Evangelion G.G-side 

第拾九話 「長い夜の終り」

■ 寝る前にホット・ミルクを 第3新東京市ゼロ・ポイント/双子山 0015 ■

ミサトは二度目の雄叫びを上げた。

「出力が足りない!? どういうこと!?」

技術兵は答える。

「さっきの閃光の影響でこっちの送電系も幾つかやられたんです! 出力は可能ですが、最大でも予定値の60%しか……」

綱渡りのロープは切れた。予定値でもギリギリの計算だったのに、その六割では、到底あの相転移空間を突破して『要塞』に大穴を穿つことは不可能だった。

「……!」

ミサトは脳髄をフル回転させる。諦めるな。思考停止に陥るな。考えろ。どこかにあるはずだ。この何から何まで予想外で、予備も奥の手も何も用意できないジリ貧の状況をひっくり返してくれる、オセロの角地のような一手が、どこかに。

そして再びの、閃光。

「うわあぁ!?」

割れるガラスに技術兵は悲鳴を上げるが、葛城は頬から流れる血を全く気にせず双眼鏡を覗いた。

向こうの状況はどうなっている?


日向の予想通りに少女は的になり、老人は少女と世界を天秤に掛けてためらいなく少女を取った。

「フィールド中和率44%! 駄目です! 中和し切れません!」

零号機を見止めた瞬間、初号機は武器を放棄し、奔った。閃光が走る。

「初撃、第二撃! 初号機に被弾! 第三撃、来ます!」

そして、三度目の閃光は今度こそ零号機を襲った。

「零号機の盾、……融解! 初号機、零号機の前面に展開! 砲撃が直撃しています! 拡散率は高いですが、このままでは持ちません!」


――この男は何をしているのだ、とレイは思った。

零号機と私が作ったせっかくのチャンスを、この男はみすみすふいにした。あのとき、私を無視してあれに攻撃をかければ、この男ならばあれを倒すことができたかもしれないのに。

なのに、彼は私の前に立っている。受けなくてもよい直撃を受け、叫んでいる。

いつもいつも彼の行動は、まったく非論理的で、不可解だ。

彼は私に敵対心を持っていて、それ故に私の援護の元では戦いたくないというのだろうか?

けれども――

「くっ! 早く逃げろ! レイ!」

その声、そして見紛うことない利他行動からは、私に対する嫌悪の感情は観察できない。

「……あなたは、何?」

出撃の目的を見失いながら、レイは自らの内に起こる感情に静かに戸惑っていた。


一回目の閃光と二回目の閃光の合間に、永遠の時間が流れたような気がした。一瞬の間に、たっぷり一年分は頭を回した。

考えろ。考えろ。

初号機は零号機の前に出た、結果的に、今も『要塞』の注意は初号機に向いている。『要塞』とて、初号機を相手にしては、こちらの準備に気づいたとて片手間にこちらを攻撃するというわけにはいくまい。幸いにも今、初号機は『要塞』と我々の間に位置している。同方向にフィールドを張りながら砲撃することができない以上、『要塞』にとって、初号機を十分攻撃しないうちにこちらを攻撃することは、初号機からの反撃を許すことを意味するのだ。

この点だけは、初号機が『要塞』を挟んで反対側で砲撃を受けていた先程よりも有利だ。これまでの作戦では、初号機へのフィールドが展開されたままこちらが狙い撃ちされる可能性は(『要塞』が必要と推定されるエネルギー量からみて低い可能性ではあったが)常に在ったのだから。

考えろ、考えろ。

元々は、こちらの砲撃を持って『要塞』のフィールドを貫く計画であった。しかし、現在我々の砲撃には『要塞』のフィールドを貫くだけの能力はない。けれども――我々の砲撃の能力が減退したのと同様に、今『要塞』のフィールドもまた減退している。ならば、あるいは『要塞』がこちらの砲撃に対して、初号機の攻撃を考慮して防御行動を選択したとしても、低出力の砲でも打ち破ることができる可能性は皆無ではない。

考えろ、考えろ。

あるいは我々の砲が外れ、または準備が遅れて、初号機が十分に攻撃された後に我々が迎撃されることになったとしても、なお零号機が残存する。そして、攻撃の瞬間には目標と同じ方向にある零号機の位置に対してのフィールドは展開されない。敵の砲の威力は明らかに漸減しており、レイは零号機をある程度(数秒掛けて)動かせる。固定兵装を用いれば、『要塞』が我々への攻撃を途中から零号機への攻撃へと切り替えたとしても、勝利の可能性は残されている。

考えろ、考えろ。

もしも我々が攻撃行動を取らないままで二機のエヴァの消滅を指を咥えて見ているようなことになれば、今までの苦労は全て水の泡だ。送電設備の破壊が行なわれたことを考えると、『要塞』が我々の存在を察知している可能性も否定できない。ならば、二機のエヴァの次に狙われるところは、ここかもしれない。すると我々は攻撃を行なわないままに消滅させられ、そこで得るものは、何ひとつない。

