Evangelion G.G-side 

第弐拾四話 「奢りで喰う蕎麦」

■ 使徒侵攻まで残り五日 新潟県某村落 ■

この数十年の変化など何もなかったかのように見えるのどかな田舎道に降ろされてから、もう早くも小一時間が経っていた。

ジリジリと照りつける日差しを避けて二人の少女が道を行く。すたすたと前を歩くひとりは、涼しげな白のデニム地と麦藁帽、のろのろと後ろを歩くひとりは、ボーイッシュなキャップとサングラス、そして惜しげもなく脚を晒すホットパンツといういでたちだった。

「暑い……」

後ろを歩く少女――アスカがまた呟いた。

「それ、五回目」

すかさず、というよりも、特に何の気もなく条件反射的にレイが言う。レイにしてみれば暑さを強調しすぎることを指摘した、というだけで皮肉でもなんでもなかったのだが、ある意味レイよりは真っ当な情緒を持ち合わせているアスカはその言葉を皮肉ととり、ついに切れた。

「うっさい! あんたにいちいち数えて貰わなくたって数くらい数えられるわよ!」きょとんとした顔のレイに、ますます怒り心頭のようすで先を続ける。「だいたいなんなのよこのド田舎は! あたしはこんなヤパーニッシュ・ラントになんかひとっつも興味ないんだから! ああっイライラするっ! 何であんたってそんな涼しげな顔してんのよ!」

「……私だって暑さは感じてる」

「どーだか」

病室の前で出会ってから、そしてあの失敗の後で作戦上パートナーにならなければならない状況になってもなお、こんなやり取りが続いていた。もう少し上手くやらなければ、とはアスカ自身思っているのだが、目の前にいる少女はどうにもつかみにくい女の子だった。

握手もしたし、あんなの、見ちゃったし。実際悪い子じゃないってのは、わかってるのに――

それはわかってはいるのだが、どうもすぐ親友になった洞木ヒカリほどには、彼女を好きになれない自分がいるのも事実だった。

――これは、負い目か?

脳裏に、ひとつの回答が浮かぶ。

負い目。前に出すぎて使徒に捕まったことの?

――まさか。いや、しかし……

幸運にも、田舎道が暑さで思考力を奪っていてくれたお陰で、自分が綾波レイを見た時、どうしようもなく苛々してしまうその理由について、どうしようもない所にまで考えが至る前に目的地に着くことができた。

「着いたわ」

レイはあくまでも涼しげにそう言ったが、アスカの方はその度を越して冷静で、すっとぼけているようにも見える調子に付き合うことはできなかった。

「……マジ?」

「どうして?」

心から疑問だ、という風な表情でレイはアスカを見返した。アスカは内心、自分のパートナーになったらしいこの少女はちょっとどこかおかしいのではないかと思いつつ、呆れた表情を浮かべて目の前の建物を指差した。

そこにあったのは、廃屋寸前の木造家屋だった。

■ その二時間半前 蕎麦どころ「松葉」 ■

「すいません。ミニカツ丼と、後お蕎麦下さい。月見で」

「あ、じゃあそれもうひとつ」

「喜んでー!」

蕎麦どころ「松葉」が第3新東京市にも店舗を持つ立ち喰い蕎麦屋「マッハ軒」の姉妹店であることはそれほど知られているとは言えない。片方が立ち喰いでかつ真に蕎麦のみを生業とする安価な店であり、もう片方が蕎麦も出せばカツ丼も出し、ともすればこのような密会にも使われうるような、蕎麦屋にしては少々高級すぎる外観を持つ店であるというあからさまな違いも、そのつながりを見えにくくしている一因であろう。

