Evangelion G.G-side 

第拾六話 「トはトライデントのト」

■ レイが買い物に連れ出された日 戦略自衛隊長野駐屯地・第27格納庫 ■

目の前にあるそれを見てミサトは度胆を抜かれた。

暗い中ではっきりとは見えなくても、一見しただけで分かる。そのフォルムは明らかに通常の車両とは異なっていた。

左右を確認して、ミサトはそっと物陰から足を踏み出す。体勢を低くし、抜き足、差し足で、防犯用のトラップが仕掛けられていないことを確認しつつ足を進めていく。

「こんなんは私の得意分野じゃないってのよ……諜報部にやらせなさいよ、諜報部にッ」

足音を立てぬように細心の注意を払いながら、口の中でそう毒づく。とはいえ、そう言いつつも誰に命じられるわけでもなく「自発的」に情報収集を行なっているのだから、葛城ミサトという人間は期待に応えるというか、仕事の面では抱え込みすぎてパンクしてしまうタイプである。

普段は誰か(主に運の悪い彼女の部下)に押し付けてバランスを保つものの、ここにはその部下はいない。

ぴた、とミサトが動きを止めた。光が見えたからだ。光――懐中電灯の主は周りをろくに確認もせずすたすたとその異様な車両に歩み寄っていった。

(退散か)

ミサトは即断し、息を潜めて気配を殺した。幸いにも光の主は車体の前部を見ているようで、ちょうど逆側、車体の後ろにいる彼女の所にはやって来るようすはない。

車体の陰から覗うと、車体に反射して光の主の顔が照らされていた。

(あれは――)

光の主の顔を確認したのと、光の主がこちらに気付いたのはほぼ同時だった。

「誰だ? 霧島か? ここには入るなと言っておいただろう?」

機密らしき物を見られたにしては少々気の抜けた声とともに、懐中電灯の光が向けられる。ミサトはぎゅっとかがみ、わざと大きな足音を立てて走り去った。

「ありがとね、霧島ちゃん」

ミサトは一瞬照らされた巨大なテールブームを見た。

車体の後ろに長く伸びるテールブーム。そこには「TEST T・R・T-0X HIMEJONE」の識別記号が記されていた。

■ その三日前 歓迎用看板の前 ■

ぴんぽーん。

呼び鈴を押すと、ミサトはこの家の主……そして、呼び鈴の横にある大仰な歓迎用看板の作者であろう人物を待った。

「はあい」

ミサトが見たことのない引き戸の向こうから、ミサトの聞き慣れぬアクセントの返事と共に現れたのは、碇老人の実年齢よりは多少若く見える老婦人だった。

薄く赤みがかったものが混じる髪を後ろ頭でまとめ、痩身に上品なスカートとシャツをまとっている老婦人は、ミサトの頭の中にあった「おばあさん」のイメージをいくぶん上方修正した。

ミサトは踵を糊の効いた制服に合わせるようにぴしゃりと合わせると、その老婦人に敬礼した。

「夜分恐れ入ります。特務機関ネルフ所属、葛城ミサト一尉であります。現在、戦略自衛隊第3師団に出向しております。この度は碇さんのご紹介に預かり、伺わせて頂きました」

老婦人は訪問者の改まった挨拶にしばらくきょとんとしていたが、ややあって、相貌を崩し言った。

「はい、碇さんからお聴きしてます」

ミサトは再び改まって、もったりした口調の言葉に流されて軽口にならぬようにトーンを抑えて答えた。

「恐縮です」

その言葉に、老婦人は再びきょとんとすると、かなり不思議そうな顔で、「あの……葛城さん、ですよね?」と訊いた。関西系のアクセントだった。

「そうですが……何か?」

「いえ……お聴きしてたんと……印象がずいぶん違うもんですから」

何を言ったんだよ。ミサトは辛うじて顔に出るのは押さえたが、心中で思い切り叫んだ。

「いや……あ、あはははは」

ひとまず笑って誤魔化す。どうやら少々堅くなりすぎていたようだった。

ミサトの笑い顔に、ようやく納得したように老婦人は言った。

「こんなところで立ち話もなんですから、おあがりください。さあ」


そして数分後、客間に通されたミサトは、老婦人の淹れた緑茶をすすっていた。

「千代田キミコと申します」と老婦人は言った。

「よろしくお願いします」とミサトは頭を下げた。

…………

気まずい。古そうな時計の音が響く客間には、なんとも言えない重い空気が流れていた。お互いに初対面であり、二人を結ぶ共通項は碇老人ただひとり、そしてこう見えてミサトは肩書きや職務が関係ない人間に対しては、意外に人見知りをする性格である、とこれだけの条件が揃えば、話が弾まないのも当然と言えば当然ではある。先ほどのミサトのやたらきっちりとした挨拶も、人見知りをしそうになるのを抑えるためでもあった。

