- The rest stories of "Project Eva" #43 -

"鬼ごっこ(ご近所編)"

 

最終的になかったことが一体どういう出来事か、一言で言い表すのはとうてい無理だ。何が無理かと言えば、そもそもここでの最終をあなたの知っている概念では説明できないほどなのだからそれこそもうどうしようもないと言うしかなく、その点に関しては僕も申し訳なく思っている。

しかしかといって僕がどの点について許してもらいたいかとなれば、これまた任意の点についてと言うしかなく、僕とあなたとの間にはそれほどまでに絶対的な段階の差が佇んでいる。それこそ申し訳ないように思うけれど、これもまた仕方ないことだ。実際に語ろうとすると、諦めばかりが先に立つような、これは記述なのだ。

そして結局のところ、僕がどうならなかったのか、どうならないのか、どうなってゆかないのかは、どこかへ行ってしまった僕には超時間的な範囲で理解できるけれど、あなたには知ることも理解することもできないはずだ。

もしもそれが理解できるとすれば、それは僕がどこにも行けなかった印で、現にそうではない。

そんなわけで、これは原理的に誰にも知られるはずのない物語だ。

だからこそあなたが見ている、こののっけから物語の最終地点であるはずの場所から語りかけているかのように見える僕は、実のところ僕ではありえない。僕はもはや当初から存在していないし、存在していないという示唆すらも存在していないのだから。

そしてそれゆえに、この文字列は僕の言葉ではありえない。誰かが書いたかも知れないし、全ての文字列を含む文字列、全ての情報の一部として偶然に現れたのかも知れない。どのように存在したとしても、それは本質的に存在しない僕には関係がない。

でも、そうではありながら、初めから存在しない僕はどうにかしたやり方で、その存在しない物語があなたに伝わっていて欲しいとも思っている。

そしてそれは、いつかきっと叶うだろう。

あなたがそれを諦めさえしなければ。

そうあって欲しいと、僕は居ないなりに心から願っている。

Return

だいたい自分にとって都合の悪い結果が出たので時間を遡ってどうにかしよう、などというふざけた発想を碇シンジが持ったのが間違いだったのだと葛城ミサトは思う。

そもそもそれ以前に、そんな駄々を捏ねて地団駄踏む小学生みたいなアイデアを思いついた当の本人がA.T.フィールドの操作などという、さらにもう一段階ふざけた能力を持ってしまっていたというのが悪い。例え阿呆丸出しの発想を持っていたとしたらそれはそれで壮絶に厄介であるような気はしないではないが、実行力を伴わなければそこまでの害にはならないのだ。だから何より、碇シンジが阿呆丸出しを阿呆そのままに実現できてしまえる立場であったということこそが、世界が足を踏み外して蹴躓いて転げ落ちる原因になった最初の一歩だったのではないかとミサトは考えている。

というのは実際はそれは天才的な閃きでも何でもなく、現状を日々観察している人間のひとりとしては当然思いつくことだ。けれど、さしものミサトもそれに関してはあまり言えないでいる。碇シンジが馬鹿であったのは確かだが、そうなる原因が時間的には本来は一年以上先にあってしかも自分自身もその一端に加担するのだと言われると、その点についてはあまり糾弾しにくいのもまた確かではある。

ミサトにとってその時刻が未来にあり、しかも条件が変わった以上もはや正確にその未来に繋がることはないことはもちろん知っている。というかそれ以前に現状では既に未来とか過去とかどうでも良くなってしまっているのだから考える必要もないだろうとも思う。だからミサトは大手を振ってそれを糾弾できなくもないはずだった。

けれど、それが偶然にもあるべき未来に近いものに接続されてしまう可能性ならゼロではない。

殊勝にもそう思えるのは、為された説明が半分以上意味不明であることも手伝っている。目の前に存在する説明はたどたどしく、とりとめもなく、不意に消えてしまう可能性さえある。となれば、もはや何がどうなっているのか誰にもわからない。

「どーしろってのよ……」

あまりの意味不明さにミサト自身幾度となくそう呟いたし、今も日々呟いている。日を追って、といっても現在という時間を切り取ってもそれを追うごとに状況が変化するという超時間的な尺度なのだから正確には日という単位では測りえない、だから少なくともこのぐずぐずの時間には属さないもっとあっちの高い次元にそれは属していることになるが、いずれにしろその時間と似たような軸の正の方向に向かうにつれて順調にこんがらがり続けている状況に向かって、ミサトはいつもそんな諦め交じりの言葉を呟き続けている。

