Evangelion G.G-side 

第弐拾壱話 「三者三様」

■ 第五使徒戦滅より数えて半月後、ネルフ本部赤木執務室 ■

赤木リツコは詰め寄られていた。

綾波レイがこれほどまでに積極的に「何かを知りたい」というアクションを見せることは初めてだったので、「綾波レイ」というこの世にも奇妙なキマイラのパイオニアである赤木リツコとしては是非とも精神にショックが与えられる(と考えられる)状況に置かれたときの現在の反応程度を確認したかったが、碇老人との約束を思い出して本人に会わせるのはひとまず避けていた。

そこで代わりに与えてみることにしたのが、その映像だった。

立つ。

飛び移る。

構える。

切り裂く。

訓練の成果を聞いてはいたものの、初の実戦でここまで、そう……

「まるで碇さんね」

リツコはレイと一緒にその映像を見ながら、いつの間にかそうつぶやいていた。

隣のレイを、彼女に悟られないようにそっと観察する。

そのひとみには、これまでにはなかった感情が現れたように思われた。

羨望と、嫉妬。

テストしてみたい。

心からそう思った。そこに葛城ミサトがいれば、呆れた(半ば軽蔑の)目でこういうに違いない。

この実験狂め、と。

否定することはない。そうだ。私は人呼んで「実験狂」、現代の魔術師、赤木リツコ。天才科学者であることに自信はないが、そちらには自信がある。

だからリツコは、たっぷりと抑揚をつけて言った。

「これが、セカンド・チルドレン、よ」

レイがリツコのほうを向いた。感情を押し隠した表情。この半月で、彼女はそれ以前の十年よりもずっと豊かな感情の起伏を手に入れていた。

「母」としては、あの子に勝てる気がしない。リツコは碇老人のようすを確認しているはずの部下を思い、そう認めざるをえなかった。

「……はい」

「この後、最終的には戦艦二隻による零距離射撃によって使徒は殲滅されたわ――これも、彼女の独自判断。太平洋艦隊を手足にしたとはいえ、出撃より36秒での殲滅、というのは使徒戦滅の最短記録ね」

「……はい」

「危機回避能力、操縦テクニック、その他、どれをとっても完璧な成績を収めているわ」

それらの言葉は言外で零号機とレイそのひとの無能を主張していたが、その冷静沈着を装った……実際のところはただのテストであるそれらの言葉にレイはよく耐えた。

そう、「耐えた」。これまでの彼女なら、何の感情も抱かずに事実を事実をして受け入れていたに違いない。

リツコの試験はそれを確かめるためだけに行われていた。リツコ自身の嫉妬はここでは関係ない。リツコはその意味では、1パーセントどころか、1パーミルの混じりけもない本当の研究の徒だった。

もう、いいだろう。

「けれど、使徒の形態の問題もあったわ。この映像中の使徒は、前回ここを襲ったあの『要塞』ほどではなかったでしょう。心配しないで、零号機がプロトタイプである不備を補うくらい、あなたの実力は高い」

そうして矛先を使徒へ向けた後にフォローを入れ、リツコは試験を終える。

「はい」

今度はすぐに返事があった。――やれやれ。

レイの変化が起こったことを確認しきった後に、自分がほんの少し失望を覚えたのでリツコは驚いた。

どういうことだ?

しかし、聡明なリツコはすぐにその感情のありかを理解した。ああ、私はこの、組み上げてOSをインストールしたばかりのコンピュータのようなこの子に、何もかもを感情のバイアスをほとんど介さずあるがまま理解していたこの子に、優越感を抱きながら、どこかうらやましかったのだ。

自分がこうありたい、と願った、なにものにも動かされない脳がそこにはあったから。

しかし、それはあくまでも自分から見てそう錯覚できるだけであり、実際にそうではないということも、リツコは同時に理解した。透明度の高い水に浮かぶ船が空中に静止しているように見えても、実際には必ず水の上に浮き浮力を得ているように、レイに感情がないように見えても、それは陳腐な感情にまみれてしまった自分達の錯覚に過ぎない。

