- The rest stories of "Project Eva" #23 -

"恐怖の携帯電話"

1

「笑いを探しているのです」と目の前に立った女は言った。

「は?」

「だから、笑いを探しているのです」

「……はあ」

何だこの子。そう思いながら私は目の前の女、というよりも女の子を見た。

なんだか怪しい黒い服、染めたんだかなんだか知らないが、やけに目立つ青い髪。そして、極めつけにその無表情。もうちょっと、せめて愛想笑いくらいはしてもいいと思う。

どうしよう。春先でもなければ真昼間でもない。今は夏真っ盛りの朝10時だ。こんなのが出てくる要素は何もないのに。非常に運が悪い。しかし、迂闊にも玄関の扉を開けてしまったからには追い出すのは気が引ける。自慢じゃないが、私は包丁を売りに来る人が来れば30分は話を聞いてやり、新興宗教の勧誘の人が来ればたっぷり1時間は熱心に話を聞いてやるような人間なのだ。いや、別に趣味ではない。断れないだけだ。しかしとにかくそういう人間には、手折れるくらいに華奢で、しかも同じ女の私が見ても超がつくくらい可憐な娘をあっさりと追い返すことはできないのだ。

「えっと」

間を持たすためにそう言ってみると、速攻で言葉を返された。しかも、とびっきりの斜め上を。

「笑いを知りませんか?」

そんなこと言われても。引きつった笑みがせいぜいだ。笑えない。当事者でなければ笑いの種にはなるんだろうけど。こんな厄介なものが目の前に来られ た身としては泣きたい。どうしよう。こんなことで折角の貴重な休日を潰したくは無い。そうそうにお引取り願おうとして……そのまま精根尽き果てた感じでふ らーっと倒れてきたその子を、思わず受け止めてしまった。私の馬鹿。

重力が避けて通っているように軽い身体を支えると、細い中にもしっかりと柔らかさは残っていることが判る。いいなあ。

彼女は私の腕の中で、ひっそりと囁いた。

「にんにくらーめんチャーシュー抜き」

「は?」

「そう、ダメなのね。もう」

会話になっていないが、とにかくそう言ったきり黙ってしまった。と思えば、抱き上げたお腹からきゅるるとかわいらしい音がする。どうしてこう貧乏くじを引いちゃうんだろうか、私は。

そして、結局。

持ち前の気の弱さやその他諸々を駆使し、私は結局彼女を家に上げてしまった。害はなさそうだし、いいよね、と自分の危機感に言い訳する。家に上げた 後、その辺に転がして死なれるわけにも行かないので、しょうがなくトーストとサラダを振舞ってやった。ベーコンも焼いてあげようかと思ったが、「肉は嫌 い」らしい。そっか「チャーシュー抜き」ってそういう意味か。あれはギャグじゃなかったんだな。人間、飯が関わると正直になる。

そんな風にかいがいしく世話を焼きながら、私はふと考えた。

はて、なんで見ず知らずの人相手にこんな事してるんだろう。

そう思ううちに、目の前の女の子はかなりのハイ・スピードでトーストとサラダをまるで草食動物のようにむさぼり、恐らく満腹になったところで手を止めた。

「ごちそうさまでした」

「どういたしまして」

静寂。どうしよう。自分よりずっと年下のはずなのだが、何だか怖くて出て行けなんて言えない。

「お礼に何か」

「結構ですっ」

それだけは絶対に拒否だ。少しでも早く関わりを絶ちたいのに、冗談じゃない。

「いえ、俺に笑わせて差し上げます。お礼をしない事には帰るわけにはいきません」

「帰るところあるんですか?」

思わず嬉しそうにいったしまった私に罪は無い。きっと。

「笑いを探すという名の旅路に」

笑わせて差し上げるって、自分も探してるんじゃん。突っ込みそうになったが、そうなるとこれはもう、完全にこの子のペースにハマってしまう。だからダメだ。きっと、これは新手の詐欺か何かだ。笑わせ詐欺。微妙だ。

ひとまず警察を呼ぼう。ようやく思考がまともになってきた。早速電話機に手を伸ばす。と、ベルが鳴った。誰だろう? 誰でもいいや。ひとまず誰かに相談して笑い話にでもし、その後警察に電話しよう。む、私はまだ混乱しているのか、そう結論付けて受話器を手に取った。

「はい、もしもし」

「……」

「もしもし?」

「ごめんなさい、こんな時どう言ったらいいのかわからないの」

『ごめんなさい、こんな時どう言ったらいいのかわからないの』

背後と耳元で同時に声が上がる。

は?

