四日で作った。
目の前にあるそれは、仕様書にあるのと全く同じ。四方の長さ、使徒の体長およそ一つ半分の巨大な枠に、超振動に耐えるワイアを張り巡らせた巨大な「てん突き」――プログレッシブ・ネットである。
「日向二尉」
「はい? ああ、すいません。行けますか」
「オールグリーン。動かせますよ」
「ではお願いします」
しかし、しばらく場は止まったままだった。ややあって、レバーに手をかけた男が小声で耳打ちした。
「あのう、感じが出ないんで、一声、お願いできますか」
え? ちょっと間をおいて、意味を理解した。
ああ、確かに。上司だった彼女は、何かとよく声を出した。いかん、いかん。作戦進行にナーバスになって、場のモチベーションを高めることを忘れていた。
日向はそんな風に理論立てて反省してから、快活に答えた。
「はい! すいません。プログレッシブ・ネット、起動試験開始!」
「了解! ダミー使徒、投下します」
ネットが設置されている空間の上から、第5使徒に近い大きさの塊が落ちる。接触した途端、あたりに工事現場のような轟音が響いた。塊の前面には構造材の廃棄物とはいえ、相当硬い素材を張り込んである。そうそう分解されるものではない。
「加圧します」
ネットの上で細かく揺れる塊の上から、見るからに重そうな鋼鉄の板が滑り降りてきた。
それはゆっくりと塊の先端に触れ、そして――
ガリガリガリガリガリガリガリガリ!
防音されている部屋の中で、なお耳を塞がないとやっていられないくらいの騒音と共に、塊は細い(と言っても直径は数メートルある)鋼鉄の束に化けた。
「試験終了。……成功、ですね」
レバーから手を離した男が、ぱっと明るい顔で日向の方を向く。
今度は間違えなかった。
「ええ! 完璧ですよ! これは!」
計算していた時間とのずれや、それに付随する細かな作戦の変更点などを考えながらも、日向はにやりと笑って答えた。
心の端で山の中にこもっているだろう子供達のことを思う。
こっちは、何とかなった。上司だった彼女からも、あちらの仕上がりは聞いている。なら、後は……彼女達の仕上がり次第だ。
アスカがここまで脱落しなかったのは、あの平坦な目をした男のせいだ。
「できるね?」
怒るでもなく、諭すでもなく。黒縁眼鏡のあの男はただ淡々とミッションの内容を述べた。
「どうしてあたしが、こんなこと」
「任務だからだよ」
驚くほど平べったい、冷たい声だった。
「惣流さん。以前の戦いでの君の活躍は見たよ。凄かった。総合的な作戦遂行能力は、碇さんを超えるかもしれないくらいだ」
「なら……」
「でも今回は失敗した」
「それは」
アスカの声が気色ばんでも、相手の声色は一切変化しなかった。
「……僕は、葛城さんみたいに、ああ、ええと、その人は僕の上司だった人なんだけど」
平坦だった声に、少しだけ起伏ができた。その言葉で、この男がその葛城という人物――恐らく女――が好きであることは一瞬でわかった。
わかりやすい男。
馬鹿だ。でも、嫌いじゃない。
アスカは少しだけ笑った。
「で? 何?」
「ああ、だから。その人は――強い人だったけど、僕はそこまで強くない。だから、作戦行動中とプライベートとは、きっちり分けて考えたい」
「つまり?」
「任務は任務だ。僕は君について、もちろん指揮官として配慮はするし、作戦行動以外なら多少ぞんざいでも気にしない。……慣れてるからね。色々と。けど、だからって作戦行動において必要以上にそれを斟酌したりはしない。意に沿わない部分もあるかもしれないけれど、作戦行動である以上はきっちり従って欲しい。もちろん、疑問点には答える」
つまりは、従わなければ降ろすということか。