もちろん、そのような感情の類型は、生きていくためには必要だ。人は物事を、型にはめて理解する。自らの持つ型に世界をはめ込む。

そして今レイはその陳腐な感情――感情の類型を手に入れつつある。

リツコは心を決めた。今度は部下の伊吹マヤよりはかなり足りない親心から。

「レイ、碇さんに会う? ショックを受けるかもしれないけれど」

レイはリツコの覗き込むひとみから一瞬、視線を逸らしたあと、すぐに真っ直ぐ見つめ返し、答えた。

「はい」

■ その十日前の夜、千代田邸 ■

葛城ミサトは詰め寄られていた。

つい今しがたのことだ。ミサトが戦況の説明をするときにふとこぼした「陽電子」という言葉を聞いた瞬間、千代田キミコは今にも小踊りしそうな目になった。

この目は知っている。親友(ということにしておこう)がよくあんな目をする。

「えー……いや、ええとその、私は文系なんで、詳しい構造はわからないんですが……」

迫られるに任せて手元にある構造に関する図面を見せると、キミコは興味津々の目で読みだした。これは本来は部外秘なのだが、こう詰め寄られては仕方がない。それに、この老女ひとりから重大な機密が漏れるとも思えなかったし、そもそも理解できるとも思えなかった。

このデジタルビデオデッキも使えなさそうな老人が、自走陽電子砲の構造など。

しかし、そんな優越感は一瞬で崩れ去った。

「はあ……また無理やりな兵器ですねえ」

いきなりそういうのでミサトは驚いて訊ねた。

「え? あのー、それはどういう……」

キミコはいつのまにかかけていた老眼鏡を少し鼻先にずらし、上目遣いでミサトを見た。その姿は優しいおばあさん――というよりも、いけにえを手にいれた魔女のようだった。

当然のことだ、というように、ふーむ、とため息ともうなり声ともつかない声を発してから答えた。

「せやから、また無理やりな兵器やね、て。対消滅反応を使った武器やなんて、そないな核兵器よりも怖ろしいもん、よう作りはりますねえ、自衛隊の人らも」

この老女がどうやらこの兵器の構造をすんなり理解していることには、ミサトもさすがに驚愕を隠せなかった。陽電子という言葉に反応するくらいだからおかしくはないのかもしれないが、それにしたって図面でそれを理解するというのは、ちょっとミサトの理解の範囲を超えていた。

「ほんま怖いわぁ」

言葉の端々にたっぷりと嫌悪感を滲ませながら、しかし興味一杯の目のままで図面を見続ける。

ぶつぶついう言葉には、途中からついていけてなかった。

「なんでこの構造で崩壊せえへんの――ああ、対応粒子付加機構でライデンフロスト現象の類似反応――大気のプラズマ化――まあ、反応の進行が阻止できれば――でも、軽微の反応でもγ線は――ギリギリ許容範囲?――そんなん図面上はそうでも、接近時の被爆量は――」

「あ、あの……」

はっとしたような顔でキミコが振り向いた。

「へ? ああ、すいません。つい」

つい? ミサトはますます怪訝な表情になる。今の言葉、どれも「つい」で出てくる言葉ではない。

「反物質……お詳しいんですか?」

「ええと……反物質(たんものしち)いうのは……そう、あれですわ、借金で首が回らんようになった呉服屋が質屋に持ち込んだ生地、いや、反物。それでええと、しばらくは端の方がプラズマ状態なんやけど、しばらくすると質に流れてもうてγ線に……」

たんものしち。脳内変換して、反物質。つまりはんぶっしつ。

よくもまあこの状況でそんなわかりにくいことを言うものだ。

「はんぶっしつです、はんぶっしつ。たんものしちて。そりゃなんの冗談ですか」

「はあ、昔の生徒の」

それは本当だった。彼女の最後にして最高の生徒が、どこかのマイナーな漫画から引用してきた冗談――

「生徒?」

ミサトはきょとんとして訊いた。キミコはこともなげに答えた。

「そう。私、こう見えて昔、第二大の教授やったんですよ?」


これで単位が差し上げられると思います?――教養学部社会科学科地政学専攻の葛城ミサトさん?


