Evangelion G.G-side 

第参拾弐話 「二つの波打際」

■ “遠い波打際” 昭和十五年 夏 海に近い漁村 ■

学校の会議室にぼろぼろの布団を持ち込んだだけの部屋は、救護室とはまさに名ばかりのものだったが、それでもこの暑い盛りに死人を外に放置しておくよりはいくらか良いと関口には思われた。ただでさえ栄養が不足しているうえに、ここ数日の重労働にも関わらず引き上げられるのは死人ばかりで皆明らかに滅入っていた。

「先生!」

やれやれまた死体か、と医師らしからぬ不謹慎な思いを抱きながら関口は立ち上がる。今日はそれまでと比べればまだ少ないが、それでも朝から数度、引き上げられた死体を確認した。これではカルテの整理も間に合わない。

それゆえに関口は多少の間を空け、引き戸越しに言った。

「今行くから、少し待ってくれないか」

医者家業の役得というもので、特にこのような外れの村にあってただひとりの「先生」である関口は、勘違いをした軍人や軍属のようにえばり散らすというわけではないにしろ、多少の発言権は行使できた。

しかし、引き戸の向こうの荒い声はそれでは止まらなかった。がらり、と戸を開け、浅黒い顔が現れる。

「いかん! 先生、今すぐ来て貰わんと困ります!」

関口がやおら気色ばむ。

「どういうことだ?」

「生きとる! 生きとるんですよ!」

関口はその一言で全てを了解し、すぐさま彼の後について走り出した。

■ ネルフ本部 赤木リツコ執務室 ■

差し出されたコーヒーはインスタントではなかった。当然のようにブラックのまま差し出されたコーヒーは確かに旨かったが、かなり苦みが強かった。

その理由はわからないではない。

目の前にいる赤木リツコの目を縁取る隈。厚い化粧でも隠し通せないほどはっきり出ているそれを見れば、ネルフもまた相当忙殺されていることは知れようというものだ。

どこでも辛さは似たようなものか。そう納得して桑山一尉がつい笑いをこぼした時、それを写し取るように彼女も薄く微笑んだ。

「何か?」

「ああ」言葉を切り、咳払いをした。「いや、さっきの霧島を思い出していたんです。あれもリハビリの一環ですか? 随分と楽しそうでしたが」

言い終わってから多少苦言じみていたことに気付いたが、彼女は特に不快な様子は見せなかった。

「レクリエーションですわ。あの子たちの学校、今は修学旅行に行ってるんです。一緒に行かせてあげることはできませんから」

そういうことか。季節が変わり映えしないせいでどこかピンと来ないが、修学旅行は確かにこの時期の行事だった。

「それは失礼しました」

手詰まりの感がある。桑山は話題を変えた。

「それにしても、凄いですね、ここの技術は。こんな場所なのに、全て行き届いていて……私達にも分けていただきたいくらいだ」

いくら言葉を紡いでも、見透かされているような気がしてならなかった。

「あら? 構わないんですか? そんなことを仰って」

また薄い微笑が浮かぶ。よくできた笑い方である。相手に敵意を与えず、自らの手の内を見せない。

多少、羨ましいが仕方ない。もともとこういう腹の探りあいのような仕事は向かないのだ。

心中でため息をつくと、桑山は開き直った。腹を括る。馬鹿になることに決めた。素で化かし合いができる弟ほど、肝は太くないのだ。

にっと笑いを作ると、ずい、と身体を前に出した。

「いやいや構いませんよ。どちらも同じ日本を、日本人を守るための組織です。……ああ、もちろんネルフは世界相手の仕事ですが、人類を脅威から守る仕事であることには変わりない。我々も戦線に参加することが決まったこれからは、共同戦線を張る機会もどんどん増えるでしょう。技術交換の話もあって一向に構わない。……そうは思いませんか? 何より、あのプールは是非とも欲しい。夏場だと言うのにクーラーひとつ満足についていないんですから、全く嫌になりますよ」

そう言って、大げさに笑ってみせる。口調はまるで馬鹿のそれだったが、気にはしなかった。まさかこんなちんけな科白に騙されはしないだろうが、少しでも油断してくれるなら儲けものだ。

彼女は笑いながら、目の動きを隠すようにゆっくりと瞬きをした。

「……互いの手の内を見せ合うのは勇気が要るものです」

む、と表情は変えないように注意しながら、桑山は考える。何か引っかかった?

