Evangelion G.G-side 

第四話「懐かしい面影」

■ 使徒を殲滅した次の週 ■

第3新東京市のとある中学校に、新しい用務員が配置された。学期の途中、しかも特に移動する者も無い中での新しい用務員の配置は、現場の教職員にも違和感を感じさせるものだった。しかしそれもほんの数日のことで、少し話題になった後はあっさりと忘れ去られていった。

「ほい、よっ、ほい、やっ」

校舎裏に掛け声が響く。

もちろん、授業中にそんな声を耳にするものは誰もいない。

「ふいー、こんなもんかいなぁ」

腑抜けた声。しかし、その声の主の姿を見ればその感想は消えうせるだろう。

声の主たる老人、碇シンジは、若い者でも持つのが辛いであろう古材木の束を軽々と肩に乗せて運んでいた。

碇シンジは、つい数日前からボランティア職員として第3新東京第壱中学校に勤務していた。勤務時間は朝十時から夕方四時、勤務内容は校舎内の掃除と、電球の交換などなど。

なぜ、こんなことをしているのか、と問われれば、本人の希望である。シンジは、自分は庭弄りを趣味とする仕事好きの老人であり、訓練以外一日家にいるという生活には馴染めそうもないと申告したのである。そこで、警備の都合も兼ね、この中学校での勤務につくことになった。

もっとも、本人は警備の都合の話は聞いていない。も一1人のパイロットである綾波レイに関することは、未だ老人には伏せられていたからだ。

未だ物語に登場しない少女。彼女達にとってのもう一つの「鍵」である。


「……どうするつもりよ?」

赤いジャケットの女が問う。葛城ミサトである。

ネルフ本部、赤木研究室。本部で唯一、その機能を直轄するスーパーコンピュータ『MAGI』に接続されていないスタンド・アローンのコンピュータが置かれているそこは、彼女たちの密かな牙城であった。

彼女たち――ネルフ作戦部葛城ミサトと、ネルフ技術部赤木リツコである。

薄暗い部屋の中で、二人はひそやかに話す。ここで話されていることは、彼女達が知るはずのない事柄についてだ。

「どうもしないわ」

白衣の女が答える。赤木リツコである。彼女はぱたぱたと気だるげにキーボートを叩きながら、友人であり相棒である女にそのまま問い返す。

「なぜ?」

要領を得ない会話は、未だ盗聴・盗撮のチェックが終わっていない室内で話すための工夫だ。具体的な単語を出すことは出来ない。

「だって」

不満気な表情のミサト。

「なるようにしか、ならないわ」

こちらはあくまでも冷静な表情のリツコ。チェックが終わると、短く「もう、いいわよ」と言った。

「これって、わざと、よね?」

ミサトはそう言って、手元の書類をリツコに示した。そこには「碇シンジ、今日付けで第2中学校に配置」とあった。

「そう、彼が居ない間にね? マギの判断、ということになっているわ」

「彼」の言葉にアクセントを置いて言う。

「彼、ってそんな気持ち悪い言い方止めなさいよ。司令でしょ、司令」

いつものように突っ込む。目の前にいる自分の相棒は、本組織の総司令の愛人――彼にはもはや妻はいないから、恋人と言ってもよさそうなものだが、ミサトには「愛人」の淫猥な響きの方がしっくりくる――である。

「でも、私の『彼』だもの」

御年三十になる女性の発言としてはやや引いてしまう言い方である。

「……いつもながら、趣味を疑うわ。オヤジスキーね」

心底だるそうに言い返すミサト。

「いつも同じ切り替えし方ね。芸が無いわ」

「それ以外に何か言うことがある? マニアック過ぎてついてけないわよ」

「少しは、応援してくれたって……」

三十路を過ぎてものろけているときは女の子、いじけ始めるリツコ。

規定路線である。

「はいはい。で? どうすんのよ、これ。レイとぶち当たるわよ? 確実に」

何とか話を元に戻す。リツコもそれに合わせ、さっきまで床にのの字を書いていた指をキーボードに戻した。

「ぶち当てる、のよ。彼……碇老人が先にレイに会わなければ、司令は何らかの方法でレイを隠し、本部内に厳戒令を敷いて碇老人にレイを隠すでしょう。現に、私達には既にレイの情報を伏せるよう指令が下りた。……いち早く彼にレイを会わせなければ、「切り札」の意味もなくなるの。このカードの切り時を待つ時じゃないわ。もちろん、こっちのカードの『絵』が消えたって私には痛くも痒くも無いけどね?」