「あの……」

他人の家でだんまりを決め込む失礼なミサトに、老婦人――キミコが口火を切った。

「碇さんから伺ったんですけど……碇さんとご同居なさっているとか……」

いきなりそれか。そう突っ込むこともできず、ミサトは気持ちの悪い半笑いで答えを返した。

「ああ……一応、警備の都合も兼ねて、なんですけれど……碇さんほどお強いと、どっちが守られるのかわかんないってゆーか……その……はい、まあ、そういうことでして……」

しどろもどろになりながら答える。ある意味、彼女の素はこっちである。

「そうなんですか……いややわ、私また碇さんにこないお若い奥さまがと思ってびっく……」

んなこたぁあり得ませんから!

ドン! キミコのどえらい発言に腰を抜かしそうになったミサトは思わずちゃぶ台に手を突いて身を乗り出し、今度こそ口に出して突っ込みを入れ――そのまま固まった。

化けの皮が剥がれた。

「いや、あの、えっと……なんというかですね……」

再びしどろもどろになるミサト――と、目の前にいる老婦人は口に手を当てて肩を小さく振るわせ、しまいには声を上げて笑い始めた。

「ふふふ……いややわあ、そない大きな声出しはって。耳が左から右へつながってしまうか思た」

キミコは悪びれずにそう言った後、「ああ、良かった。ほんまにガッチガチのおせんべいみたいな方やったらどないしようかと思ったけど、そうでもなさそうで」と続けた。そう言う間にもひっきりなしに、おばさんがよくする「おいでおいで」の動作で手をぱたぱたさせている。

ミサトは目をまんまるにして、目の前の老婦人が「ほのぼのとした天然ボケ系のおばあさん」から「けっこうなボケをかますちゃきちゃきのおばあさん」に変化する様子を見ていた。

まさか……玄関の前の看板から、今までの対応から、全て前振りだったというのだろうか?

「あ……えっと……」

ミサトは後に続けるべき言葉を探し……それがないと分かると、諦めて舌を出した。

「そです。割と柔らかいほうで通ってます。……碇さんはなんと?」

キミコは親からの言いつけを待つ子供のような口調で訊ねるミサトを見て大いに笑った。

「大丈夫大丈夫、『いいお嬢さんです』と聞いてますから」

お嬢さん……ミサトは一瞬閉口し、そして思いなおした。確かに、この方々から見れば自分は小娘に過ぎない。作戦立案能力を取っ払ってしまえば、その人生経験には半世紀近くの差があるのだ。

それに、この歳でお嬢さんと言ってもらえるのはそれほど悪い気分でもない。

「そうです、か。手厳しいですね」

「ねえ。碇さんも人が悪いわ。『家事はできないけれどいいお嬢さんですから、よろしくお願いします』やて。そんな小姑みたいなこと言わんでもええのにねぇ」

けらけらと笑うキミコを他所に、前言撤回だ、とミサトはあくまでも心中で断言した。前言撤回、誰がお嬢さんだ。

「そしてこの老婦人……もとい、ばあさんだ。これも碇老人と同様、一筋縄ではいかない人物らしい。まったく、次から次にややこしい人が……」

「って、変なナレーション付けるの止めてください!」

「でも、思ってはったでしょ」

「う……」

ぐうの音も出ない。

ミサトがばつの悪そうな顔をすると、フォローするように今度はキミコがぺろりと舌を出した。

「あはは。ごめんなさいね。久しぶりに若い方とお話しするから、つい」

懐かしい感じがする、憎めない笑顔だった。

ミサトは緑茶に口をつけて少しすすり、苦笑いをして答えた。

「手厳しいですね」

「お嫌いですか?」

「いえいえ」

そう、こんなコミュニケーションは嫌いではない。ミサトは今は遠く第3新東京市にいるはずの親友(一部保留)を思い出した。

「よかった」

そう言うとキミコは、今度こそにっこりと満面の笑みを浮かべた。初めて素の表情を見せてくれたように思え、ミサトも笑みを返した。

しかし、その笑みも次の言葉を受けて凍りつく。キミコは満面の笑みを維持しつつ言った。

「洗濯や掃除はともかく、料理は明日からきっちり教えてあげる」

――やっぱり、嫌なばあさん。

■ ミサトが料理修行を始めて3日目 千代田家・茶の間 ■

「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末さまでした」

今日のメニューは、塩鮭、味噌汁、その他付けあわせが数品、という誠に標準的な和食である。ビールはキミコが飲まないために冷蔵庫にはなく、居候でありまだ給料も入れていない手前「買って」などとも言えないミサトは、図らずも禁酒生活を送る羽目に相成った。

