綾波レイは混乱していた。
彼女がいるのは第3新東京市の中心街。普段は行くことのないはずの場所だ。
しかし。今彼女はここにいて、伊吹マヤ二尉の後ろを歩いている。
「えーと、これなんてどおっ?」
「まぁ!よくお似合いですよお客様!」
「そうよねそうよねっ、あっでもこれもいいかも……」
「いえ、この場合ですとこちらの方が……」
何をしているのだろう、とレイは思う。服など、既に持っているのに。
「レイちゃんこれはどうっ!今流行のワンピースだって!」
「どうしてですか?」
「お客様にはこちらのノースリーブとスカートの組み合わせのほうが」
「それもいいけど、やっぱり、このキャミソールも意外性で」
彼女の疑問をまるっきり無視して会話は進む。
そうしてまた店員とマヤの着せ替え人形と化したレイはなぜこうなったのか回想するぐらいしかできなかった。
伊吹マヤ二尉は突然レイを呼び止めた。
「あの、レイちゃん?」
「なんでしょう伊吹二尉」
おずおずと話しかけてくる伊吹二尉に、レイは通常の受け答えを返し。
「あの……なんて言うか……その……ええと」
「特に用がないのであれば失礼します」
「あ、ちょっと待って!」
そう言って、未だに己の内面に向かって言葉を捜し続けるマヤを尻目にレイつかつかと歩き出した。しかし、そんなレイの前にひょっこり現れた老人が1人。
露骨に嫌な顔をするレイ。戦闘記録は既に見ている。
ふざけているとしか思えないその内容に(しかも、その戦闘能力は彼女よりずっと高い)、彼女は何かおかしな(としか彼女には表現できない)感情を抱いていた。
「……どいて」
そんな不機嫌を隠しもしないレイの態度に悲しそうな顔をするが仕方ない、と割り切って老人は続けた。
「あぁ、ちょうどよかった」
「今回の戦闘で特別給与が出ての。レイ……嬢ちゃんに服をプレゼントしようと思ってな」
「要らない。必要ないもの」
すげなく切り捨てる。が、めげない老人。
「女子は着飾ってなんぼというだろう。年頃の女子が毎日同じ服ばかり着るのは関心せん。わしが選びたいが着物ぐらいしか解らん。かといって嬢ちゃん一人じゃとそもそも買いそうにない。で、伊吹さんに選定を頼んだんだが」
忘れ物じゃ、といってレイにカードを押し付けると、そのまま老人とは思えぬ体捌きで廊下の向こうへと姿を消した。
照れ隠しなのか説明口調だけで去った老人の、そのあまりにもわざとらしい出没に、なんとも言えずレイは無言のまま佇んだ。
そこへ忘れ去られていたマヤが声をかけた。
「えっと、ね、じゃ、いこうかレイちゃん」
焦った伊吹が考えさせぬようレイの手を引く。が、ぐっと手に重みがかかる。
振り向いたその先には、彼女をじと、と見つめるレイがいた。咎めるような視線。
「あは、あはははは。ほら、折角のプレゼントだし、ね?」
マヤはそれを無視するように、レイとは目を合わせぬまま強引に突き進んだ。
「命令ですか?」
「え? えーと」
依頼された、って意味ではそうよね? 嘘にはなんないわよね? ……そんな、よく分からない理屈で自分を納得させ、マヤは呟いた。
「う、うんっ、そうそうっあははははは」
「なら、従います」
「なら、従います」というレイの口調に、マヤはほんの少し違和感を覚えた。
あれ、この子、こんな言い方する子だったっけ?
でもま、ひとまず碇さんの頼みごとも果たせるしいいかな。
特に深く悩む事もなくマヤは足を進める。
(三万円までなら一緒に買っていいって言ってらっしゃったし)
そうしてお目当ての服がおいてある婦人服売り場へとレイを連れ出すマヤだった。
「さーてこんなところでいいかなー」
大量に買った服やら下着やらは全て郵送にしてもらい、ウィンドウショッピングを楽しむマヤ。
アクセサリーなどの小物も合わせて買おうとしたが「必要ありません」のすげない一言によって断念せざるをえなかった。
それにしても……とマヤは思う。
この子、何着せても可愛いなぁ。
着るものを選ばないのだ。何を着せても「それなり」にあうのは体のラインがいいからだろうか。このまま着物でも着せてみようか、それよりもなにきぐるみなんて着せたら可愛いかもしれない……と思案しだしたところで、マヤはレイの姿がない事に気付いた。
「あれ?レイちゃん、レイちゃーん?」
マヤの顔が青くなる。誘拐? いや、仮にも保安部などが監視している中でそれは考えられない。だが……? と、思考が仕事方面に傾きかけたところでレイが視界に入った。そこには、レイと見詰め合う同い年くらいの女の子の姿があった。
「?」
「あ、綾波……さん?」
「なに?」
きょとんと、まるでお化けでも見たかのようにおずおずとレイに話しかけている女の子。あれはレイちゃんと同じ学校の子だろうか。顔見知りのようだし、クラスメイトかしら。そんなことを考えながら、マヤは静観の構えに入った。
一方、少女は混乱していた。
目の前にはあの無表情で無感動な制服姿しか見た事の無いレイがいる。
いや、それこそ私服なんて誰だって持っているだろうし、休日なんだから制服を着ているほうが不自然だ。
だが、制服以外を着ているレイという少女は想像できない。が、それが今現在目の前で起こっている。レイは今濃いブルーのキュロットに可愛らしいサンダルを履いて、上はおへそが丸出しの丈の短いノースリーブに麦わら帽子を頭にのせた、いかにも休日にお出かけをする女の子の格好をしていた。