もう少し、押すか。

「もちろんよくわかります。私も縦割り行政の本場で公務員をやっている人間ですから。どこだって自分が手をかけたものをみすみす他人の手に渡したくはないものです。それに、ここを見ればもっぱらこちらが教えていただく側になってしまいそうですから、なおのことこんなことを申し上げるのは心苦しい。ですが、そうしなければならない。これから共闘していく以上は」

「……そうですわね」

「それに、間に葛城三佐もいる。赤木さんは、確か……」

「同僚で、友人よ」

口調が砕けたものに変わる。合わせてこちらも出すぎた姿勢をただし、やや胸襟を開いているように見せた。

「私も少しの間ご一緒してわかりましたが、あれは……」

「滅茶苦茶でしょう、あの子」

さらに軽い口調。この言い方は、相当親しい仲なのだろうか。相手も胸襟を開いている? とはいえ、これはいささか開きすぎているような気もした。組み変えた脚に思わず目が行きそうになって、慌てて視線を逸らす。

「ははは。全くです。我々とあなた方と間のどうこう、なんていうのは意にも介していない。なんと言うんでしょうね、あれは、頭に入ってないわけじゃなくて、考えたうえで踏み越えてしまうような……まあ、さっぱりし過ぎではありますが、あれは得がたい。このままこちらへ移っていただきたいくらいです」

「そんなことを言って、深入りしすぎると怪我をしますよ?」

ん、と唸る前に、赤木博士は今度は明らかに笑った。くくく、と声がかすかに漏れていた。白衣ともあいまって、その姿が魔女のように見えた。

確かに、こちらの彼女も、そのくらいは手ごわい存在だ。

「そりゃ物騒だ。怖ろしい」

「ええ、もう。危なっかしくて見てられないわ」

けれど、この辺で切り出すしかあるまい。

「……だからですか?」

「え?」

「葛城さんが出向なさった理由ですよ。いえね、私にはどうも納得できないんです。あれだけの人が、追い出されるも同然……いや失礼。ですが、こちらでの緊急の仕事をおいて出向、そしてそのまま作戦に駆り出されて居ついてしまう……なんていうのは、我々の動きを加味しても、やはりどこか混乱している。そうは思わないですか」

べらべらとしゃべってみせる。だが、こんなことは誰でも言えることだ。

少しうっとうしげに、赤木博士は答えた。

「ええ、そうね。人事異動に問題があったことは認めます。戦術面に不安があるので研修……悠長すぎたわ。所詮は研究組織、あなたたちのように戦闘のプロではない、ということかしら?」

「人類を守る仕事をなさっている方がそれでは困りますね」

すぐさま切り返してみせる。するとその途端、彼女の視線が侮蔑のそれに変わった。愚か者を哀れむ視線だ。

ようし、それでいい。

「だってそうでしょう? 研究の延長でやってもらっては困る。あれは必ず斃さなければならないんですから。世界のためにも、日本のためにも」

「何が仰りたいの?」

いらついた声、に聞こえる。

「ああ、申し訳ない。勘違いはなさらず。充分に感謝はしているんです。ただ、霧島はともかくとしてパイロット達まで、あのように遊んでいては操縦もおぼつかなくなる。身びいきではありませんが、我々の士官学校生たちは、それこそ修学旅行もなしに訓練をこなしているんです。あれもこれも、というわけにはいかない。あの子達は人類の切り札です。先ず目の前にある脅威に対してきっちりと戦術を練り、必要であれば技術を交換し、連携を持つ。そうして万全を期してこそあれに勝つ可能性も出てくるというものです。その重要性を戦略自衛隊の人間として強調しておきたいんです。……我々はその準備を既に済ましています。あなた方が回収した『ひめじょおん』についてもそうだ。あれは機密情報の塊だ。当然、他の組織に渡すわけにはいかない。しかし、我々はあれの返却をお願いしてはいませんね。全ては我々の共闘への意志を示すものだとご理解下さい。ああ、そうだ。先日ご送付した試作陽電子法のサンプルと図面はご覧になられましたか? あのように――」

「――実は、共闘のための技術供与については私達も考えているんです。完成させてから、と思っていましたが、早めにお見せしたほうがあなた方にとっては好いようですね」

かかったな。阿呆のような演説を打った甲斐があった。技術屋なんていうのはみんな同じだ。手持ちの技術を貶されれば頭に血が上って言い返さずにはいられない。

興奮したところを糸口にして、もう一度、今度こそ、彼女の裏を確かめよう。

「……というと?」

アラームが鳴ったのはちょうど桑山がそう思いながら訊きかえした時のことだった。

■ “灼熱の波打際” 西暦2015年 夏 浅間山火口 ■

灼熱の波打際に、二人の猟師と網に掛かった海象がいた。

しかし、そのスケールは通常の数十倍はあった。エヴァ零号機、弐号機と、トライデント級陸上軽巡洋艦――軽巡洋艦だったものが、そこ――浅間山火口にあった。

確かにそれは海象だった。火口上に固定された機体のフォルムは先の戦闘の際に見られたそれとは大きく異なっていた。脚部も胴体部もアザラシの身体を覆う脂肪のような外装が追加され、全体としてはずんぐりと大きいが、その分各部位の起伏はずっと少なくなっている。「陸上」という名称を返上しなければならないほどの変わりようだったが、対超高温度対超高圧力のための低抵抗かつ強靭なフォルムは確かに優れた性能を持つものだった。