「え?」

「面白くないですか?」

振り返れば、そこには古めかしい携帯電話を持った女の子。思わずぞぞぞっと背筋が寒くなった。

「な、なんで番号知ってるのよ!」

すると、その無表情な顔の口元をにやりとゆがめて一言。

「笑いの道に不可能は無いわ」

「笑えないのよ!」

ヒステリックに叫ぶ。だめだ、これ以上付き合っていると頭がどうかしてしまう。誰か助けて。

「そう」

しかし彼女はそう言って、気にした風もなく再度テーブルについた。食後の一服代わりに牛乳を飲んでいる。何がしたいんだろう。怖い。一体私が何をし た? 母さん。何で私をこんな優しい子に産んだのですか。

そう思いながら言葉もなく目の前の女の子を見返すと、彼女は突如その身体をくの字に曲げた。

「え?」

「……ごふっ」

突然咳き込んだ彼女がこちらを見たとき目から……白い、乳白色の液体が出てきた。ついでに鼻からも。何が起こっているんだ、ここはどこだ。

「白い涙……」

「なっ、なっ、なっ!?」

「たらりー、鼻からぎゅうにゅー」

なんなのよ一体。もう恐怖で固まった私は何も考えられない。顔から白濁した液体を垂らした少女はほとんど抑揚もなく無表情でメロディーを紡ぐ。ホラー顔負けの迫力。男の人なら嬉しいのか? 女の私には怖いだけだ。『エイリアン』に出てくるアンドロイドのようだ。白い体液で動く人に良く似たロボット。

などと連想ゲームで恐怖を倍増させる内に、彼女は無理矢理な顔を俯け、大きく咳き込んだ。

「ごふっ」

相当びっくり人間的な芸に耐えられなくなったのか、突然咳き込むとしばらくうずくまってこんこんやっている。

あまりにも長い間咳き込んでいて可哀相に思えたので、恐る恐る近づいて背中をなでてやった。ふと見ると、テーブルにはコップに注がれた牛乳と、そのまわりに飛び散る白い液体。これも牛乳だろう。あー。そうか、さっき飲んでたな。

「こふっ、けふっ」

「何がしたいのよ、まったくもう」

どうやら牛乳を涙代わりに出そうとした挙句、気管の方に逆流したらしい。まさに身体を張ったギャグだ。こんな華奢な子がしたら笑えない事態に見えて しまうのが不運だが。

「わら、えるかと思って」

「笑えるわけないでしょ」

私はため息をつきながら彼女の顔を見た。この子はやっていること自体は常識のはるか斜め上だが、声音と表情はいたってまじめだ。その顔は相変わらず無表情だけれど、目は真剣である。迷惑だが、どうも憎めない。

うぅ、どうしよう。さっきからこればかり考えている気がするが、それでも考えないわけにはいかない。警察警察、という気持ちも、今は落ち着き始めていた。

見た感じ、この子はまだ中学生くらいだ。家出でもしてきたのか? 笑いを探すために? そんなわけはないか。おおかた家が嫌だとか、そういうつまらない理由に決まっている。かといって、追い出した挙句に同じ事を繰り返そうとして暴漢にでも襲われたりしたらそれは流石に可哀相。馬鹿っぽいからやりかね ないのがさらに怖い。だが、いきなり警察というのも、何だか大事になりそうで嫌だ。

ふむ。まあ、日本語は話せるみたいだし、ひとまずはコミュニケーションから始めよう。千里の道も一歩から。そう勝手に結論付けて、私は女の子に話を聞いてみる事にした。

が、その前にこぼれた牛乳を何とかしなければならない。体温で程よく温かくなった牛乳は、小学校や中学校のときに馴染んだ、あの何だかべったりとし て鼻にまとわりつく臭いを放ち始めている。腐った雑巾のあれだ。

