戦略自衛隊第三師団が駐屯している長野駐屯地は、第2新東京市と第3新東京市を結ぶ線上、に基本的には位置する。長野県の南端から山梨県にかけた一帯……先ほどの線上を、ほんの少しだけ東側にずれたところに、その駐屯地は鎮座している。
非公式には、この駐屯地は、第3新東京市を"ある特定の災害"が襲った場合に、第2新東京市を守る最後の砦として機能することを目的として計画、設置されたという。そのため、第3新東京市に襲う"ある特定の災害"に関する対策・研究も行なわれている……その研究内容は不明。
ネルフ諜報部からくすねたそんな資料を読みながら、ミサトはため息をついてシートに背中を預けた。
もうすぐ甲府市を突っ切り、駐屯地に辿り着く。
そう、「辿り着く」。
既に家を出て二時間近くが経過している。第3新東京市から、乗り換えて、乗り換えて、乗り換えて、また乗り換えてここまで来た。通勤にほとんど時間が掛からないネルフに比べれば、雲泥の差だ。
とりあえず、今週中はこうやって通い勤務と引継ぎ、そして来週からは正式に当地勤務になる。第2新東京市のお膝元、嫌な仕事だ。我が上司が自分をどうやってここに捻じ込んだのかは分からないが、その無駄に溢れている政治力に思わず感服してしまいそうになる。案外、ネルフの恥、という噂に隠れてスパイ活動でもして来い、というのが本当の狙いかも知れないが――
「……一応、古巣だもんねえ」
そう、もともと防衛庁からの出向組である自分にそんなことを言われても、ミサト困っちゃう、なのだ。
困っちゃう要素は、いくつかある。まず、戦略自衛隊はややこしい。国連軍編入の、いわゆる「取られちゃった組」以外、即ち旧来の自衛隊勢力の非主流派と、それ以外の雑多な……傭兵崩れだの、セカンドインパクト後大量に流入した移民に対する緊急急募だので「仕入れた」兵士で構成されているそれは、組織人員を見てもなんだか乱雑で、またその装備も国内向けという感じで、二重になんだかなあ、という感じの組織だった。その分、指揮系統はきっちりしすぎるほどきっちりしているので、とりあえず軍隊というレベルではあったけれど、あっちでやってることと、こっちでやってることが違う、なんていうのは良くある話、らしい。
一度は官庁に入っていた自分としては「んなもん警察省直下で対テロ・内乱鎮圧の特殊部隊でも作ったほうがなんぼかマシ」が持論なのだが、国家のメンツとか政治が関わるとそうも行かないらしい。多少乱雑でも、内務省で監督して動かせれば構わない、と言ったところなのか。
そして、そういう「気持ち悪いこと」が気の抜けたビールより嫌いなミサトは、大昔「それってただの私設軍ですよ」と言ったような研究報告か何かを出して、大目玉をくらったことがあったりなかったり。きっちりと軍隊を作るには、この国はやる気が足りなさ過ぎたのだ……そう、ミサトは思う。特に、ドイツ支部に勤務していたりすると、よく分かる。
「……ま、とりあえずお邪魔しますか」
いい加減頭が痛くなってきたので、考えるのを切り上げて窓の外を見た。山梨の山奥には、どこまでも緑の山が広がっていた。セミの声が響く。
「……しまった。虫除けスプレー、持ってくるんだった」
言ってから「……使徒が来なけりゃ、こういうのも割といいのに」と少し思ったミサトだった。
「葛城ミサト一尉、本日をもって戦略自衛隊第三師団に着任いたします」
敬礼。目の前には、見事に禿げ上がった頭を光らせた年配の男が一人、立っている。この駐屯地の責任者――師団長である。どうやらどこかのお役所上がりの人物らしく、あまり気迫は見えない。隣にいる秘書がきっちり人を殺せる類の眼光をしているのと、偉い差だな、と思いつつ、敬礼を続ける。嘗め回すような視線に耐えている間、ただミサトは窓の外から聞こえるセミの声を聞いていた。