その顔は、女の表情を垣間見せる。

「あんたね、さりげに怖いこと言ってるんじゃないわよ。まったく、中学生相手に。恋愛なれしてない女ってこれだから……いや、止めなさい、リツコ。私、軍人なんだかんね?」

その声の向う先には、笑みを浮かべながらなにやら怪しげなものを持つ赤木リツコがいる。

「冗談よ。これはただのL.C.L.反応液。無害だわ」

お決まりの展開に少しうんざりしながらも、きっちり突っ込んであげるのは相棒の情というものだ。

「どーだか。……でもまあ、これもやむなし、かあ。何とかこっちに引き込みたかったんだけど。作戦部としても、つまんないことでレイを失いたくは無いし。……こんなことだったらあの時教えときゃよかったかしらね? さわりだけでも」

「かも知れないわね。でも、ああはっきり言われるとね?」

「そうよねえ。言い損は、ね」

「……でも、これを機会にして、彼がこちら側に転ぶ可能性も、否定できないわ。そうなれば、これも無駄ではない」

「ま、それを祈るとするか」

ミサトはモニターに映るレイの顔と、シンジの顔を見た。この老人は未だ、状況の鍵であった。もう1つの鍵であるレイを見て、彼はどう、動くだろうか。

■ 昼休み、体育館裏 ■

そして出会うべくして彼らは出会う。

昼休みの体育館裏、食事をするのに来るには少し薄暗すぎるし、男女のつかの間の逢瀬には少し明るすぎる、そんな場所である。普段ならば誰も来そうにないそんな場所に、華奢な女の子が1人と、それを囲む男の子が2人いる。見るからに「女の子に絡む男の子」という感じの絵であったが、実際にはもう少し複雑な状況であった。

囲まれるは、エヴァ零号機専属パイロット、綾波レイ2尉――赤木リツコと葛城ミサトが言うところの「もう一つの鍵」である。

囲むは、彼女と同じクラスに所属する、鈴原トウジと、相田ケンスケ。ともに、パイロット候補である。

そして、そこに遭遇したのは、「状況の鍵」たる老人、碇シンジ。

偶然ではない。綾波レイには本来ならば常に周辺を警護している警護係が、最低でも3人はいるのだ。

状況を説明するには、それだけを述べれば十分だろう。


こうして役者は揃い、仕立て上げられた舞台の幕が上がった。


「……何」

無表情な声。綾波レイの発した声である。水のように透き通ったアルトの声は、対する鈴原トウジを余計に刺激する。

「澄ました顔で『……何』とか言うてんちゃうぞ」

「だから、何」

「あーもー調子狂うのう」

さっきからこの調子である。関西弁でまくし立てるトウジと、少しの動揺もなく受け流すレイでは、会話が成り立たないのだ。

見かねたケンスケが助け舟を出す。

「なあ、綾波?」

「何」

「キミは、あのロボットのパイロットなんだろ?」

その言葉に、これまで何を言われても他人事のように上の空だったレイが、ふっ、と顔を曇らせた。

「……ええ。一応」

その言葉は、先の会戦で完膚なき勝利を収めた初号機パイロットと自分を比較しての言葉であったが、トウジには、その口調とあいまって「そんなつまらないことを訊くのか」という風に聞こえた。

「……でさ、この前の戦いでさ、こいつの妹、怪我しちゃったんだよね」

「……そう」

それしか言うことはなかった。自分が乗っていたのではないし、あれ以上の結果など、考えられなかったのだから、どちらにしろ責任はない。

しかしその言葉は、トウジをついに怒らせた。顔が真っ赤に染まる。

「何がそう、じゃドアホ! お前のせいでなあ、俺の妹、まだ病院に入院しとるねんぞ!」

「……私のせいじゃない」

どこまでも食い違っていく会話。トウジは、相手が女の子であるということにも気が回らなくなり、思わずその胸倉を掴み上げた。

「おい! ちょ、止めろよトウジ!」

「止めるな! 俺はもう我慢できへん! 相手が女でも……」

「女でも、なんじゃね?」

「女でも……え?」

「何をしとるんじゃ、おんしらは。女の子一人に大の男が二人よってたかって……」

トウジが振り向いた声の先……ちょうど校舎の影になっているところには、竹箒を担いだ老人がいた。老人はどう見ても年齢にそぐわない速さでどんどん近づき……ついに、トウジの目の前に迫った。その柔和な顔に似合わぬ、鋭い目をしていた。