私はテーブルの上の布巾を彼女へ投げた。べち。彼女は当然のように顔で受けたが、それはスルーだ。

「はい、とりあえず、これ。顔拭きなさい。テーブルもね」

「ありがとう」

「しょうがないから、三日だけ置いてあげる。その後はちゃんと家に帰るのよ」

「?」

「聞いてる? ってあーもう、汚れちゃって。ひとまずお風呂はいってらっしゃい」

近くで見ると埃まみれになってるわ髪はぼさぼさだわで結構汚れていた。臭いと思っていたが、それは牛乳のせいだけでもないらしい。何日ぐらい家出してるのだろう。せめて連絡だけでも入れさせないと。

そう思った私は家の番号を聞こうと脱衣場に向かった彼女を追いかけた。

2

どういうことだろう、これは。

あれから1週間。私の目の前には、なぜか目の前でもくもくと朝食を平らげる少女が一人いる。あれ、なんで1週間も面倒みてるんだろ?

3日じゃなかったか?

……仕方ないじゃないか。

素性が知れず、なんでも浮浪者当然の生活を続けている(らしい)小娘1人放り出すのは簡単だけど、なんだか、妙に愛着がわいちゃったんだから。

昔々、捨て犬を拾った時を思い出す。あの時も既に飼い犬が一匹いる私の家では飼えないことを知っていながら、内緒で縁の下にかくまって餌をやったっけ。そして、結局は愛着がわき始めてから保健所に連れて行かざるを得なくなり、私は自分が悪いくせに思いっきり拗ねたのだ。

今回も同じだ。結局、警察にも行ってない。ああ、ドツボだ。

今私の目の前にはレイちゃんがいる。レイという名前だけが、あの子が私に話した唯一の個人情報だ。

さて、くだんの少女はどこから調達してきたのか、鼻眼鏡にはげ頭のカツラをつけてさっきからこちらをじっと見つめてこちらの反応を待っている。私が一瞥しただけで視線を逸らすと「そう、だめなのね」と呟くと奥の部屋へ引っ込んでいった。この1週間ずっと似たような事を繰り返している。なんだか彼女の先ほどの変装(?)に馬鹿にされているような気がして思わず泣けてきてしまう。ほんとに何してるんだろう、私は。

でも、そうも言っていられない。とりあえず状況を整理しよう。こうやってすぐに立ち直ってめげないところが、私のいいところだ。……ダメなところかもしれない。

わかったことその1。この子は素性がわからない。名前以外のことを一切口にしないし、今後も口にする気は無いらしい。

わかったことその2。この子はめちゃくちゃ可愛い。思わず1週間も家に置いてしまったのも半分はそのせいかもしれない。

わかったことその3。この子はとても頭がよい。私が積み残して持って帰って来た仕事を、見よう見まねでやってみせた。たかだか中学生の女の子がだ。

わかったことその4。本気で私を笑わせるつもりらしい。さすがにあんな小学生が喜びそうな事をされても私は笑えない。逆になんだか悲惨に思えて泣けてくる。

わかったことはこのくらいだ。多いのか少ないのかは私にはわからない。どっちでもいい。

逆に、わからないこと。これはわんさかある。いちいち挙げるのも面倒くさい。

素性に始まり、他人を笑わせたい理由、家出の理由、保護者はいないのか、その変な髪の色は何か、今までどうやって過ごしてきたのか、そんなことだ。 訊いたって答えない。少し怒って問いただせば、レイちゃんはその可愛い顔を悪魔的な角度で俯けて「……ごめんなさい」なんて言うものだから、そうなるとお姉さんはもう手を出せない。困った大人だ。

「はぁ」

溜息がくせになってしまった。そんな私の目の前に立つレイちゃんはリンボーダンスでもやろうというのか妙な格好をして火のついたバトンのようなものを振り回している。どこから出した。もう何が出てきてもあまり驚かない自分が怖い。

「はぁ」

ひとまず一般常識を教えないと。私の身が持たない。恐らく、この部屋の壁も。こんがりと焦げ目がついてからでは遅い。

もちろん、こんなことをやっている私にだってそれなりの身分や経歴はあり、それなりの事情もある。私は女で、まだ20代で、おまけにバリバリの社会人だ。超敏腕、とかそういうことは言わないが、普通に仕事をしている。

彼氏もいる。いや、いた。

少し前にある事情で別れて(とてもつまらない理由だ。しかも実際のところ、自分たちが別れているのか、まだ付き合っているのかすら確認していない)今は仕事の方にハマっている。笑いをあらかた失った今の生活はちょっと辛いが、やりがいのある仕事ができるのは悪くない。