「いやいやお美しい。かの名高いネルフからご出向とのことでしたのでてっきりさえない男がくるものとばかり(大意:ふん、誰かと思えば小娘か……若造が。)」
「ほほほ、ご期待に添えず申し訳ありません。若輩の身でありますが、ご指導のほどよろしくお願い致します(大意:ふんっ、この油ハゲ……ったくなんでこんな親父となかよくやんなきゃいけないってのよ!)」
白々しい会話、これも大人のたしなみというものだ。
「それでは、葛城一尉、こちらに」
師団長の隣にいた男が、すっと言葉を掛けた。場に似合わない、透き通った雰囲気の声だ。なんにしろ、この会話から抜け出せるのは、ありがたかった。
「はい。……ええと」
ミサトは改めて師団長の隣で異様な眼光を放っている男を見た。男は相変わらずの通った声で答えた。
「桑山です。桑山ハシオ一尉です」
桑山は奇麗な顔をしていた。ミサトより少し若い、二十代後半の男だ。頬は少しだけこけ、顎の線が尖っている。戦略自衛隊という軍隊……それも、かなり戦闘的なそれにありながら、彼は場違いなほど痩せている。しかし、それでも隣にいるお役人師団長よりも違和感がないのは、その目のせいだった。鋭い。特に睨んでいるわけでもなく、笑みすら浮かべているのに、やたら鋭い。
目を合わせ続けることができず、ふっと目を逸らしてから、ミサトは言った。
「さっきも自己紹介したけれど……葛城ミサト一尉です、宜しくお願いします」
二人は部屋を辞し、廊下を歩き出した。
「さっきはどうも」
「いえいえ。しんどいでしょ? あのひと」
ほんとに、とは言わず、ミサトはただ笑みを返した。それを見て、桑山はふっと口の端を吊り上げて笑った。奇麗な顔に似合わない笑い方だった。
「んー、ガード堅いっすね、葛城さん」
「戦自じゃとりあえず口説くのが礼儀なの?」
「だってここ、女の子いないんですもん。それに、みんな殺伐としてるし。……俺も、あのひとと同じで、お役人なんです」
少し驚いて、ミサトは訊き返した。
「ほんとに? どう見ても軍人だと思ったんだけど」
そう言うと、桑山は、言われなれてるんですよそれ、と言ってから、付け加えた。
「何でなんですかねえ、俺、そんなに目つき悪いんでしょうか」
こいつも……食えない男だ、どうして自分の周りには、あいつといい、碇さんといい、こいつといい、食えない男ばっかりが寄って来るんだろう。何かついてるのか、私には。と、ミサトは心中で嘆いた。しかし、その間を、桑山は拒絶と取ったようだ。
「おっと、すんません、警戒させちゃったみたいで」
「……お前のことだから、んなことだろうと思ったよ」
不意に、桑山の声にもう一つの声が被さった。後ろからの声だ。ふっと振り返ってみれば、そこには、こちらは桑山とは違って精悍な顔つきをした男が立っていた。
「んだよー、キク、わざわざ突っ込みに来たのかよ」
「るせーよ、ハシ、助け舟を出したんじゃねーか。……と」
もう一人の男は、ミサトの前に立つと、敬礼して言った。
「失礼しました。お初にお目にかかります、私は第二中隊所属、桑山と申します」
その言葉に、ミサトが眉をしかめると、慌ててよこにいる桑山……ハシオのほう、が言い添えた。
「これ、俺の兄貴なんです」
「失礼、桑山キクユキと言います。階級はこいつと同じく一尉です。以後、宜しく」
「以後……ということは、私の着任中、ご指示くださるのですか?」
「そうなります。一応、所属としては私の隊ということになります」
「というと?」
「葛城さんは、基本的には戦術シミュレーションなどの訓練が主となります。今さら、というところですが、とりあえずお付き合いください」
ミサトは、むっ、と一瞬顔をしかめたが、すぐに表情を取り戻した。そうだ、この人が決めたことではないし、戦術シミュレーションなら得意中の大得意、せいぜい、打ち負かしてやればいいのだ。
「ええ……けっこう、手強いですよ? 私」
こうして、ミサトの孤独が始まった。