だが、その口調はきわめて真面目で、どうも怒る気にはなれなかった。馬鹿みたいに茶化されるのは嫌いだが、厳しく扱われること自体は嫌いではない。そうして扱ってくれる人間は、少なくともドイツ支部にはほとんどいなかったからだ。
そう、これはつまり……
「君も軍人として、大人として扱う。いいかい?」
そういうことだ。
「望むところよ。惣流特務二尉、了解いたしました」
だからアスカはわざわざ慣れない日本語でそう答え、唇をゆがめて黒縁眼鏡に笑いかけて見せた。駒として動けと言うなら、動いてやる、と思った。そうすることで、あれに乗る権利を得られるのならば、と。
――が、その決意も今にも折れそうだった。
「ちッ!」
舌打ちする。もう癇癪は起こさない。その気力もない。作戦の決行日は明日に迫っているというのに、自分はまだ、この訓練をクリアできていない。
同僚の綾波レイは、技術的にはやや難があるものの、総合的に見ればほぼ習得を完了させていた。対するアスカはといえば、技術的にはレイよりもずっと早くに習得したにも拘わらず、実地訓練に事が及ぶとまるで使い物にならなかった。
そして今も、また自分の待つ「芯」へと近づいてこようとした獲物を逃してしまった。
この日本の伝統的な(日本の歴史に詳しくないアスカには、その猟がどのような来歴を持つものなのかはよくわからなかったが)追い込み猟においては、人員は大まかに二つの役割を分担して作業を行う。中心部において獲物を待つ係と、外縁部から中心部へと獲物を追い込む係だ。追い込む役には「勢子」や「肩」といわれる分担がさらに存在するが、今回はそれら細かい分担は取っていない。
中心部は「芯」と呼ばれ、ハンターが控える場所を特に「待場」という。
アスカが圧倒的に不得意なのが、待つ役目だった。「勢子」としてのアスカはそれなりの成績を収めているが、「待場」にいる時はてんで駄目になるのが常だ。
決して射撃技術が劣っているわけではない。単純な技術の面を考えれば、的が静止していても動いていても、アスカの技術はレイのそれをゆうに上回る。頭脳でも身体操作でも、負けはしない。
しかし。
こういう局面においては、自分の性格が全てをぶち壊しにする。
アスカはそれを認めるしかなかった。
「にぃいッ!」
歯を食いしばっても、声が漏れてしまう。
「畜生ッ」
アスカは手に持ったライフルを振り上げ、岩に叩きつけようとして――止めた。そっと銃を下ろし、しゃがみこんだ膝の上で組んだ腕の中に、顔を埋めた。
水洗いだけしかしていない服からは、据えた臭いがした。
「大丈夫」
泣きそうになっていたところに後ろから声をかけられて、アスカは慌てて涙を引っ込めた。人前で泣くわけにはいかない。
振り向くとレイがいた。その後ろには、老人と犬が続いている。
「大丈夫よ」
「そう? 顔色が悪いわ」
余裕を感じさせるその言葉が、やけに耳に障った。
「っさいわねぇ。放っといてよ」
レイもその声につられるように眉間に皺を寄せ、一言、ぽつりと呟いた。
「心を静めなければ、成功はしないわ」
「ッ!」
アスカは身体を強張らせ、振り返りざま蹴りを放とうとして――そこに、どん、という重々しい銃声が轟いた。
老人が空に向かって銃を突き上げ、引き金を引いたのだ。
「そこまで。少し、休憩にしような」
息を殺す。そして待つ。何度繰り返したか判らない。休憩を取り、またひたすらに繰り返して、今に至る。
待つ時間。その時には、私は何もできない。
「違う」
え?
気付けば、隣にまたこの老人がいる。もういい加減慣れてきたが、どうしてこういうことができるのかは理解できなかった。
東洋の秘術か?