「喝!」

ぶん、と老人が竹箒を跳ね上げれば、掴んだ手は離れ、トウジは真後ろでその肩を掴んでいたケンスケのほうに倒れた。その一方、持ち上げられる力を失ったレイは、崩れ落ちつつも老人の腕にしっかりと抱きとめられた。

その挙動、まさに一瞬。中学生の男子が二人いて、九十歳の老人の動きに全くついていけなかった……?

ケンスケの額に冷や汗が走った。

「何か事情があるようじゃな。でもなあ、女の子に手をあげるのは、いかんじゃろう……? のう」

「は、はい」

老人の剣呑な声に、ケンスケは思わず上ずった声で答えた。トウジはと言えば、痛いのと、その心にあった後ろめたい気持ちを言い当てられたのとが合わさって、ただ、俯いていた。

「……もう行きなさい。この子は、ワシが連れて行くから」

「……は、はい! ……すいませんでした」

「そりゃあ、この子に言うことじゃな。そこで下向いてる阿呆と、二人で。……ほれ、早く行かんと、今度はこの竹箒がおんしらの頭に落ちるぞ。頭が割れてもいいんか?」

その言葉にビクッと身を震わせたケンスケは、俯き続けるトウジを何とか立たせて、小走りで去っていった。


去っていく子供達を見送ったシンジは、まだその腕の中にある少女を見下ろした。

「さあて……どうしたもんかねえ」

シンジは物陰で聞いた会話を反芻していた。この子は、自分があのロボット……エヴァのパイロットだ、などと言っていた。何であの子供達がそんな結論に至ったのかも謎だったが、それをこともなげに認めたこの少女も、やはり謎だった。

「まさかなあ……大方、不良少女のはったりか」

そうとしか思えなかった。自分の腕の中でいまだぐったりしている少女は、よほど化粧が濃いのかやけに肌が白く、髪も、普通の人間ではないような、蒼みがかった銀髪をしていた。どうみても、不良少女である。

しかし……それにしてはどうも、おかしな感じがするのも事実だった。先ほどの口調は、はったりをかますときに出るような、自分を誇示するような態度が見られなかったし、化粧や染髪にしては、その肌も髪もやけに自然な感じだった。シンジは若い子のファッションには詳しくはないが、たとえどんなに技術が進んでも、ここまで自然な化粧があるものだろうか?

そんな風に悩むうちに、腕の中の少女は、ううん、と呟いた。そして、シンジの、誰に聞かせるつもりでもなかった言葉に答えた。

「はったりでは……ないわ……」

果たしてそれは、エヴァのパイロットとしてのプライドが言わせたものであったのか、それとも、ただ自分を助けた老人の言葉の間違いを正しただけだったのか。

「なんじゃあ、嬢ちゃん、気付いとったのか。これは失敬」

シンジは言いながら、少女を抱き起こした。しかし、少女はそんなことには気にも留めず、キッとシンジを睨んで、言った。その目はまるでウサギか何かのように赤かった。


初めて少女の顔を見て、シンジは思わず息を呑まずにはいられなかった。


「……はったりでは、ないわ。私は、エヴァンゲリオン零号機専属パイロット、綾波レイ」

レイは一息でそう述べると、その赤い目でまた老人を見た。

「……ユイ……」

目の前にいる少女、肌は抜けるように白く、髪は青白く、目は赤い。どこをとっても日本人離れした少女は、しかし、碇シンジの娘ユイと同じ顔をしていた。正確には、その子供時代と、であったが。

「……誰? ……あなたは、私の向こうに、誰を見るの」


その言葉の終わらぬうちに。

老人はその少女を抱きしめていた。

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