そう、悪くは無いのだが、やはりふと寂しさがこみ上げる事がある。独りで酔いつぶれるまでお酒を飲んでごまかして夜をやり過ごすことも、やはり幾度かはあった。そして、ちょうど何度目かのそんな朝にレイちゃんは私の前に現れた。こんな可愛い子が毎日構ってくれる、と考えるあたり現実逃避気味だけど、やっぱりなごませてくれる相手がいてくれるのは嬉しい。頭痛の種になっても。たぶん。溜息は増えたが毎日が楽しい。

しかし、だ。

私の事情と彼女の事情を加味して情状を酌量するとしても、こんなことを続けるのはやっぱりまずい。

私はこの子の保護者ではなく、知り合いですらない。そしてこの子は、どう見ても未成年だ。最大限上に見て高校生、普通に見れば中学生か下手をすれば小学生だ。こんなに頼りないのが大学生だったり、もしも成人だったりしてみるがいい。私が性根を叩き直してやる。

ということは。私のやっていることは冷静に見れば普通に犯罪である。未成年者略取、という奴だ。

さて、どうしよう。遠くに視線を移し、今も目の前で元気に水子芸なんてやってる少女に思いをはせる。普通の会社員でちょっといい人だった私は、人助けをするつもりがうっかり犯罪者になってしまった。しまった、じゃないんだ。いい加減、そのあたりははっきりさせないとまずい。

だから、これが最後だ。最後くらい、素直に彼女の行動を見守ってあげよう。笑ってはあげられないけど。そうすれば彼女も納得するだろう。たぶん。

その後は、まず彼女の素性をはっきりさせなければならない。彼女をどうするかという点から見ても彼女の素性を調べるのは外せないところだった。それに、そういうことを抜きにしても物凄く気になる。卑怯ではあるが、多少今までのこと引き合いに出しても訊きたい。

この1週間、わりと楽しかった。いや、はっきり言おう。この1年ほどでこれほど笑ったのは初めてだった。この子のギャグで笑うことはついになかったけれど、この子は人をなごませることは出来る。

しかし、やはり私は私、この子はこの子だ。それぞれに帰るべき場所はあるはずだ。ならば、いつまでもこの状況に甘えるべきではない。一社会人として、大人として。寂しくなるけれど。

まあ、そういうことだ。

さて、と一念発起。覚悟をきめた私は『アダムス・ファミリー』の長女のモノマネというコアな事をやっているレイちゃんに視線を合わせて話しかけた。

「レイちゃん。ちょっとお話があるんだけど」

「なに?」

私の反応がないことについては諦めているのか、彼女は素直に反応を返してくれる。

「あのね」

そう言うと、何かを諦めたようにレイちゃんは肩を落とした。

「……ダメなのね、もう」

その言葉はこの子の口癖だったが、今日は大ヒットだった。思わずめげそうになる。しかし、今日という今日は負けるわけには行かないのだ。

「ちょっとまじめな話をしたいんだけど、構わない?」

素直に神妙に正座するレイちゃん。あぅ、可愛い。

「あのね、レイちゃんの事について聞きたいの」

無言。

「それがわからないともう一緒にはいられないわ」

ひとことも発さない。

「ねえ、あなたは大人じゃない」

そう言うと、レイちゃんははっとした顔で私を見た。

「あなたには難しいかもしれないけど、私はこのまま何も訊かずにずっとレイちゃんといるわけにはいかないのよ。ずっとこういうことを続けてしまえば、いずれ私は凄く困ることになる。だから、酷なようだけど、ちゃんと、あなたのことを聞かせてちょうだい」

しかしそれでも、口を開こうとはしない。

しんと静寂。さすがに一方的に言い過ぎたかしら。難しい。と、レイちゃんが口を開いた。

「解かり、ました」

「うん、ごめんね」

だがここで、またレイちゃんから返って来た言葉が私の意識のはるか斜め上、恐らく成層圏くらいの高さを滑った。

「出来れば最後まで取っておきたかったのですが、そこまで激しくご所望されるなら仕方ありません。とっておきの、虎の子。奥の手の笑い話をします」

はい?