何度となく思ったことをまた考えながら、アスカは顔も向けずに訊いた。
「向こうは」
「もう綾波さんだけでも大丈夫だろうよ。犬もいることだし」
犬か。さかんに脚に擦り寄ってくる犬のことを思い出す。あんなアホ面をして、狩りの時になると自分の何倍も役に立つのだから立つ瀬がない。
「はっ、そ……じゃあ大丈夫ね」
苛立って舌打ちをする気力すら既にない。息を吐き出したついでに笑うのがせいぜいだ。明日が本番だということを考える余裕も、既になくなりつつある。
この期に及べば、さしものアスカも事実を事実として受け入れるしかなかった。私は役に立たない人間なのだ、と。
要らない人間なのだと。
居てはならない人間なのだと。
どうしてだろう、と思う。
それは許せないはずのことなのに。自分は、優れたものとして配合され、母親唯一人から生み出された人間だ。だから、使えない存在であることは許されない。
なのに、今、その唯一の価値が失われたというのに、怒りも湧いてこないのだ。
無理やり燃していた心の芯がきんと冷えて、霜が降りたように。
「ふううう……」
目を閉じて深く、長く息を吐き出す。そこらに降りかけた暗闇に全てが溶けてゆくように、何も聞こえなくなる。
――ひょっとして、こういうことか?
心を静めるとは、こういうことなのだろうか。
「んー。静かは静かだが……一寸、辛そうだなぁ」
「何が」
平坦な声。なんだ、私にもこんな声が出せるのだ。簡単なこと、諦めること、投げ捨てること。そうすれば、あの黒縁眼鏡みたいな、あの綾波レイのような声を出せるのだ。
だが、それをこの爺さんは、辛そうだと言う。
「あちらの嬢ちゃんもあれで難物だが、こちらも難物か、となあ」
「何よ、まだるっこしい」
「うむ。なあ惣流さん。心静かにするってのは、何も、そんな風に荒んだ目することでもないだろう。あんたまるで、あの犬の拾ってきた時みたいな目をしとる」
「は? 犬と一緒にすんじゃないわよ」
振り向きそうになるのを、こらえた。
「はは。そりゃあ失礼。でも、猿真似であの綾波さんのようになろうとするのも芸があるまいと思うよ。あれはあれでどこか欠けとる子のようだし、惣流さんのように負けン気が強い子がなろうというもんでもなかろう」
「……お喋りね。いいの。山の神様が起こるんじゃない?」
「神様には、女の子を二人も連れ込んだことの怒られついでだ。死んだときにでも謝っとくとするわ」
爺さんはあっさりとそう言った。そんなことはもう自分にとっては非日常ではないのだと言うように。
目の前の茂みで、何かが動いたように見えた。
「んっ」
「いや、まだ」
かささ、と音が遠ざかる。どうやら獲物ではないようだった。
「ほら、まだ」
「……なんで?」
「心静かにする、息を潜める。それだけでは足りないんだな。そいつは手段で、肝心要は、動くのを感じる、耳を澄ますことなんだ。ほら、言っただろう、最初に。森の向こうには」
「――仲間がいる」
切れた回路がつながったような気分になった。
「そう、そう。綾波さんはあんたを見つけやすかっただろうなあ。あんたはようくわかる。いっそ気持ちいいくらいによくわかる。その分こちらからは難しいだろうけれども、何、こんだけ稽古したんだ。そろそろ――そうだな。わかるでもなくわかるはずだろう」
アスカが思わず振り向くと、老人はもう暗闇を見ていた。
「向こうで何をしておるのか、どう向かってくるのか、あんたにどうして欲しいのか。静かにして、よぉーっく、聴いてみな」
そして接続された回路に電気が流れ――焔が点く。
聞こえる。暗闇の向こうに、何かがいる。熊。さんざっぱらこの狩りに付き合わされて弱ってしまった、やや小ぶりな熊だ。テディベアみたいに見えないこともない。野性味溢れる牙はあるものの、全体としては可愛らしい。
そして綾波レイ。今は男のもののズボンとシャツ、それから帽子であの異常な色の髪を隠した女子中学生だ。やや釣り目で、朴念仁に見える。しかし……今日は、何か違った。
何を求めている?
かさり、とまた音が聞こえる。
隣を確認したりはしない。ただ静かに――そう、目の前にあるものを感じるために、静かになる。
物音が少し遠ざかる。そしてその後ろに続く音。
そうか、そっちに行きたいのか。それで、そうか、そうやって追い上げるつもりなのか。
経験したパターンが、頭の中に予想図を作る。それを、感じたもので補正していく。
この作業か。
アスカは音を追いながら、ゆっくりと飲み込むようにその作業を会得した。
そして――
一撃。