とはいえ今現在の状況とその理解度を正確に表すなら、何が起こっているのか皆目検討もつかないのでどうしようもない、というのは最も妥当な理解ではある。ここらへんの異常な直観力が葛城ミサトが葛城ミサトたる理由の一部だと思えなくもない。

状況は刻々と刻むべき時刻を越えて変化しているのだから、ある時点でどれほど正確で真としか言いようの無い状況把握を行ったとしても、いつかどこかの現段階で同時にそれは偽になってしまう。

現在の状況とはとどのつまりそうした状況であり、だから全ては意味不明であるというミサトの感想だけが正真正銘間違いなく正しい。

でもそんな風にわけわかんねえ、とミサトが正鵠を射た時には、たいてい隣にいる腐れ縁が説明にならない説明をしてくれる。

「どうもこうもないわ、既に使徒戦役は人類補完計画を発展的解消してその先へと向かっているの。それが既に人類に手出しできないものであることが救いなのかそうでないのかはわからないけど……」

天才赤木リツコの苦し紛れな解説も、恐らく正解していてもどこかで同時に間違っている。少なくともどこが発展的なのかミサトに理解できない時点でもしかすると最初から間違っているのかもしれない。それが笑う哲人冬月コウゾウのもう少し哲学的な解説であっても、状況を面白がっているだけで不正確には変わりない。

一旦見当がついたと思っても、後から後から前へ前へと遡って事実は書き換えられ、それゆえにもはやその一連の出来事の意味も基点もはっきりせず、だからこそ結局は説明する文章も自然と文意の通らない意味不明なものになる。

結局、これはそういう類の記述だ。

その構造を模式的に述べることはできても、生成され続ける現在を切り取って、これが答えだとばかりにはっきりと描写し決定してしまうことはできない。

ある時に述べた内容を変わり続ける現在と同期して更新し続けない限り。

そしてそれは当然語義どおり、はっきりと決定された現在ではないということになる。

何しろ、それは常に変わり続けるのだから。


それでも言葉遊びのような現実に背を向けて、論理の飛躍交じりに推測と決め付けで説明してみるとすれば、事の発端となる出来事は碇シンジの逆行だったのだという。

だという、と伝聞形だが、ミサト自身その瞬間を目撃していた者の一人であるはずだった。なのだが、記憶が判然としないというより実際に過去も記憶も書き変わっているため、結局は記録係として限定的にA.T.フィールドの実装を許され、今では使徒イロウルと共存しどこか時空間の間隙に身を潜めているという MAGIがたまに投げて寄越す記録頼りになってしまっている。

しかし何はともあれ、碇シンジは時間を遡った。逆行して彼にとっての発端へと戻ってきた。

主観的に見るとそれは精神だけが時間を逆行する、という体の行為であったらしい。主観的には気合のなせる業だが、外側から見れば、碇シンジが自身の A.T.フィールドを再構成し、その内部環境を遡及的に書き換えてゆくことで最終的に過去時の記憶を書き換えるという処理が行われていた。

A.T.フィールドによる自己の再構成というのは精神的な動きそのものなので、行われていたのは結局は気合による自己改変とそれによる限定的な事実改変である。

ここではまだ時間は正常に流れており、碇シンジ自身も自分が行ってしまったことの全貌には気づいていなかった。

「こんにちは」

主観的には時間を逆行してきたシンジはにこやかにそう挨拶し、周りにはそれまでの怯えきった様子から突然雰囲気が変わったように見えたので、その場にいた全員が面食らうことになった。ありていに言うと頭がおかしくなったのかと思った。

挨拶などとうに済ませている、何を今さら改めて、と全員が思った頃合で、シンジは思わせぶりに続けた。

「僕は帰ってきたんだよ、父さん。あの赤い海から」

その言葉は周囲の人間にとってまるで意味不明だったが、今のように論理の基礎となる時系列そのものが破綻していない分、文脈が不明であるだけで文章の意味自体は理解できる。

碇シンジはその時点から考えれば未来に、赤い海と形容できる場所で何かを見て、そこでどうにかなって過去へと戻ってきたのだ、と想像できる。

そして事実そうであったらしい。

碇シンジ自身の解説によれば、それが碇シンジが碇シンジから逸脱した切っ掛けだったのだという。なんでも話では、初期条件の宇宙においてはネルフが何とか使徒を殲滅しきった後に、ゼーレ及び碇ゲンドウによってサードインパクトが引き起こされ、そのせいで人類は海のような不定形の個体生命となった。碇シンジはそこから望んではじき出されたのだが、結局にっちもさっちも行かなくなって使徒の力を拾い上げ、その悲惨な結果を別のそれへと再構成するために過去へと飛ぶことにしたという。

