ふうっ、と口から煙を吐き出して、リツコは少し罅の入ったモニターを見た。相棒が一通り暴れてから部屋を去って、既に二時間がたつ。そろそろ部下の日向マコトやら、さっき手伝いに生かせた彼女の部下の伊吹マヤやらと一緒に、荷物をまとめて運送屋に手渡しているころだろう。明日から、彼女は第2新東京近くの戦略自衛隊駐長野屯地勤務となる。
しかしそれも、次の使徒が現れるまでのことだ。結局、あの男は葛城ミサトを呼び戻さざるを得なくなる。
「あの子も、駒だものね。……腐ってないで戦自にパイプくらい作ってくれれば、さまさま、ってところかしら」
彼女以外には誰もいない部屋で、一人呟く。……が、突然声を掛けられた。
「駒、ねえ。俺もそうなんだろうな? リッちゃん」
リツコが驚きもせずに後ろのモニターを振り向けば、そこには彼女の旧友……が仕掛けたであろうソフトが動作していた。加持リョウジ。ネルフドイツ支部勤務の、諜報のエキスパートである。ため息をつきながら、リツコは言った。この部屋のどこかに、恐らくは彼女の調査にも引っ掛からないように周到に仕掛けられているであろうマイクに向って。
「あっきれた。ずっと聞いてたの? 加持君。……ま、そんなことだろうと思ってたけど」
そういいつつ、ゆっくりとキーボードを叩き始める。
「連れないなあ、それが久しぶりに会う旧友に対する態度かい?」
キーボードを叩く速度をどんどん上げつつ、リツコは答えた。あくまでも、その顔に微笑を絶やさない。
「他人の部屋に耳をつけるような下品な旧友は要らないわ。それに、気にしてないの。ここで話す程度は、どうってことないし……どうせあなたなら、飼い主様に流さないでしょう、ここでの話」
そういうと、リツコは少し手を止めた。
「……何故、そう思う?」
加持の声が、少しの動揺を含んだものに変わった。把握されるのが怖いの? 馬鹿ね。そんなことを考えながら、最後のコードを打ち込む。
「……だって」
笑いながらそう言って、リツコはキーボードを叩き終えた。
リターンキーを押す。
「まだ好きなんでしょ、ミサトのこと。だからよ。好きな女には弱いもの、加持君は」
言い終わる頃には、ソフトは消去されていた。リツコの最後の声が、加持に聞こえたかどうか。
「まあ、そのうち、分かるでしょ。とりあえず、こことは、しばらくお別れね。理由は……なんとでもなるか」
そう無責任に言いながら電源を切ったモニターには、昨日と同じ場所に座る老人と少女が映っていた。
「ほれ。羊羹は嫌いかの? 煎餅もあるでな」
用務員室にて、老人と少女はお茶を飲む。なぜか年中常備されるコタツと、同じく年中常備の極寒気温限定エアコンが作り出す不思議空間のなかで仲良く。そこには、既に失われてしまった冬が再現されている。
「いい。太るもの」
「嬢ちゃんは痩せすぎじゃ」
「そう」
言って、ずず、と熱い緑茶を啜る。用務員室の外ではまさに汗を垂れ流しながら生徒達が歩いているのだが。それはさておこう。茶を啜る動きも爺臭いが、それも横にいる老人の動きを見よう見真似で真似ているせいである。彼女は、こんな飲み物を飲むのは、生まれて初めてだった。
「そうじゃよ。細っこいのう、普段は何を食うとるんじゃね? いやあ、最近の子供のことは分からんでな、訊くんじゃが」
少しの言い訳を交えながら、ゆっくりと、少女の生活について訊く。
「これを、摂取している」
少女が鞄から取り出したのは、各種栄養剤。
「……うまいかね?」
「栄養は十分だもの」
答えになっていない答えを返す。うまい、うまくない、その判断が、既に彼女の中には希薄だからだ。
「……おいしい、と思うかい?」
めげずに訊く。
「好きじゃ、ない」
「ラーメンの方が、おいしいもの」
ラーメン。いつかリツコが戯れに作って彼女に食べさせた料理である。しかし、そんな事情を知ることもないシンジは、その答えに、にんまりと顔をほころばせた。
「そうか、嬢ちゃんラーメンが好きか」
「……肉は嫌い」
会話が噛み合っているようで噛み合わない。めげない、というより、そんなもの、と割り切って続ける。
「……のう、嬢ちゃん」
「何?」
「……嬢ちゃんに、話さなきゃぁならんことが、あるんじゃ」
「そう」
興味無さげで簡潔に聞こえる受け答えだが、その視線は柔らかく続きを促している。かなり、打ち解けているらしい。誰も見るもののない部屋、その雰囲気は柔らかく、彼らを包み込んでいた。
しかし、そのとき。
きーんこーん、かーんこーん。
「……む」
「行かなきゃ。五限目が始まる」
「そうかい……すまんのう。引き止めてしまって」
「……いいの?」
述べられる疑問。実際、彼女が回りに興味を示すこと自体、初めてに近いのだが、シンジはそこまでは分からない。ただ、少女が気に掛けてくれている、ということを喜んだ。
「なに、嬢ちゃんとはいつでも話せるでな」
「分かった。……それじゃ」
昨日は、返事も返してくれなかったが、と、老人は心中ひそかに呟く。
「放課後にでも、暇だったら寄っておくれ」
「……分かった。さよなら」
そう言い残すと、少女は極寒の部屋から灼熱の外へと出て行った。
人知れず、というか、当然のようにその光景はゲンドウもチェックしていた。目と耳――彼の、十八番である。
司令室で腕を組み一部始終を見終わった後そのまま画面を消す。
「ふむ。なかなかに手練手管だな。孫への愛がなせる業かな」
隣に佇む男、シンジとは最も感覚が近いであろう冬月コウゾウは言った。
しかし、ゲンドウは黙して語らない。
老人をいじめてやろうと遠まわしに欠陥品のエアコンを配備するなどねちねちと苛めていたのだが今回はその結果が裏目に出てしまった。
全部が真実というわけではないが、その気持ちが少しもなかったではない。彼はあの老人のことは嫌いだった。
……一つだけヒントを出しておけば、正確には欠陥品ではなく、業務用クーラーであり、それも上がってきたミス書類を通した、というだけの話だ。これが何を意味するのかは後に明らかになる。
「どうする碇。まだ兆候がある程度とはいえ、レイが心を開きつつあるのは計画に支障をきたさないか?」
「問題はない。もうすぐ、あの男も来る」
男にしては珍しく不機嫌を隠しもせずにふんと鼻息荒く返す。
さて、そううまく行くかな? そう言いたげに、冬月は隣の男の顔からゆっくりと視線を外すと、老人がやってくるであろうドアを見つめた。