Evangelion G.G-side 

第弐拾弐話 「歯車回る、二人、その他の出来事」

■ 第六使徒戦滅より数えて五日後 第3新東京中央病院特別病棟・404病室 ■

彼女が辿り着いたのは、もう全てが終わったあとだった。

泣いている。

開いたドアの向こうで、赤木リツコと並んで祖父を見る、その目を見てわかった。

涙は出ていない。表情も硬いままだ。彼女のことをそれほど知らぬ人がその表情を見れば「いつものように」冷淡にも近く感じるだろう。けれども、もう彼女と生活を共にし始めているマヤはそうは感じない。

明らかにレイは悲しんでいた。

「先輩、なんでこんな……」

残酷なことを。レイの姿を見るなり、思わずマヤは普段は言い返すことなど絶対にあり得ない先輩――リツコに食って掛かっていた。リツコの肩にやや乱暴に手を置き、少しの軽蔑も混じろうというような声を出してしまってから、マヤは自分のしたことに少々驚いていた。

リツコは少し間を置いてから振り向いて、マヤの若い反感のタイミングをずらしておいてから答えた。

「レイ自身が望んだことよ。私は、レイはこの状況に正しく対処できると考えた。だから碇さんに引き合わせることにした」

言っている言葉自体は正論ではあったが、その文意を乗せた口調は、どこかでリツコが自分すらその言葉を信じていないのではないかと思わせるようなやけに機械的なものだった。

「何か問題が?」

「……いえ」

マヤはそう言って口をつぐむ。リツコは彼女の肩に手を置いて何か言いかけ、しかし結局は無言のままその横を通り過ぎた。

■ 秘匿回線に侵入。MAGIによる回線の無断使用発見まで残り14分13秒 ■

ミサトはマヤからの突然の電話にも驚かず、悠々と対応した。そして明らかに状況を面白がりながらマヤにあんなことやそんなことを脚色付きで伝えた後、こう述べた。

「その件に関する『元』作戦部長のこめんとー、三十路過ぎちゃってから恋なんかに目覚めちゃったりなんかするとー、とっても、BU・ZA・MA☆」

「何でそんな明るいんですかぁ……葛城さん……レイちゃん可哀想だし、先輩もちょっと怖いし、今そんなの聞いちゃって、私もう……」

ミサトに壊れかけた幻想をついに完膚なきまでに打ち砕かれ、マヤの声はどんどん小さくなっていく。葛城は脳内イメージが崩れ去って呆然とする様を想像して、ふっと鼻で笑ってから、少しだけ真面目な口調で言った。

「マヤちゃん」

「はい?」

「そっちが本物よ」

「そんな……!」

「そんなもこんなもないの。あいつだって人間なんだから、イライラするときだってあるだろうし――まあ、それが完璧に誉められたことってわけじゃないけど、だからっつってそこまで悪いことだとも、私は思わないな」

その声には確信があった。葛城ミサトは基本的にどんな辛いことからでも人間は立ち直れると信じている。傷を抱えても、人間は立ち直るものだ。知って、立ち直る。そうでなければならない。自分がそうだったように。

レイも、この子も。

そう。残念ながら最後の最後であの友人は当てにならない。今確実にレイを守ってくれそうなのは、この貧弱な新人くらいのものなのだ。

マヤが何も言わないのを悟ると、ミサトは続けた。

「ねえ、マヤちゃん。あなたとレイよか歳が離れている葛城先輩が、みっつ、言葉を授けよう」

「……」

「ひとーつ。レイに限らず、子供をあんまり子供扱いしないこと。子供を子供扱いするとえらい目に逢うから」

脳裏に、ひとりの少女の影が走る。今は日本に向かっていると聞いたが、性格診断結果を見る限りなかなか一癖も二癖もある少女のようだ。だからこそ、先回りしたその言葉を。

「ふたっつ。完璧美人の『赤木先輩』なんてこの宇宙のどこにも存在しないんだから、あんまり上司に幻想持つのは止めること。いい? あいつ小学校のときまでおねしょしてたんだから――ああ、これ、なんかの機会に言っちゃっていいから」

脳裏に、ひとりの女の足音が響く。その意図を考えればお世辞にも大人の行動とは言えないが、さすがにあれだって分別は自分よりはある。レイの状況を冷静に見て判断した面もあったはずだ。だからこそ、問題なのはむしろ彼女の過剰に華麗な幻想なのだ。

「みいっつ。そんな赤木先輩よりまだあくどい『葛城先輩』はこのできごとを弱みとして利用してことあるごとにマヤたんに情報リークして貰うつもりなんで、リッちゃんにこういうことばらされたくなかったらそこらへん4946!」