全ては後付の理由付けに過ぎないのかもしれない。しかし、攻撃以外の選択肢を、ミサトは選べそうになかった。そもそもそのために我々はここにいて、今を逃しては機会など二度と巡っては来ないかもしれないのだから。


決断せよ。


撃つことで失うものは、己と、ここにいる者の命だけ。

撃つことで得られるかもしれないものは、人類と、我々と、彼女と、彼の生存。

撃たないことで得られるものは、何ひとつない。

撃たないことで失うものは、撃てば得られるかもしれないもの全て。我々の生存の可能性、人類の生存の可能性、レイの迎撃の機会、そして――

撃たないことで裏切るものは、あの場所で身体を張っている、彼の覚悟。


斯くてミサトは決断を下した。

「総員に連絡。我々は作戦を遂行する。繰り返す、我々は作戦を遂行する。――ごめん! 命、捨てて頂戴!」

誰も、何も答えない。

現時点で既に大方の人員は退避している。この期に及んで残った者は皆、覚悟の上だった。

三度目の閃光が、光った。

「『要塞』、紫の機体に砲撃開始!」

「接続、まだか!」

加速器が啼き、強制収束機が叫ぶ。しかし、その声は予想よりはるかに小さい。

今すぐに撃ちたい。しかし、待たねばならない。双眼鏡の視界の中では、紫の機体がゆっくりと溶けてゆく。

駄目だ。待て。待て。待て。待て。

「まだか!」

「! 『要塞』の砲撃が終了した模様! 紫は沈黙! ……駄目です! 『要塞』内に再度の高エネルギー反応!」

ミサトはぎり、と口をかみ締めた。

報告の瞬間、陽電子砲オペレータが叫んだ。

「第三次接続完了! 撃てます!」

「撃て!」

迷わず叫んだ声に応じて起こった砲撃の瞬間、ミサトは自分が巻き込んだすべての人々に懺悔し、この砲撃の次に行なわれるであろう行動の成功を祈った。


老人は体表面をこんがりと焼く激痛の三十数パーセントの痛みの中で、自分を殺しつくす前に砲撃を止めた目の前の要塞が、自分の後ろ側に向けて放つ拍動と気配を感じていた。

それは十分な攻撃であるはずだった。

常人であったなら、動けなかった。

しかし、彼は常人ではなかった。

彼が動けたのは素質や才能ゆえのことでも、経験ゆえのことでもなかった。

ただ覚悟が、常軌を逸していた。

それだけだった。


レイは、身体の端々を焼く痛みの四十数パーセントの痛みでぼうっとする思考の中で、もはや後数十秒ほどしか残存電源がないその機体が最後の行動を行なうのを見ていた。

――何故、彼は動けるのだろう。

レイはぼんやりと、そのことに思い至った。自分よりシンクロ率もハーモニクスも低く、あれだけの攻撃を受け、あれだけの集中力を使ったはずの彼に、そのような力が残っているという事実は、受け入れがたかった。

――その迷いない動きはまるで、成すべきことさえ成せば何時何処で死んでも構わないとでも言うようだった。

そこだけを抜き出せば、それは彼女の思考形態と怖ろしく良く似ていたが、ただひとつ違うことがあった。

彼は、しぶとい男だった。

望み、拘り、そのような思考にどこまでも縛られている。

それは彼女には縁のないものだった。そのような概念は頭に入っても、いつもどこか上滑りして、彼女の中には根付かなかった。

しかし、今、やっと。

彼女はそれを望んだ。

彼女の決意が終わるころ、彼の機体はふわりと音もなく転がりながら銃剣を拾った。滑らかに力を逃がしながら攻撃態勢に移る動作は、まるでスローモーションのようにゆったりとして見えた。

