『……で? 使徒は倒せたのよね? 私が生きてるってことは』
電話口から響く嫌な声に、リツコは眉に皺を寄せつつ答えた。
「……一応はね」
パシュ、という音が遠くから聞こえた。
『もう、大丈夫よ』
大丈夫、の宣言が出て、リツコはほっと一息をついた。ネルフの車両に乗り込んだのだろう。
「そちらに映像を回すわ。見てね」
映像。職員一同を驚愕させ、ネルフ司令である碇ゲンドウに、葛城ミサト召喚(あくまでも、召還ではないのが困ったところだが)を決意させた映像である。
数分の沈黙の後、帰って来た言葉は『何これ』という実にあっさりとした言葉だった。
「使徒戦、よ」
『見りゃ分かるわよ。MAGIに合成でも作らせたわけ? なんなのよこの特撮モノは』
「合成じゃないのが、困ったところよ」
『……はあ』
「……碇特務二尉は、昨日まで謹慎。今日は出てくるわ」
『私がつくころには顔を出す?』
「そう」
『……わーったわ。んじゃ、詳しくはそっちで訊く。「耳」ざとい人もいっぱいいらしゃるみたいだから』
そんな皮肉めいた口調の言葉が聞こえると、通信は切れた。
リツコは、もう一度再生ボタンを押すと、うんざりしたような口調で呟いた。
「……まったく、大した人ねぇ……必殺武器でも作ろうかしら」
状況は絶対絶命と言えた。
新米の指揮官は使い物にならず、後手後手に回った作戦は、初号機、及び専属操縦士碇シンジ特務二尉を絶体絶命の状況に陥れていた。
そして、ここに来てまた新たなトラブルである。やっていられない。
リツコはモニターを見た。初号機の陰にいるは民間人。なんでまた。
「退却してください」
これで大人しく引き下がってくれればよいが、とリツコは思った。この老人、見たところ、実際は酷くわがままな男だ。
そして当然のごとく、老人は慇懃無礼に命令をぶっちぎった。
「失礼、上官殿の命令ながら、承服しかねます! 足先に子供が居る以上、置いては下がれません」
でしょうね、と言うと、リツコは諦めたように続けた。
「……では、回収してください。いいですか? 電源はあと3分しか持ちません」
「……! 先輩!?」
隣にいる部下、伊吹マヤが驚愕の視線を送った。確かに、こういう言葉を私が発してよいものか、という気持ちはリツコにもある。
しかし、隣にそれを言うべき人間がいない以上、彼女が言うしかないのである。
「……赤木さん。すみません。ひとえに私の我儘であります」
「私たちの仕事は、人類を救うことだもの。……………………詭弁だわ」
ミサトの言うであろう言葉を口に出してみて、自分の言葉に自分で空寒くなった。
モニターを見ると、早速碇老人は民間人の回収に当たっていた。エントリープラグ排出、民間人格納、流れるように作業が進む。まだ二回目の出撃だというのに。そして、民間人が騒いだ途端、
「喝!!」
めちゃくちゃな声量の声が発令所に響いた。ふと隣を見れば、情報部の青葉シゲルが盛大に倒れている。あの声量をヘッドホンで耳にしたのだから、当然のことであろう。鼓膜が破れてなければいいけれど。
「黙れ! 大の男ともあろうもんが狼狽しおって! しばらく眠っとれい」
眠る? そう疑問に思ったリツコは、ハーモニクスの表示を見た。
「そんな……ハーモニクスにずれが出ないなんて」
驚愕に襲われるマヤを睨んだ。
「意識を失っていれば、ただのオブジェクトとして処理できる。彼程度のシンクロ率ならそれも可能、か。……強運ね」
唄うように呟くと、日向のほうを見た。上官を追い出した以上、彼が現時点での作戦課長である。
「どうするの? 日向君?」
「……後退しかありませんね。零号機が動かない以上、どうにもなりませんが……電源がないのは致命的です。初号機を破棄する作戦は許可されないでしょう」
正しい判断だ。とリツコは思った。後は、このお爺さんの無茶を期待するだけだ。ミサトならどうするだろう。恐らく、無茶をするのだろう。…………やっぱり、こういう無茶な戦場には、ああいう無茶な人間が必要なのだ。
そう思いながらため息をつくと、リツコは戦闘態勢に入りかけている初号機への回線を開き、言った。
「命令です、退却しなさい」
「イヤです」
それは、先ほどとは違って、自らに大義がないことを良く理解している声だった。やけに哀愁が漂っている。
「わしが引けば……引けば……レイが! レイが!」
「いや、零号機はまだ凍結ちゅ
「見とるかレイ! わしはやるぞ! お前のために!」
……面白いわね、この人。バックに燃え盛る炎を纏うように意気込む老人をみて素直にそう思うリツコ。生憎とその少女はこの場にいないので見る事はかなわなかったが。