3

「えーと、あのね?」と私は言った。虎の子? 奥の手?

「いいから聞いてください」

「……どうぞ」

妙にドスの効いた口調に思わず有無を言わせず黙らされてしまった。くっ、だから私は本当どうしてこう押しに弱いのか。馬鹿。

「私、実は、任侠に生きる漢の妻なんです」

「え……うええぇ?」

「それなりに権力ある夫なので、私の身柄の安全を確保するために、私はこうして……ああ、でも、あの人は年増の叔母に手を出して、私はもう、どうすれば」

「た、大変ね」

「笑えないのね。ごめんなさい。こんな時どんな顔したらいいのかわからないの」

「えーと。レイちゃん。私、今、大真面目なんだけど?」

そう訊いてみたものの、顔は平静なのにやけにハイテンションに喋り続ける彼女には、私の言葉は立て板に水、焼け石に水、もう何でもいいや、とにかく意味をなさなかった。

そして、話はますますあさっての方向に加速していく。

レイちゃんは神妙な面持ちで一方的に言った。

「私、実は、美少女戦士なんです。世界を救うために戦ったのですが、自爆攻撃を使ってしまったらあっさりと死んでしまいました。幸い代わりがいたんですけど、痛いのには変わりがなくって」

「レイちゃん?」相変わらず私の話を聞いてはくれない。

そして、話はついにしあさってにすっ飛んだ。

「私、実は、死神なんです。悪魔の使いとして人間の魂を集めるために下界に――」

「ちょっと!」

あんまりにもあんまりな方向に向う話を静止しようとする私の目の前にビッと手を出し、レイちゃんはすっと黙った。

「すいません、今までのは全て冗談です。……私、実は」

そんな思わせぶりなフリに、私は馬鹿正直にも思わずつばを飲みこんでしまう。ごくり。

「生き別れたあなたのいもう」

「真面目に話しなさい!」

これにはさすがにこの私でも怒った。こちらは真剣なのだ。少なくとも、この現状を捨てるほどには。

私の怒声を聞いて観念したのか、レイちゃんは暫く私の目をじっと見て、おもむろに口を開いた。

「私、実は。存在してない人間なんです」

その言葉にまた思わずカッと頭に血が上った私をレイちゃんが見つめる。親不孝なセリフに頬のひとつでも張り飛ばしてやろうと思った私は、その目を見てひとまず黙って聞く事にした。だってそれは私が彼女を初めて見た時の、あのどこか、悲しそうで真面目な目だったからだ。

「私には仲間と、お姉さんたちがいました。いや、みんなで1つの家族だったのかもしれない。私にはあの人たちの他に家族と呼べる人はいなかったし、結局お姉さんたちは私が大きくなる前にみんな死んでしまったから」

そんなふうにレイちゃんはとつとつと続けた。やっぱり無表情だ。伏せた顔、瞳は見えない。

「でも、今はその家族はいません。色々あってあの人たちはみんないなくなってしまったし、いなかった事にされたから。逃がして貰ったのは私だけでした。……あの人たちはなんだかんだでいろんな人に迷惑をかけたから、みんなあの人たちのことを忘れたかったのかもしれません」

私は目を細めてその奇妙な話を聞いた。何かの比喩か? そう思うが、声は単なる事実を述べている声だ。ただの事実、それ以上でもそれ以下でもない、という感じでレイちゃんは言った。

「でも、みんなには忘れたい人でも、私は忘れたくない。あの人たちは私の全てだった。私という人間を見つけて笑い方を教えてくれた人も、その中にいました。でも。気がつけば私、また独りぼっちでした」

あまりにも真面目な語り口に、私は黙るしかない。何て言えばいいんだ、こんなとき。

レイちゃんは泣いてるような気がする。もちろん表情は相変わらず無表情だし、涙も零さなかったが、そうとしか言い表せない雰囲気だった。心が泣いているのだ。その空気に嘘は無い。では、これは本当のことだということか? 一家の消滅。天涯孤独。にわかには信じがたいが、サード・インパクトに伴った混乱を考えれば、絶対起こらないとも言えない。それにしても、そんな過酷なことが、こんな華奢な女の子の身に?