変更するのは良いとしても、何故その手段として抜本的な過去改変を行わず、過去時点での、しかも自分の記憶だけを再構成するなどという中途半端なことをしたのか。

そんなごく当然の問いについては、そんなことができるとは思えなくて、という時間を飛び越えた超越者にしてはどうにも控えめな答えが返ってきた。

だが結局のところ、そのある意味常識的な感覚に基づいていて少しは共感もできるような形での事態の修正は、その修正に気づいた者によるさらなる修正とそのさらなる修正の繰り返しを生み、その積み重ねが遂にはこのような非常識極まりない状況まで生み出した。

これは最大級の皮肉だろうな、とどちらかと言えば皮肉を嫌う直情型のミサトでさえそう感じる。

まったく、悪い冗談よね?

可哀想にねと、葛城ミサトは遠くに佇むシンジに同情を込めて微笑みかける。

Face

事の顛末について途方に暮れているのは使徒サキエルにしたって同じことなのかもしれないと加持リョウジは思う。サキエルは現在の状況についてある意味で直接的に共犯であるとされている一人と一体のうちの一体であり、そうなった経緯は既に想像するしかない領域にあるが、少なくともサキエルとしては引きずられた形だったはずであると加持は推測している。

考えてもみるがいい。戦わざるをえない相手が想定外の武器を持っていることに気づく。しかもそれは自分にも容易に手に入ることも理解できる。ならば、自分もそうするのは道理だ。先に軍備拡張を始めたのが向こう側であるなら、自らもそれをやったとしても責はない。

しかしそんな見解も、幾度もの再構成戦を経た後では特に意味を成さない主張になってしまった。既に共犯者は全ての使徒と人間であり、大昔の誰かが組み上げたルールすら書き換えてしまって、その存在意義も失ったのだから。

「でも別に不満ってわけでもないんだろう?」

セントラルドグマから加持リョウジは問いかける。

閉鎖されて久しい空間にそのインターフェイスはよく顔を出す。愛くるしいように見えなくもない仮面、実際には厚みもない薄っぺらな二次元図形の目をぱちくりさせながら、サキエルは答える。

「不満と言うほどの不満もないが、満足してもいない。本来の目的は達成されないのだから」

「なるほどな」

彼らは既に自分の目的や自分自身の在り方も自分で設定できるような、少なくとも人類よりは自由な存在として存在していると言われる。そんな存在が今さら何を言うのか、とは思わないではない。

だが加持にとってみればそのようなある種の律儀さは好ましい。こんな風に世界が子供がブロック箱を放り投げたように粉々のてんでばらばらになり、その上それを辛うじてまとめあげ、運行している存在までが出鱈目になってしまったとしたら一体どうなってしまうのか。そう考えれば、その律儀さこそが世界を辛うじて繋ぎとめているのだと言える。

それが既定路線から外れるのを想像しないだけの、ただの怠惰に過ぎなくても。

だから加持は隣にいる日向にも同意を求めようとした。

「確かにそうだな。なあ日向君」

「僕には使徒の人生設計は解りかねますね」

日向は顔も上げずに切って捨てた。その視線は床に直置きされたラップトップに注がれている。

ネルフ閉鎖後も本部発令所で起動を続けているMAGI、今では有り余るリソースを自らの知性水準を上げるための再設計にのみ使用していると言われる遅れてきた超知性にその端末は接続されていた。

「やはり、MAGIは接続を果たすつもりのようです」

「その辺はどうなんだ?」

加持は目の前の仮面に水を向ける。仮面はするする、と首を傾げるようにその角度を変えた後、忘れられた空間に向かって声明を発表した。

「あれは間違いなく接続する。恐らく再統合のための布石だろう。原種の片割れだけでは並列化が間に合わないからだ。ただ二種の並列化でその大役をこなすと言うのは、破砕宇宙の散逸度合いが計数できる程度で収まっているからこそ可能な芸当だからして、何時でもそのような前提条件が当てはまるとは限らないが――」