どうやらこの老人、自分が引けば彼女が戦場に送られるということを危惧している。そして、残念なことにまったく日向の話が耳に入っていない。
「……訊いてないわね」
そう呟くと、隣にいる日向にボソッと耳打ちした。
「……煽るのよ、彼を」
「え、ええっ…………えっと」
「退却して、何かやることでもあるの? そんなに急に治らないわよ、初号機は。申し訳ないけど、中枢に生涯が発生しているから電源があっても動けなくなるのは時間の問題だと思うわ」
いまだかつて無い命令に戸惑う。そもそも戦場でこんな間抜けた命令を聞いた事なんて勿論ない、が。
「……大丈夫、民間人の方は気絶しているから」
彼らに意識があり、ハーモニクスが乱調をきたしてしまっていればまた状況は違ったのかも知れないが、現時点ではこれが最善策だった。
わかりました、と呟くと、一呼吸おいて彼は芝居がかった口調で喋りだした。その際眼鏡が怪しく内側から乱反射した気がするが、気のせいだろう。
そして――ひと通りの口げんかが終わると、彼は目の前の異形に向って走り出した。
「……勝ったわね」
そう呟くと、隣の日向が思いっきり噴き出した。無論緊迫した発令所では彼らの一挙手一投足には実に目立った。
それを横目で見ると、リツコは「これで、懲戒も彼らにお任せね」と小さい声で続けた。
かくして第4使徒は倒され、作戦部日向マコト及び碇シンジは、3日間独房で謹慎の運びとなった。
「内部電源が切れる前に殲滅。初号機は胸部の中破にとどめ、おまけに余力で第四使徒をジオ・フロントに搬入、か……まったく大した人ね……あなたも」
もっとも、それがなければこの大きなカニは壮大な異臭を放ちながら腐ってしまっていただろう。そう思いつつも口には出さずに、目の前の老人を見た。
「……いえいえ。随分とご迷惑をかけてしまいましたから。そういえば、わっぱ共の様子はどうですかな?」
「彼らは、もうすぐ出てくる頃でしょうか? 特に外傷もなかったので。まあ、耳が痛いと言っていましたけど」
「ふむ……ちと喝を入れすぎましたかな、反省、反省」
まったく反省していなさそうである。
「いいえ? 喝を入れるのはこれからですわ。避難勧告無視の上、危険区域への侵入及び使徒の撮影による情報操作妨害……なにを考えているのかしら」
リツコは一気にまくし立てると、どかっと椅子に座りなおした。
「そんなに目くじら立てることもないんじゃなあい? リツコぉ、皺が寄るわよ、目に」
その声にリツコがドアを見やれば、そこには何だか色が少し黒くなった葛城ミサトがいた。使徒を自らの手で倒せずに歯噛みしているかと思いきや、顔にはにやにや笑いを浮かべている。召喚がいたく嬉しかったという様子である。
「……来てたの」
「ええ、今、ね。……やっほー、碇さん。なかなか面白いことやったみたいじゃないですか?」
のほほんとした挨拶を交わす。自分に責任が掛からない状況だと、こんなことも言えるものである。
「ほっほ……それほどでも。では儂は……わっぱどもの様子をみてくるとしますか……」
ぴしりと空間に亀裂が入るのを敏感に察知し、飄々と逃げ出すシンジであった。
ぱたん。その音にしょぼくれた少年達は顔を上げた。老人にとっては見覚えのある少年達である。
「……調子はいかがかな?」
「あ……おっちゃん?」
「なんでこないなとこにおるんや……?」
口々に呟く声に苦笑すると、シンジは答えた。
「覚えとりゃせんかな? お前さんたちに喝を入れたのは、ワシじゃ」
「そうかいな……」
そう言った少年、トウジには心なしか覇気が無かった。そうか、綾波が言うとったことは、嘘と違うかってんな……。そう思うと、ますます情けなくなる。
「……あー!! じゃ、じゃあ、あなたが初号機のパイロットなんですか!?」
そして反対に、素っ頓狂な声を上げたのが、ケンスケである。2人の態度には火を見るより明らかな差があった。
「……で、何か言いたいことはあるかな?」
「わいらのせいで迷惑かけてもうて……すんません」
「そうじゃな。人的被害は幸いにもなかったが。ひとえにネルフの避難勧告の徹底の成果か。物的被害はそうもいかんところじゃが……いまさら言うても始まらん。これから償えばええ」
「はぁ……」
「それに……見たところ、お前さんはひっぱりこまれただけじゃろう?」
「え? あ、いや、その、なんちゅーか」
「分かっておるて。あの握手は嘘ではないじゃろ。問題は……そこの、どうも分かっておらん奴じゃ。……一言喝を入れさして貰うぞ、ちょっと耳をふさいどれ」
その後、耳を塞いでいなかった少年を悶絶させる喝が、部屋に響いた。