少々ダサいが、これはなんていうか……その……可愛い。
実際のところ、これはけっこう気合のいる恰好なのだが、それがあっさり似合うところは彼女の可憐さゆえか。とどめに真っ黒な目元が見えないサングラスをかけている辺り彼女らしいというか、どこか抜けている感じをあたえてはいた。
「あ、えーと、レイちゃんのお友だち?」
物陰から見ていたマヤだが、ついに話しかけてみることにした。このまま放っておくわけにもいくまい。
「え、あ、はい。あの?」
しかし、声を掛けてはみたものの、そうしどろもどろに返事をされて、伊吹は自分が誰なのか彼女に説明できないことに気がついた。
「え、あ、えーと」
そう言って間を持たせ、考えてみる。しかし、面白いように何にも出てこない。隣を見てもそこにいるのは機転とは程遠そうに見える少女1人である。
そこにかかる能天気なわざとらしい声が一つ。
「やぁやぁ伊吹さん申し訳ないですなぁ。今ようやく使用の方が一段落しまして」
その声の発生源は、確認するまでもない、碇老人である。しかし、レイはそれを確認するや、
踵を返して歩き出した。
「あ、綾波さ」
「レイちゃ」
「さよなら」
その一言で二人の言葉はさっくりぶった切られ、妙に周囲から浮いた少女は雑踏の中へ姿を消した。
「あ……行っちゃった……」
「はぁ……」
「あ、あの元気だしてください、レイちゃんきっと照れてるだけですよ」
「このような不甲斐ない老人に労わりの言葉……感謝します。はぁ……」
(ひーん)
笑っていいものか慰めるべきか。目の前で黄昏る老人を前にマヤは内心で泣き言を漏らしていた。
と、そこへ、鳴る着信メロディ。
「あ、はい伊吹です。えっ、あっ、はい、すぐいきます。すみません碇さん、私これで失礼しますー」
どこからかかかってきた電話の用件をこれ幸いとばかりに受け取り、マヤはそのまま雑踏の中へ逃げるように消えた。
そして、後には黄昏る老人とどうしたものかと思い悩む女の子という実に妙な光景があった。
「あ、あのー……用務員さん?」
「ん? なんでしょう、委員長さん?」
二人は面識があった。週番が仕事をサボった割を食って花の水換えをしているときに二人は出会っていた。
「綾波さんと知り合いなんですか?」
ひとまず疑問に思ったことをぶつける。この沈黙は耐えられない。
「知り合いというか……孫なんですな」
「あ、そうなんですか」
あまりにもあっさりと言われたのでこちらもあっさりと受け入れる。そうか、そうなんだ。綾波さんのお爺さんなんだ。
「なんですが……随分と離れてくらしておりましてな……どうにも仲良くできんのですわ」
「えっと……確かにいきなりだと、戸惑っちゃいますよね」
そうしてまた無言の時間が流れる。
その沈黙を破ったのはまたしてもヒカリだった。
「……よくないと思います」
「どうしたんですか、委員長さん?」
「綾波さんに、服を買ってあげたんでしょう? そういう、物で釣ったりするのって、すぐ分かります。私は、そういうのされると、嫌です」
ヒカリはおずおずと、しかしはっきりとした口調でそう言った。それは孫のために世界を救う老人に対してはいささかご無体な一言だったが、碇老人はこっくりと頷いた。
「分かっとります。ですが……取り付く島もないですのでな……」
言い訳がましい科白だが、本心だった。こう避けられ続けていては、どうにも進展させられない。
……実際のところ、何事にも無感動であったレイがこれだけ一貫して「避ける」という行動を取っていること自体、レイにとって老人がが特別である証だったが、それに気付くには老人は焦りすぎていた。
「そう……ですね。あれじゃあ……綾波さん、クラスでもあんまり喋ったりしないし、難しいかもしれないですね」
言いながら、ヒカリは先のやりとりを思い出した。あれはクラスの中より酷い。あれじゃあ、話も出来ない。
「そうですか。ちゃんと友達はおりますかの?」
溜息混じりの質問にどう答えたものか悩む。その沈黙の間を答えとして受け取った老人はまた一つ深い溜息を吐いた。
「根はいい子なんじゃがなぁ。今のうちに友達ができるのがええんじゃが」
「委員長さん」
「あ、はいなんでしょう」
「失敬、お名前は? 差し支えなければこの爺に教えては貰えませんか」
「あ、洞木です」
「洞木さん、こんな事を頼むのが間違っておるというのは重々承知の上なんですが……あの子を、レイを嫌わんでやってください。友達になってくれとは言いません。友達は頼んでなって貰うもんと違いますからな。ただ、できれば、少しでいいから人との付き合い方とか、教えてやるわけにはいかんでしょうか。あの子は不器用なもんだから」
縋るように、哀れな老人はその姿が小さく見えるほど萎縮していた。
「よければ、気にかけてやってはもらえませんか」
そんな哀れな老人に、少女は、ただ一言朗らかに答えた。
「もう、友達ですから」
そう言って少女は、失礼しますね、と軽く頭を下げた後、レイの去った方向へ駆け出した。
「なんと。……九十年も生きて、十五の女の子に諭されるとは、情けない爺だ。さて、どうするかの」
潤んできそうな目元をこすり、老人もまた雑踏の中へと歩き出した。
そして物語は、ふたたび数日前へと戻る。