私は黙って続きを促した。今は何よりも彼女の話を聞きたかったし、聞いてやるべきだと思ったからだ。

「そして、ふと気がついたら、あの人たちがいた証すらどこにもなくなっていました。そうしたら、私は独りぼっちですらなくなった。あの人たちがいなければ――私はいないも同じだから」

それきり、彼女は黙って俯き。

私は、ただ、彼女の方を見ていた。

しかし、まだ私には訊かなければならないことがある。私は肝心のことをまだ訊かぬままにしているのだ。ここまで彼女のことを訊きだしておいて、ここで尻尾を巻いて引き下がって、どうする? 金山に大穴を空けて金を採らないようなものだ。

だから私は、ゆっくりと彼女に言葉をかけた。

「……ねえ、レイちゃん。何で、あなたは笑いを探してるの?」

「絆、だから」

「誰との?」

「お姉さんとの」

レイちゃんは顔を上げた。

「私には3人、お姉さんがいるんです」

先ほど聞いた話だが、より詳しい。3人の姉。

「1人は小さい頃に亡くなって、1人は事故で亡くなって、1人はいなくなっちゃいました」

私はそれを聞いて天井を見た。

「最初のお姉さんはあまり覚えていないけど、2人目のお姉さんは照れ屋でした。3人目のお姉さんは、どうだろう、ちょっと怖い人……なのかな。姉妹だからでしょうね。私達、みんな笑うのが上手じゃないんです。笑わせるのも」

失われたつながりを確かめるように、笑わせるのも、という言葉を強調してレイちゃんは話した。

「でも。2人目のお姉さんに言われたんです。笑いなさい、って。姉さんは、好きな男の子に、そう言われたんだ、って言ってました。だから、私も笑いたい。でも、他の人が笑っていないと、私は、笑いたくないから。笑えないと、思うから」

そう言うレイちゃんはやっぱり無表情で、でもなんだか泣き顔に見える。きっと本人も気付かないぐらい、僅かな変化だけど、この1週間だてに彼女を見ていない私には分かった。その時の彼女は、まるで自分に、誰かに言い訳するような顔をしていた。

「だから私は、笑いを探してるんです。私が笑えて、他の人も笑えるようなとびっきりのを」

そこまで喋った後、レイちゃんは私の目をじっと見つめてきた。思わず目を合わせ、外せなくなる。いや、違う。視線を外そうと思いもしなかった。そうか。このときようやっと私は、自分が彼女を手放せなくなった理由と、彼女が笑いを探す理由を理解した。

この子も笑いをなくしてしまったんだ、大事な人たちと一緒に。私は、この女の子の中に自分を見ていたんだ。だから……だから、レイちゃんは本当に一緒に笑ってくれる人を見つけなければいけないのだ。私のような女ではなく、掛け値なしに笑ってくれる人を。

「そんなお話です。どうですか? 笑えませんか? 私の話」

レイちゃんの言葉に、私はうまく答えられなかった。いつの間にか私は泣いていた。レイちゃんも不自然に笑いながら泣いていた。まるで昔話はもうお終いと言うように言葉を切った彼女の目から、いくつも美しい筋を作って涙が流れる。湿った部屋の中で、可憐な女の子と、とうに大人になってしまった女の2人で馬鹿みたいに泣いた。

そしてひとしきり泣いて、ようやく言葉を発することができるようになると私は言った。

「……あのさ、レイちゃん」

「なんですか?」とレイちゃんは涙を拭きもせず答える。

「最高に笑えるよ、まったく、こんなネタを今まで隠し持ってたなんて」

「よかった」

そう言うと彼女は立ちあがり、玄関へ歩き出した。私は後ろ姿を見ながら続く言葉を聞く。

「やっと笑ってもらえました」

それは、昔寝るときに絵本を読んでもらった時に知ったような、愚かでこっけいで、でも美しくて厳かな少女の生き方。それを聞いても泣き笑ってあげる事しか出来ない私に相変わらず微妙な笑みで微笑んだ彼女は、いつかと同じように玄関からこちらを見ていた。

「行くのね」

「はい。まだまだ笑いの道は遠いんですよ?」

「うん。頑張ってね」

また会える? とは訊けなかった。訊いてしまうと本当に会えなくなってしまうような気がしたからだ。それに、きっとこれが最初で最後だとも、薄々はわかっているのだ。笑いを忘れた私を笑わせた彼女に会えるのは、私がまた笑えなくなった時だけだろう。だけど、私はもう、笑えないなんて事はない、きっと。