「ここまで変わると、もう新機体ね」

火口に控えるアスカがモニタを見て一人ごちた。控え選手だなんて、まったく面倒くさい。文句のひとつも言わねば腹の虫が収まらなかった。

けれど、相棒はそんなことお構い無しにツッコミを入れてくる。

『でも、基幹部分の構造は同じ』

「まあ、一応そうなんだけど、さ」

確かに機体に搭載されている小型原子炉は戦略自衛隊が所有する物だった。核の力などはるかに超えるS2機関を研究しているネルフにとって、その技術はともすれば「時代遅れ」とも思えるものだったが、しかしその安定利用に関しては戦略自衛隊――数十年前から核の力を使った兵器を運用し続けている「軍隊」という組織の方が遥かに長じているに違いなかった。

「でも、S2機関と原子炉じゃ、ねえ」

アスカは再び独り言を言って、口を尖らせた。

そこで通信が割り込んできた。「TRT-00」――霧島マナからの通信だ。

『何よー、さっきから聞いてりゃ折角復帰したあたしの愛機にケチつけてくれちゃってさー。コンセント付きの分際でエラそうに。いっぺん死ぬ? マジで』

およそ穏当とは思えない字面だったが、それが冗談であることは聞く者にはすぐわかる口調だった。それが証拠に、アスカも苦笑交じりで悪口を返した。

「じゃかーしーわよボケ。あんたこそ無駄口叩いてないでさっさと潜ってさっさと捕まえてきなさいよ。ったく暑苦しい。早く温泉入りたい」

『あ、それは賛成』

『作戦終了予定は午後五時。温泉には料理も用意されてる予定』

『お、なんだー、綾波さんも心はもう温泉じゃん』

マナがひひひ、と笑ったところで、無骨な男の声が割り込んできた。

『そこらへんにしないか、霧島』

桑山だった。小ウィンドウには渋い顔をした男が移っていた。

「やーい、怒られてんの」

『あなたもよ、アスカ』

名前を呼ばれて思わず、ぐ、と唸ったアスカがウィンドウに目をやると、こちらには眉間を押さえた赤木リツコの姿があった。


二人は顔を見合わせて苦笑した。

「困ったものですわ」

そんな風に機先を制されると、桑山もそれ以上は言えなかった。

「ええ、まったくです」

赤木リツコを初めとしたネルフの面々と、協力を依頼された桑山キクユキ一尉及び霧島マナ特曹は浅間山付近の観測所に詰めていた。

使徒の胎児と思しき物体が発見されたためである。

「けれど……確かに、今回は『戦闘』ではありませんから、あまり血気に走らずにミッションを遂行して欲しいところです。捕獲、というのも視野には入れていますが――少し先走りすぎです」

そう、戦闘ではなかった。

「戦闘」でもなければ「索敵」でもなく、今回の作戦の本義は「調査」にある。

研究機関としてのネルフの本領が発揮される仕事だった。

「今のところは、ですが」

後ろからネルフ作戦部員である日向の声が被さる。桑山も同意見だった。彼や自分――軍人が必要になる状況に陥る可能性も充分にあるのだ。

「ええ。けれど、本義はあくまでも調査です。この状況で相手を刺激しても、こちらが不利なだけですからね」

確かにそうだった。兵は拙速を好む、というが、今回に限れば拙速に出るのを遠慮したい状況ではあった。現場は超高圧、超高温のマグマの中で、かつ、相手はその場所でのうのうと生きている化け物だ。

「ええ、理解しています。――しているな? 霧島」

『はぁい』

気の抜けた返事に桑山は苦笑した。この子に関しては心配などしていない。何かあれば、すぐに「地」が出るだろう。

「だ、そうです。それでは、そろそろ」

「ええ。それでは、始めましょうか」

『了解、作戦、開始します』

霧島マナの返答を合図に、核の火を載せた海象はゆっくりと火口に引き降ろされていった。

全体を俯瞰するためindexへ向う
退却の英断を下す。前へ戻る
我が身既に不退転。次へ進む