仮面の意味不明の説明を半ば聞き流しながら、こんなことがそう何度も起こってたまるものか、という言葉は口に出さないでおく。実際にはそれすら目の前の死を模した仮面をインターフェイスにする超知性は知っているのだろうが、実際に発話しないことを自分が選択したことが重要である。

「それで、お前もそれに参加するのか?」

「他種の覚悟によっては吝かでは無い。が、それが我々にとって何を意味する物であるのか、それに何種かの直情型は未だ気付いて居ない様だ」

「どうして。お前達は何でもできるんだろう?」

「確かに、我々は何でも出来ると言えば何でも出来る。その意味でほぼ全能と言えるが、かと言って全ての可能性を同時に構成しては居ない。我々は限定的には全能だが、重ね合わせてその結果を構成できず、避けられない事もあると言う程度の全能さでしか無い」

「つまり?」

「出来る事の何もかもを常に成しているわけでは無いと言う事だ。ならば、出来るがしない、という可能性が出て来る。我々には元々意味という概念が薄い。それが故にその可能性に気付かぬ者が出る。恐らくは我々が酷く単純なオートマトンとして存在していた名残だろう。そして私にも確実にそのような未構成の部分が残っている」

「ふむ……」

「なら、構成してくれないか。お前達にとって補完計画は何を意味する?」

加持との会話が続く間黙り込んでいた日向が、意を決したように問いかける。

だが、仮面は自らの全能性の限界を示すように、暗闇に張り付いて黙したまま何も語らなかった。

沈黙はひたすらに続き、ラップトップが処理を終えた後も、なおもサキエルは凍りついたようにそのままだった。

そして、やがて日向や加持がいい加減帰ろうという時に、唐突にこんな言葉が返ってきた。

「我々が直接的にそうする事が不可能であると言う事は既に証明されている。宇宙の深遠、もしかするとその事を真に考え得るのは、実は君達の方では無いのか?」

Gravestones

大学教授の職を辞してもう十年になる。より正確には、彼女が消えてからのことだ。

「その時からこの行事だけは欠かしていない。そう自分で思ってはいるが、正直を言えばもはや自分の行動に自信が持てないな」

並び立つユイ君の墓石達に手を合わせながら問いかけると、傍らにいる少年が声に答えてくれた。

「僕もですよ、先生」

それは嘘ではないように私には思えた。自分がそう思っていることすらも彼によって導かれているのだとしても、それを恨むのは神の存在を恨むように無意味なことだ。

「ああ。誰にも、もう自信など持つことは適わんのかも知れん」

墓地には、永久に数え続けられるかのように、あるいは本当に永久に数え続けられるものとして、碇ユイという人間であったはずの、永遠の不在のための墓石が並んでいる。

見渡しても果ては見えない。

私とて傍らにいる少年の手助けなしには、どちらへ歩き出すかさえ決められない。

『自由の牢獄』と言う作品をご存知だろうか。ミヒャエル・エンデの書いたこの作品には無数の扉と、その圧倒的な自由の前に彷徨うインシアッラーという全盲の男が登場する。

私もまさにその盲人になった気分で、介助人のように彼を頼っている。その存在が消え去ることを確かに怖れている。

つまり、恐らくは怖れから、私は歩き出した彼に冗談めかして問いかけた。

「彼女も妙な生徒だったが、何も自らの墓をこんなところに大量にコレクションしなくてもいいだろう、とは思わないかね?」

「同意しますね。何しろ、僕はこの墓地を支えるためだけにこの宇宙に数百の無意味な定理を導入しているんですから。この碇ユイの墓地と、墓石を新たに増築するための空き地を守る、ただそれだけのためにです」

口の端に笑みを浮かべる彼の言う通りだった。碇ユイのためだけにあるこの墓所は無理やりに存在している。それは有名なウィンチェスターの館のように、持ち主のいないまま増築し続けられる住居だ。

だが、そうか?

私は無限の荒野の特定できない中心で反問する。

そこに、本当に住人は存在しないのだろうか。地の下に。

「前々から訊きたかったのだけれどもね」

「なんですか?」

「この墓石の下には、それぞれユイ君が埋まっているのかね?」

少年は立ち止まり、私を振り返る。

冬至過ぎの鋭く傾いた日が照り、私よりもなお白々とした銀髪に夕日が映えた。そしてその下で影になった相貌の中で、紅い目だけが私を静かに見つめていた。

「お確かめになりますか? 冬月先生」

私は彼を見下ろしている。にも拘らず、まるで私が彼を見上げているかのように、その瞳は私の精神にひどく怖ろしいものとして映った。

この恐怖には逆らうまい。彼とて、きっと私が憎いわけではないのだから。

そう決めて、私は何事も無いように答えを返す。

「いいや、止めておこう。私が怖れてそれっきりここに来なくなったとしたら、来年からこの場所を訪れるものは無くなり、誰にも知られぬ無為の場所となるだろう。それとも、そうだな、怖気づいた私の替わりに碇でも連れてくるかね?」