またも今どきうん十代でも使わない語尾を発したミサトの声に、受話器から「えっ……ええええええええ!!!??」と絶叫が響く。馬鹿め。例え昔の上司でも、今は一応別の組織の人間。少なくとも事情を知っているリツコ以外は、こんな風に情報を外部に漏らすべきではない。だからこれは、できの悪い後輩への軽いお灸である。

「そいじゃ、そういうことでひとつよろしくねー」

「あ、えっ、でも、あっ」

プチッ。回線が切れる。

ミサトは、声を聞くもののいない受話器に言った。

「頑張れ二十代。手遅れになる前に」

そして、レイともうひとりを、よろしく。私がそこに帰るまで。

■ その二時間前 戦略自衛隊第三師団長野駐屯地、師団長執務室 ■

相変わらずクーラーの効いていない部屋で、ミサトは呆けた顔で突っ立っていた。

「と、いうわけでだ。君をそこの小隊の隊長補に任命したいんだけど、どうかな。まあ確かに? 君は一尉となっとるし、それを隊長補というのはちょっとないことだと思うんだけどね。まあそこはほら、一応外部の人だってことと、あそこは隊長を中隊長の桑山君が兼任してたとこだし、あの小隊ってのは構成上色々とほら、複雑だから」

「えっと……断わる権利は……当然、ありませんよね?」

「そりゃね。一応君、出向って形になってるから、書類上は」

「はあ」

何を言っているのだろう、と、猫なで声の男の声に口がぽかんと開いた。外部からきたどこの馬ともわからない人間をそんなものに関わらせる意味は全くわからなかったが、命令されてしまえばやるしかないだろう。確かに一尉の人間が小隊長補というのは微妙なところではあるが、配置される兵器が特殊だというらしいから、そこらを勘案すればそれほどおかしくもないのかもしれない。それに。当たり前の話だが、軍人はサラリーマンである。辞令が出れば従う以外はないのだ。

「いいよね?」

「はあ、葛城ミサト一尉、第一機械化小隊隊長補を拝命いたします」

「……あー、それじゃあ、あれ」

「はい?」

師団長はついっ、と視線を部屋の隅に向け、ミサトの視線もそれに続いた。

部屋の隅には小さめのダンボール箱が、一箱。

「一応それ、君の小隊に配属される兵器についての資料だから、目、通しといてね」

「はい。それでは、失礼いたします」

師団長の言葉はどこまでも柔らかく、それだけに気色悪さもひとしおだった。


そしてその十分後、彼女は今度こそ途方にくれることになる。

「これ……って……」

資料にあったのはトライデント級陸用軽巡洋艦「雷電」及び「震電」の名。ミサトは迷わず表紙をめくる。図面。長く伸びた車両胴体部、その後ろに長く伸びるテールブーム、両側全六機のジェットによるホバリング機構、及び二機のマニュピレーター、マニュピレーター基部の増設用パイロン。そのフォルムは明らかにあの時見たテスト機体――「姫女苑」と同じものだった。

■ その二週間後 AM10:30 ■

レイは昼頃に目を覚ました。周りを見渡す。壁紙。窓際の花。適当に散らかって、生活感のある部屋。

ここはどこ?

見慣れぬ風景に戸惑い、そして、すぐに思い出す。

自分が目を覚ましているここが、伊吹マヤの家だということを。

「起きた? レイちゃん」

誰?

「ふふ、寝ぼけてるの? ほら、起きて」

やや年長の女性の声がしたが、それを聞いてもなお、低血圧のレイはふわふわとまどろんでいた。

「中学生なのに遅くまで大変ねえ……ほら、昼ごはん用意するから、顔、洗ってきてね」

ぽふ。ふわふわのタオルが渡され、レイは覚束ない足取りで洗面所へ向かう。妙にファンシーなスリッパは歩きにくいので履かず、裸足でぺたりぺたり、フローリングを歩いた。その姿を傍から見れば、巨大ロボットを動かす戦士だとは誰にも思えないだろう。そこにいるのはただの寝ぼけた女子中学生だった。

伊吹の家に転がり込んで一月弱、レイは不意にそんなありふれた日常を手にしていた。

ざぶざぶと顔を洗って、タオルで乱雑に拭く。その姿を遠目に見て、女性は顔をしかめる。そして、事情を少しだけ聞いている彼女はしばし悲し気な目をし、それから呼びかけた。

「はい」

レイは呼びかけに素直に答えて、ちゃぶ台の前に座った。

皿が並ぶ。炊飯器で炊いたご飯に、豆腐の味噌汁に、卵焼きに、漬物。この家に来るまでそんなものは食べたことがなかった。そして、この人。向かいに腰を下ろして自分を見つめる、どうやらちょっと過保護らしい伊吹二尉の母親の料理は、伊吹二尉が作るよりもっとおいしかった。

おいしい。

そんなことは、今まで考えたことがなかった。しかし、今はわかる。この料理はおいしい。それまで摂取していた栄養剤を摂取する気には、今はならない。

――うまいかね?