こんなことだったら寮のほうが良かったか? などと思いつつも、その辺はキミコの料理がおいしいことで相殺、と考えることにした。実際彼女は料理が――普通の主婦レベルでもミサトに取っては「凄い」であるのでその評価は当てにならないが――上手かった。関東系の味付けに慣れたミサトにとっては少々薄味ではあったが、それを除けば申し分ない。少なくとも、壊滅的なものになっている自分の作ったつけあわせ(のようなもの)とは天と地の差である。

そんな風に当てにならない評価を下しつつ、ミサトは先ほど見た奇妙な乗り物のことを思い出した。

HIMEJONE……ハイムジョーン……姫ジョーン? なんだそれは。

「ひめじょーん、ひめじょーん……」

いつの間にか食器を洗いながら呟いていたミサトに、隣からキミコが口を突っ込んだ。

「何をぶつぶつ言うてはるのん? 姫女苑、姫女苑て、どこか咲いてましたん?」

「へ?」

「へえ? と違いますよ。ひめじょおん、て言わはったから、どっか咲いてたん? て」

「花なんですか?」

予想外の発見だった。ヒメジョオン。そうか、花か。

「え? 分からんと言うてはったん? そうよ、今はもうあまり見んけど、昔は道端によう咲いてたわ」

「そう、ですか……ありがとうございます。えっと、すいません、ちょっと仕事がありますので、後、お願いします」

急に表情を変えて茶碗を差し出したミサトを見て、キミコは怪訝な表情をしてそれを受け取った。

「? どういたしまして。……後で何か持って行きますから〜!」

キミコの言葉を背中に受けて、ミサトは台所を後にした。


ミサトは自室でキーボードを叩いていた。先ほどのキミコの言葉から検索を掛けて意味を調べる。

「姫女苑……キク科、花言葉は『素朴で清楚』……? 素朴……試作機、ってことか」

例の車両のテールブームには「TEST T・R・T-0X HIMEJONE」とあった。テスト、の言葉から試作機だと言うことは予想がついている。そして名前もどうやらそれほどの意味はないらしい。この方向からのアプローチは終わり、ということである。

「いや、待てよ……T・R・T?」

T・R・T、T・R・T……ミサトはその奇妙な響きを繰り返しながら、微かな記憶を辿って手持ちの兵器カタログをめくり回った。

「……あ。これ……あっ!」

そこに掲載されていたのは、トライデント(TRIDENT)級の陸用軽巡洋艦だった。

T・R・T、即ち、T・RIDEN・Tである。前後のTを外して「雷電」。日本的な命名センスから言えばありえなくはない。というよりそれは、ミサトが昔防衛庁にいたときに言った軽口である。

「トライデント級陸用軽巡ですかー。どっか採用したら何て名前付けるんですかね? ト、雷電! とか?」というどうしょうもないコメントだが、狭い世界である、それがどこからか回りまわって採用されている可能性は否定できない。

トライデント級はトライデントミサイルを搭載する原子力潜水艦に与えられる等級であるが、同名の別艦にちなみ、別の種類の艦――陸用軽巡洋艦の等級としても使用されている。それはすなわち、間違いようがないほどに「陸用軽巡洋艦」という兵器の分野が小さいということを示しているのだが、その一方で、大規模戦争の可能性が縮小される中で従来の核戦力が削減されていき軍隊がもっぱら紛争鎮圧などに駆り出されるようになった現在においては、その重要性は比較的高まってきている。「巡洋艦」として戦車・VTOLなどを凌駕する高度な機動性を持つために小型熱核原子炉を持つことになる(それがこの等級の元になったトライデントにトライデントミサイルと同じ名が冠された理由でもある。つまり、原子力の力を持ち疾走するもの、というわけだ)ので、廃棄される熱核原子炉の再利用にもなる。

しかし、とミサトは首を捻った。

「でも……あれは……」

陸用軽巡にしても異質すぎる。それがミサトの出した結論だった。長く伸びた胴体部に、片側3機、恐らくは両側で6機のジェットによるホバリング機構、及び最低2つのマニュピレーターを持ち、さらに「肩」部には増設用のパイロンが準備されていた。その姿は、カタログに載っている他国の物とも大きく異なっている。

あれではまるで動物型巨大ロボットだ。それこそ子供のアニメに出てくるような代物である。

いったい、彼らはあれで何をするつもりなのだ?

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