおジイちゃんね。全く、心強いわ」

その言葉に対応するように、リツコは微笑を浮かべた。この笑みこそが、先走りするきらいがある相棒を押しとどめるついたてとなる。

「諦めるわけには、行かないわ。……落とすわけには行かない、鍵だもの」

その言葉に、ミサトは頷き、つかつかと歩き出した。

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