しかし、味わってみればわかるが料金こそ違え、それらは確かに同じ味をしている。

これは妙な話にも聞こえるが、実際のところ歴史を紐解いてみればそこまで奇妙なことでもない。

戦後の高度経済成長期を通して、これら安価で猥雑な料理屋は各種密会の場所としての役割をも担ってきた。木の葉を隠すなら森に隠せ。重要な裏取引や密談も、道端で飯を食む名も無き人々が交わす数々の猥談や意味の無い噂話に紛れてしまえば、それをあくまで追いかけることは至難の業だったのだ。何しろ当時においては客に混じって「立喰師」などという詐欺師にも近い人々すらあたかも魑魅魍魎のごとく跋扈していたのだから、その苦労はわかろうというものである。

――と、そのような事情を知っていれば、現在の政治的中心地である第2新東京市の近郊にこのような治外法権的な営業(「松葉」の蕎麦と「マッハ軒」の蕎麦の値段との差額がどこに消えているのかは誰も知らない)を行っている店があることも、彼らがこの店の秘密の一室を密会場所に選んだこともそれほど驚くには当たらないはずだ。

「はい。月見とミニカツふたつ!」

「うわ、あいかわらず早いわね……いただきます」

「いただきます」

しばし、無言。二人は黙したまま厚めのカツを喰い、とろりとした玉子を喰い、たまねぎの甘い味の染みた米を喰い、湯気の立つそばつゆをほんの少し飲み喉を潤した。セットの小さなカツ丼はあっという間に二人の軍人の腹の中に納まり、二人は次に蕎麦を喰い始めた。

ずるずるずるずる、と蕎麦を一回啜りこんでから、やっとミサトは口を開いた。

「で? レイとアスカは?」

ずるずるずるずる、とこちらも蕎麦を素早く啜りこんだ日向が応じる。

「今日の午後三時ごろから、新潟に入ります」

ずるずるず、ぴちゃ。口に啜りこみかけた蕎麦が落ち、汁が少し飛んだ。

「はあ? 何でまた」

布巾で几帳面そうに机に飛んだ汁を拭きながら、日向は答えた。

「それが……これは碇さんからの提案なんです。作戦概要を話したときに、猟をするなら、その筋のプロを紹介する、と仰って。ちょうどあの二人のチームワークには問題があったので、詳しい説明を聞いてその案を採用しました」

「ふうん? 猟、ねえ」

「はい。ああ、説明してなかったですね。今回の作戦は、言ってみれば追い込み猟です」

「続けて?」

そう言って、ミサトはまた蕎麦との格闘に戻った。どうやらしばらくはしゃべらずにそちらに専念するつもりらしい。

日向は一瞬、恨めしそうに自分の蕎麦を見てから話を再開した。

「はい。赤木さんの見解によれば、あの使徒は細かく分断すれば再生機能が使用できないそうです。そこで、こういう装置に追い込んで、使徒を細切れにします」

日向はミサトに、持ってきた資料を見せた。そこには巨大なてん突きの写真があった。

今日からきっかり四日で急造する、超振動柵、あるいは超振動網。――プログレッシブ・ネットである。

ずずずずず……しっかり汁まで飲み干して、ミサトはうーん、と腕組みをした。

「これじゃまるで……ところてんじゃない」

日向はミサトがリツコと全く同じ発言をしたのに気づいて思わず汁を吹き出しそうになったが、渦中のミサトのほうはといえばとても笑える気分ではなかった。

「本当に大丈夫なの? これで」

「二人の仕上がりにもよりますが、自分の立てた作戦には自信はありますよ」

ミサトはその言い方に少しの引っ掛かりを感じつつも、うなづいた。

「……日向君がそこまで言うなら、信用しましょう。で、話は戻るけど。……いったいぜんたい、新潟に何があるの?」

日向は無言のまま笑みを浮かべ、傍らに置いた先ほどの書類の下から、もうひとつ紙束を取り出した。

「それは今から、この、本来の作戦計画と一緒にご説明します。実は……ごちそうになったついでに、葛城さんにもうひとつお願いしたいことがあるんですよ」

■ 同時刻・そして数日前 第3新東京中央病院特別病棟・404病室 ■

もうそろそろ出立したころだろうか、そう検討をつけながら、碇シンジはまた意識を温かい液体の中に預けた。常に浮力を感じる液体の中で、彼の意識はそのほとんどの時間、まどろみの中にある。MAGIが見せる、脳細胞と身体の細胞を適度に刺激する白昼夢の中で、彼は様々なことを考え続けている。