からかうような声に、なぜかミサトは背筋が寒くなるのを感じた。

「ええと……私も、第二大出身なんですけど……どこかで以前……お会いしたことって、あります?」

キミコは、その言葉を受けて、しばらくじっとミサトを見た。だが、首を傾げると「いえ……私は理学部やったし、ちょうど葛城さんのいてはるころに退官したんと違うかしら……どないしはったん?」

ぞく。

ミサトは軽く首を振って、寒気を逃がした。すぐに笑い顔を作る。

「いえいえいえ。あー、そうなんですか、理学部の教授さん。そりゃあ……詳しいわけですね」

にっと笑ってキミコは付け加える。

「しかも、専門は物理学」

「――おみそれしました」

ミサトはぺこりと頭を下げた。キミコは何を思い出したのかふふっと笑うと、よっこいしょ、とつぶやきながら立ち上がった。

ようすを察知して、ミサトも立ち上がる。そろそろタイミングもわかってきた。

「あ、夕飯ですか、手伝います」

「あ? そう、ありがとう」

大した理由もなく準備に参加しなければ、働かざるもの食うべからず、という言葉が待っている。この会話も、そろそろ「いつも通り」になりつつあった。

■ 三十分後 同邸炊事場 ■

千代田キミコは相変わらず上機嫌だった。

ふんふんふん。

軽く鼻歌を歌いつつ、味見をしつつ微調整。

隣で焼き魚のようすを見ながら、ミサトは訊ねた。

「上機嫌ですね」

「ええ……ちょっと、孫を思い出しましてね」

白髪や薄く赤い毛も混じる髪を揺らして、キミコは楽しそうに豚汁を取り皿に取り、並び立つ葛城の口に運んだ。

「あ、おいしい」

「薄くない?」

「いえ」

「そう、そっちは?」

「もう焼けますよ。……お孫さんって……私くらいの?」

お膳を布巾で拭きながら、キミコは焼きあがった魚を二人の皿に、そしてほんの少し切り分けて、飼っている猫の皿に盛り付けるミサトを振り向く。

「そうね。今年で、えー……葛城さん、何年生まれ?」

「昭和六十年です。二十九歳」

「それやったら……今年で三十ですか。なんや、最近はめったに顔、見せてくれへんもんやから。――いい子なんですよ。昔は甘えっ子でね。小学生になってもおばあちゃんっ子で、おねしょして泣きついてきたりね。それがいつのまにか、えらい強くなってもうて」

いつになく懐かしそうに、彼女は話した。ミサトはそのとき初めて、この老女が年相応に見えた。自分が祖母に最後に会ったのはいつのことだっただろうか。父方の祖母とは父と死別して父方の親戚との交流がなくなった後、それっきり会っていない。

ミサトは胸がちくりと痛むのを感じながら、そうとは知らず事態の核心に触れた。

「お名前は?」

「リッちゃん――ああ、リツコ、ていうんです」


へ?


その名前で、全てがつながった。


――マジ単位やばいんだけど、いや、ちょっと申請ミスで……

――そりゃ飽きずに一週間も男と寝てればね。

――そこをなんとか!

――仕方ないわね。親戚、紹介するわ。口ぞえしておいてあげるけど、後は知らないわよ。


――ああ、あなたが葛城さん? リッちゃ……いえ、リツコから話は聞いて――


「あ、あ……赤木先生!」

キミコはその名前を聞いて、目をぱちくりさせ――やがて、自分が退官した年度の後期に、孫の口利きで、その友人である一人の生徒に、散々追加レポートを出させた上で基礎教養の授業の単位をくれてやったことを思い出した。


千代田キミコ。旧姓、「赤木」キミコ。かの赤木ナオコ博士の母であり……葛城ミサトの親友たる赤木リツコの祖母。現在は、年金とそれまでの貯蓄で悠々自適の生活を送っている。家族はおらず、猫が一匹、同居している。

――なおごく最近、旧年の知己の紹介により、戦略自衛隊に出向した特務機関ネルフ所属の尉官、葛城ミサト一尉を居候させている。


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<引用:反物質たんものしち、正確には「反物質砲(たんものしちほう)」)――『BIBLIOTHEQUE LIVE(佐藤明機)』より>