そして、銃剣は敵構造体の淵に突き刺さった。砲を撃つ瞬間の攻撃で、AT-フィールドは展開されていなかった。

きっと、敵は意識することすらできなかったに違いない、とレイは思った。

彼女さえ、その言葉が聞こえるまで、それが敵に対する攻撃だと気づかなかったのだから。

彼は、気が抜けたような調子でこう言った。

「……お前は俺を狙っとればいいんじゃ、この化け物がぁ……」

深々と突き刺さったとはいえ、半ば溶けていた銃剣は敵の機能中枢には至らなかった。

しかし、それで十分だった。

彼の仕事は、敵の砲撃を引き付け、逸らすことだった。彼が敵の砲口である周辺部につけた大きな傷は、立派にその役目を果たした。

自分の見たもののそのような意味、自らの知らないうちに進んでいた暗黙の作戦のことを彼女は知らなかったが、とにかく、倒したのだ、ということはすぐに分かった。

なぜなら敵の砲弾が上方に逸れた、次の瞬間には、

視界の全てが真っ白になるほどの閃光が、敵の中枢部を貫いていたから――


そこにあったのは、生きた心臓の音と、砲身が溶けかかった我々の技術の粋の成れの果てだった。

ミサトはぼうっとした表情で双眼鏡を覗いた。

湖の向こうには、大穴を空けて動かなくなった『要塞』と、消えてなくなりはしなかった巨人が二人。

紫の巨人の構える銃剣の先は、溶けてなくなっていた。

それだけ確認すると、ミサトは双眼鏡を放り出して、ぺたん、と座り込んだ。

「はは……生きてるや、私……」

まったく、大した人よ、あんた。

座り込んだ状態のまま、問う。

「――状況は?」

「はっ、こちらの砲撃は直撃、目標は沈黙しました」

「よし。――現時点をもって、本作戦を終了する」

それだけを軍人口調で言い切った後、バタン、と地面に寝転がり、ミサトは大声で叫んだ。

「うおっしゃあああああ! 生きてるぞるぅおあ! あんたら全員、サイッコーよ!!」

その声に、興奮と恐慌が冷めやらぬ隊員達も、じょじょに肩の力を抜いて、へばりだした。

真っ暗の山の中にゆっくりと、笑い声が広がっていった。



レイは駆け出していた。

もはや初号機はかなりの部分が焼け焦げて、素体がむき出しになっていた。

――何故。

目的は、初号機パイロットの救出。

――何故。

しかし、それは目的にはならない。ここは第3新東京市の中心部である。彼女が零号機を降り、墜落した敵を迂回して彼の元へたどり着くより先に、本部の救助班が救出を行なうだろう。

なのに、何故行く?

答えは出なかった。考える前に足を動かしていた。

そんなことは初めてだった。


「はアッ、はアッ、はアッ」

もはや声が出なかった。L.C.L.を吐き出してすぐに走ったのだ。肺も正常な活動からはほど遠い。

――何故。

今一度、疑問がレイを襲った。

けれど、それも一瞬のことだった。

彼女の目の前に、担架に乗った彼が現れたからだった。

その肌は赤く火照ったようになり、息は荒かった。プラグ・スーツの状態も悪い。彼のために作られた戦闘機のパイロットを思わせる低負荷プラグ・スーツは、すでに機能を停止していた。それを考えれば、食道や肺を始めとして、プラグ・スーツに覆われた部分までかなりのダメージを負っていてもおかしくはなかった。

「……碇、さん」

レイはやっとのことでその言葉を口にした。人の名前を口にするのに、これほどの苦痛が伴うのは初めてだった。苦痛の意味も、また解らなかった。

止まった担架に目を覚ました老人は薄く目を開け、のろのろと首を回した。

「……レイか……怪我はないかい?」

レイは目をぱちくりさせて、辛うじて答えた。

「もんだ……」

そう言いかけて、止めた。

「ええ、大丈夫」

その言葉を聞いて、老人はほっとしたように目を閉じた。

「そうか……良かった」

良かった? 老人が何を言っているのかレイには解らなかった。全く非論理的な言葉だった。どうして自分の健康状態に問題が出ていないことでこの老人が安堵するのか。個々のパイロットの任務は敵性体の殲滅であり、相互に管理の責任はない。

にも拘らず、彼は己の状態より彼女の状態を優先している。任務上でも、予備の準備の関係上でも、明らかに彼女の命より彼の命の方が優先されるべきであるのに。

「何故――」

その言葉は、先には続かなかった。涙が流れたからだった。

再び、疑問が起こる。

彼の命の方が優先されるべきだとしても、彼の健康状態と彼女の健康状態は無関係であるはずだった。

なのに、何故負傷する彼を見て私が涙を流すのか。

理解不能だった。

しかし、老人はその疑問に対する答えを持っていた。動こうとする担架を小さく動く腕で制しながら、言った。

「心配して……くれるのかい? ありがとう、レイ。……いや、嬢ちゃんと呼ぶべきだったか……」

目を閉じて言うその言葉はもはやうわ言に近かった。

「心配? ……ごめんなさい。あなたの言っていること、よく、わからない」

その言葉は、老人の耳にはほとんど届いていないようだった。

老人は意識が混濁してゆく中、ひゅうひゅうという息の間から、最後の言葉を呟いた。

「ええんじゃ……レイが……生きていてさえくれれば、それでええ」

それを最後に彼の意識は再び低下し、救急隊員達は何事か通信してから彼を運び去った。

レイはまた一筋涙を流した。意味は依然として不明だったが、不快ではなかったので、流れるに任せた。

こうして老人の長い長い夜は、終わった。

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