以前にかけられた言葉の意味が、ようやく理解できた。

「今日は、学校はもう休むのよね? どうするの?」

「――病院に」

短い答え。最初のころは嫌われているのかしら、などと悩んでいた彼女も、娘から聞いて事情と性格を知れば、そうも考えなかった。信用の置ける人間に対しての彼女の口の軽さは、ここではかえってよい方に働いていた。

「そう……お爺様、早くよくなるといいわね」

娘から病状は聞いている。全治二ヶ月。その祖父も相当の歳だと言うから、この子はいずれまた、娘の役所の関係施設に預けられるのかもしれない。しかし、可哀想だが彼女にだって家族がある。娘に頼られて出てはきたものの、そう長いこと家を空けているわけにはいかない。

彼女はドラマのように不幸な、さりとて自分にはどうにもできない境遇の女の子に心から同情しながら、コップにお茶を注いだ。

■ 同日 昼下がり 第3新東京中央病院特別病棟中央1番エレベーター ■

チン、という小さな音と共に病人搬送にも使える大掛かりなエレベーターのドアは開いた。レイはその鉄の箱に滑り込み、「閉」ボタンを押そうとし――聞こえた大声に、その手を止めた。

「ちょっと待って! そこのエレベーター!」

押してしまおうか。一瞬そう考えてから、やはりレイは「開」ボタンを押していた。可及的速やかに行動したくはあるが、ここで数秒の時間短縮をすることにそれほどの意味は無いに違いなかった。

閉まりかけたドアがすんでの所で、また開き出す。するとその隙間から、マヤが見立てたごく普通の――というより、少々野暮ったい服を着たレイとは対照的な、華やかな恰好の女の子が走りこんできた。

気重な病院の雰囲気からは浮き上がっている黄色い派手なワンピース、そして、金髪。レイは自らの知る染めて作られた金髪とは質の違うその金髪を見た。もちろん自分がさらに特徴的な髪と目の色をしているということはわかっていたし、それに外見にはほとんど無頓着であるのはあいかわらずだったので、レイは一瞬で彼女に対しての興味を失い、視線を階数表示に戻した。

女の子は目を閉じて軽く息を整えてから言葉を発して――途中でどもった。

「ふうーっ、どう、……も、ありがとう」

調子が妙だったので、レイは声の主を見た。相手があまり真っ直ぐに目を見てくるので、レイもまた真っ直ぐに女の子を見返した。

「何?」

「え? あー、失礼。髪の色が特徴的だったから、ついね。気分を害したなら謝るわ」

大して謝意もなさそうな口調だったが、本当に何とも思っていなかったので、レイはしごくあっさりと返した。

「いえ、問題ないわ」

そして再び視線を階数表示に戻す。相手の女の子はその答えに、いかにも不審そうな顔で首を傾げた。

「変わった子ね……」

その声は、エレベーターが目的の階に到着した音に隠れた。


そして、歩き出す。

ドアを出て、曲がる。

少し後ろに女の子の姿が見える。視界の端に侵入する金髪と黄色いワンピース。しかしレイは気にせず歩いていた。

けれど、同じ病室の前で立ち止まったとき、やっとレイはその女の子のことを意識した。

「あなた、どうしてここに?」

「あんたこそ、ここに何の用?」

腰に片手を当てて女の子は言い返す。多少不快感を感じながらも、レイは首を傾げた。

「お見舞い」まず言って、それからさらに考えた後、言った。

「……お爺様の」

それはマヤの母親の台詞をそのまま繰り返しただけだったが、何となくしっくりくるように思えた。

その言葉を聞いて目の前の女の子は目を丸くした。

「孫ぉ? サードって、孫がいんの? チルドレンなのに?」

チルドレン。

その言葉を聞き、今度はレイが目を丸くして、女の子を見た。

「あなた、誰?」

「人に名前を訊くときは、自分から名乗るもんよ」

「綾波レイ」即答。そして付け加える。ここに来ることができ、チルドレンという言葉を知る者なら、その意味はわかるはずだからだ。それに、もう薄々お互い相手の素性は検討がついていた。「ファースト・チルドレン」

「そう……あんたが」

女の子はもう片方の手まで腰に当て、言った。

「惣流・アスカ・ラングレー」にやりと不敵に笑って、手を伸ばした。「セカンド・チルドレンよ、よろしくね」

レイは一瞬、逡巡した。恐らく数ヶ月前の彼女なら、何の反応も示さなかったに違いない。

けれども。

「……よろしく」

ぼそぼそと言いながら、レイはそろそろと手を差し出した。

そして目の前の少女は、ふふん、とまた笑いながら、しっかりとその手を握った。

こうして最後の歯車が決定的に噛み合い、本格的に状況は回り始めたのだった。


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