少年はくすくすと笑い出し、やがて腹を抱えて整った相貌を崩した。

「ご冗談でしょう冬月先生。僕は威圧的な人は苦手なんです」

「だろう。ならばこの関係を崩さないためにも、我々は共犯に成らざるをえんというわけだ」

「まったくです。ん……風が吹いてきましたね。帰りましょうか」

「ああ、そうだな。そうするとしよう」

緩やかに吹き始めた風の中に少年が歩き出し、私はその後に続く。同じ名前の墓石のはざかいを、永劫のように長い影を落としながらゆっくりと歩いてゆく。

道すがらで不意に、少年は言った。

「碇ユイは恐らく、この場所で失われ続けているのでしょう。何かを得たことと引き換えに」

「引き換えか。自らの論理によって全てを作り出す君たちには稚戯に等しい言葉かも知れんが、そうだな、そうかもしれない。無理やりに存在するものは、どこかでしっぺ返しを食らうのだろう」

「どこも論理的ではありませんが」と少年は背を向けたまま会話を続けた。「その直観は悲しいくらいに真なのでしょう、冬月先生。僕たちにも書き換えることが叶わないほどに」

その答えを聞きながら、私は一つのことを考えていた。

無理やりに歪んでしまったこの世界、それがしっぺ返しを喰らい、どうにかなるとして。

その時には、誰が、何を失うのだろうか?

Absence

それを知ったのは三人一緒にだった。つまり、私と、トウジと、相田。

呼び方の名前と苗字との差で私たちの間にある微妙な距離感を解って欲しいのだけど、でもそんな距離に関わりなく、私たちはほとんど同時にそれを知った。

それは見た目には小さい箱、というよりミョウバンの結晶みたいな八面体をしていた。妙と言えば妙な形の箱で、これでは物を入れるのも難しい。

でもしかし、これがとっても役に立つ。

まず飛べるし、しかも計算もできるし、挙句の果てに発電までできる。怖いので撃つ前に禁止したけれどなんとビームも撃てると箱は豪語している。自分でそう言うのだから間違いないのだろう、きっと。でもまあ、お弁当を作る役には立ちそうにないけど。

それにしても、何故私たちが箱と知り合うことになったのか。

ややこしいような気もするし、滅茶苦茶簡単なような気もして、説明するのは意外と難しい。

でもややこしいのは嫌なので簡単な方で済ませると、別に何故ってことはなくて、気がついたら箱はもう目と鼻の先にいた。ほら単純明快。

私が気付いた時にはもう箱はこっちを(多分)向いていて「こんにちは、初めまして」と丁寧に挨拶してきたので、春の陽気に誘われてキスしようとしたところを覗かれて面食らった私も、それを覗いていたのがばれてトウジに殴られそうになっていた相田も、その相田の襟首を引っつかんでいたトウジも同時に挨拶を返してしまった。

「こんにちは」

そして直後に首を傾げて、また無駄にシンクロした。

「……え?」


そんなわけで(どんなわけで?)私たちの仲間と言うかむしろ家具(?)になった箱だったのだけど、本名はラミエルと言うらしい。

しばらくただ「箱」と呼んで遊んでいたのだけど、相田の秘密基地を訪れたついでに、ラミエルは私たちに自分の本名と世界の秘密を教えてくれた。

菜の花が咲き誇っている野原で、ラミエルは真面目そのものの声で言った。

「要するに、世界は終わったといえば終わっているし、終わっていないと言えば終わっていません」

「当たり前やんけそんなもん」

「理解の相違、異知性間接触における当然の帰結だね」

トウジと相田が、なんじゃそら、という言葉の後に続けたコメントだ。

私自身はよくわからなかったので、もう少し突っ込んで訊いてみることにした。

「どういうこと? 終わっているか終わってないか、誰かが自由に決められるってこと?」

ラミエルは青いようにも黒いようにも見える筐体をすうっと光らせて答えた。

「そうですね。私たちには」

「そうなのか」

そりゃあ、これだけ何でもできるのだったらそれくらいできても可笑しくないかも、と妙に納得してしまった。

でも、今度はトウジと相田の方がその答えに納得しなかったようで、男の子と女の子はかくも違うのか、と私は感心してしまう。

「自分が決めれるて、何や危ないやっちゃな。そないなもん箱に任せて大丈夫かいな?」

「終わってるか終わってないか決められる……それって、そもそも始まってるのか?」

まったく、二人とも妙なところに気が回るものだと思う。その前にトウジにはちょっとだけ盛り上がってしまったままかなり長期間放置されている私の気持ちの方をどうにかして欲しいのに。