そんなまどろみの中では、数日前のことも、今現在のことも、並列して思考の中に浮かび上がってくる。

あの子供達はともに、極めて危うい橋の上にいる。碇老人はそう感じていた。


「これって……」

目の前に立った少女はそう言った。その声は、自らの孫と同じ歳のころの少女の特徴をよく備えていた。遠慮が無く、自信たっぷりの女の子。

老人はまどろみの中で訊いた。

『誰だい?』

「あんたは……」

『儂かね? 儂はこの子……レイの……祖父、と言ってもいいんだろうか。レイ? そこにいるかね?』

「ええ」

あいかわらず抑揚に欠けるその答えを無理やり祖父と呼ぶことへの了承と取って、彼は考えた。思考が機械を伝わり、音声が合成される。

『そういうことじゃね。嬢ちゃんは……』

「そんな呼び方しないで。あたしにはアスカっていう立派な名前がある。――惣流・アスカ・ラングレー。エヴァ弐号機専属パイロット、セカンドチルドレンよ」

一息でそう言って、少女は苛立ち混じりにこつこつと床を蹴った。腕でも組んでいそうな拍子だったが、残念ながら今の彼から視覚は奪われている。

『それは申し訳ない』

「あんたも、パイロットなの?」

その言葉を受け、いかにも軍人調に老人は答えた。

『いかにも。初号機専属操縦士、碇シンジ特務二尉です』

「そ。……何よ? その怪我。情けない」

『ははは。まあ、その通り。残念無念』

少女のあからさまな敵意をさらりと受け流す。取り付く島もないそのようすに、ますます少女は苛立った。

「はっ。これだから歳よりは困んのよ。そもそも……」

「止めて」

そこに割って入ったのはレイだった。老人にはわからなかったが、アスカはレイとにらみ合う恰好になっていた。

「……何よ」

「あれは正当な作戦行動。戦闘記録を見れば、それがわかるわ」

こちらも敵意を隠しもしない、不穏な空気が流れる。

それを肌で感じた老人が声を掛ける前に、

「――それは悪かったわね。失礼するわ」

呼び止めることもできず、老人は疑問を抱えてまどろみ続けたのだった。


あの少女の状況を聞くことができた今なら、その敵意の理由の一部も、何となくわかるような気がしていた。

碇老人は改めて考える。


あの子供達はともに極めて危うい橋の上を渡っている。失敗したら鉛色をした川面に落ちて沈んでしまうような、そんな橋を。

彼女達はともに、自らの中に生まれて膨らむ大きな感情を持て余し、その我を通すのみに堕そうという際にいる。そして――それでは、言い争いはできても、自分達で潰しあうだけで、敵には負けてしまう。敵。――戦争。もう半世紀以上前のことを老人は思い出していた。前世紀。彼がまだ十代だった時代。無心に信じた誇り。その誇りとともに手の付けられなくなるほどに大きくなった自らの心。それが無残に潰えたあのさま。暑い夏の日。蝉の声。ただ薄ぼんやりと聞いた、雑音の混じる声。


まどろみの中で、彼の思考はまとまりを失っていった。意識レベルが下がり、また白昼夢が訪れる。

ただ、ひとつの思考だけはまどろみの中でも消えなかった。

あの子らに自分と同じような失敗をさせたくはない。

そう思ったからこそ、彼はチームワークに欠けるという彼女達を、あの場所に向かわせることを提案したのだ。

そこは、老人の親友、最後の狩人の棲む場所だ。


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