それならせめて。

またあてもなく笑いを探す旅に出るだろう彼女に、私は折りたたみの鏡を突き出した。

「え?」

戸惑う彼女に涙声で、でも精一杯笑顔を浮かべて言ってやる。

「餞別代り。見てみなさいよ、ちゃんと笑えるから! 自分の顔も見ないんじゃ、探せるものも探せないでしょう?」

彼女は目をまん丸にして、今度こそちゃんと笑った。ほんの一瞬だけど、確かに私は見た。

「はい。それではお元気で。またあなたが笑えなくなった時に会いましょう」

悲しい決別の言葉を残して彼女はドアの向こうに姿を消した。

そんな相変わらずな彼女の振る舞いに呆れながらも、なんだか彼女らしいと感じてしまったことに思わず苦笑する。そして、ぽつんと残された玄関をしばらく見送ってから部屋に視線を戻した時、私はそれを見つけた。

「あ」

そこには、あの古めかしくてやけに大きい携帯電話が転がっていた。軍用みたいな濃い緑色の携帯電話には、ネーヴ、という英語の言葉が書かれた赤いマークが入っていた。やれやれ。追いかけても、無理だろうな。

私は電話を拾った。そのまま暫く手の中でもてあそんだ後、ボタンを押し、試しに自分の携帯にダイヤルしてみる。

しかし、携帯はうんともすんとも言わない。

「ん?」

首を傾げて裏を見れば、電源はぼろぼろで、とても使えそうにはなかった。

「じゃあ、あの時、どうやって掛けたの?」

思わずその言葉を口に出したけれど、結論は出そうにもない。だから、私は彼女の起こした不思議を認め、深く詮索することを潔く諦めた。

「……まあ、いっか」

『そうそう、笑いの道に不可能はないんですよ』

あのときの彼女の言葉がふと脳裏に響いた。――いや、そうじゃない。確かに、その声は今、この電話から――

『どうです、笑えるでしょ?』

やっぱり。

「笑えないのよ!」

私は叫んだ。間違いない。確かに壊れた携帯電話からは彼女の声が聞こえてきていた。でも、言い返す私の声は笑っていた。

「でも、いいわ。私、ずっと持ってるからね、これ」

『ええ。また、笑いの道が見つかったら、ご連絡します。会いに行きます』

その言葉を最後に、魔法の携帯電話は元の壊れた携帯電話に戻った。

私は携帯電話を机の引き出しにしまった。そうして暫く呆けた後、胸の奥の方からだんだんと笑いがこみ上げてきているのに気付いた。

きっと、もうすぐ笑いは見つかるだろう。

だって、私は見たんだから、あの時。私の突き出した鏡の前で笑う彼女を。

だから、そう、それならば、その時彼女に会う私はやっぱり笑っていなければならない。

止まらない笑い声が部屋に響く。そうだ。私はこんな声で笑う女だった。そうして、涙で濡れて湿った部屋に独りで馬鹿みたいな笑い声を響かせて、私はレイちゃん専用携帯電話を収めた引き出しから、それと入れ替わりに自分の携帯電話を取り出した。

あの時以来、休みの日はずっと机に押し込めていた携帯電話、登録を抹消したはずの番号を指が確かな動きで押してダイヤルする。そんな自分にまた笑って呼び出し音を聞く。

なんだ、ちゃんと覚えてるんじゃない。

そうだ、レイちゃんの言うとおり。笑うための道は険しく遠い。でも――しかし。

その道を往こうとする者には、きっと笑いの神様は優しいのだ。

意外にも着信拒否されることもなく繋がった電話の向こう、恐らくは焦っているだろう彼に、私は相変わらずくすくすと笑いながら緊張感ゼロで話しかけた。

「もしもし? 久しぶり。元気?」

返って来たのはなんだかひどく戸惑った彼のもごもごした声。うん、めちゃめちゃ懐かしい。噛み殺そうとしても抑えきれず笑い声が出てくる。

「あのさ、実はね――」

- The rest stories of "Project Eva" #23 - "Are U Laugh Maker?" end
first update: 20050201
last update: 20060102

note

About author
作者:north
BGM (a storyline and citiations is stealed from)
BUMP OF CHICKEN『ラフメイカー』
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