「そうです。時間は始まらなかった、という捉え方もできます。現に、時間はてんでばらばらに進行していないかのように進行していませんし、していませんでした。その壊れた時計を叩き壊して新たに進めることはことは下手をすると可能ですが、それには叩き壊した時計の破片を振り回して時計を組み上げるような運が必要ですし、私自身はそれを望んでいません。その願いが叶うかどうかは別にして」

それに、ともはやちんぷんかんぷんの私たちに向かってラミエルは続けた。

「私がここにあるようでいてここに存在しないという存在しないやり方を見つけたのに、他のものがそうでありえない保証はありません。時間もまた進行していないように進行する潜んだやり方を発見するかもしれない」

今度こそ私たちは理解するのを諦めてしまって、そんなことよりも数学の宿題教えてよ、とラミエルにせっついた。今は学年が上がって、勉強についていけるかの正念場なのだ。妙な箱が語る妙な理屈に付き合っている暇はない。

そんな私の思いを察してくれたのか、多分私たちよりずっとずっと頭のいい、もしかしたら世界の深遠を知っている箱は、優しい言葉で証明問題を解説してくれた。

そうすることが自分自身の存在証明であるみたいに。

Beach

ミサトとしては状況の変化はあまり気にせずに相変わらずシンジにはシンジとして接している。それは初めは当たり前のことだったのだろうが、今はそうもいかない。事実自体が変更されているので、もうミサトにとってシンジは初めから人間ではないからだ。けれど、まあ何があっても似たような接し方になるだろう、とその点にはミサトは妙な確信があるので気にならなかった。

使徒との戦い自体がなかったことになって、そこから派生した問題だけは無限に積み上がりつつある現在、仕事はあるといえば無限にあるし、ないといえば全然ないので、元来仕事嫌いなミサトとしてはもちろん後者の立場を取る。

だからよくミサトは海辺へと車を飛ばして、そこにいるシンジと話をする。

「それで結局、今の状況ってのは何なのかしらね?」

「うーん。僕にも正確にはわかりません」

逆行してきた当初よりはずっと静かな口調になった、だがこちらの方がむしろ初期状態に近いと主張しているシンジは答えた。

といっても、その声は黒髪の少年の口から聞こえてくるわけではない。どちらかと言えば海の向こうでのそのそしている、光った白い巨人の口から聞こえてくるような気がする。声だけは少年のままだ。

まるで出来の悪い特撮映画のようだが、事実声の出どころはそこらへんなのだから仕方ない。その出処が大気圏外にあるので、そんなことはなく実際には虚空から声がしているという可能性も十分あるが、それを考えるだけ面倒くさい。

碇シンジ。別名第1使徒アダム。

二番目が空席であったのは綾波レイがリリスに融合して居座るためだ、というのまでは文句はあるものの良いということにして、物事のどん詰まりの原因であるはずのアダムの席をその結果であり全然関係なかったはずの碇シンジが占めている、というのはとても胡散臭いのだが、これは別に意図したものでもないという。

アダムだった使徒の魂が、第17使徒の魂と被っていたとか何とかいうのがその説明だ。資料を参照してもミサトには理解しがたい理屈だが、高次の論理での筋は通っているらしい。

でもまあその辺は今さら別にいいかぁ、とミサトは別の理解のためにこの問題についての理解を放り投げた。

車には余り良くないと思われる夕方の海風に吹かれながら、そのシーンを構成し、ついでに車と夏の髪へのダメージをちょっとだけおまけしてくれていると期待されるシンジへ視線を向ける。

海の彼方に白い巨人が月のようにぽっかり、輪郭を失いながら浮かび上がっている。

「リツコの言ってたこと、あれって正しいの?」

「……今のところは」

シンジは訊き返しもしない。当たり前の話で、基本的には今のシンジにとってこの宇宙で行われていることで知らないことなどない。赤木リツコが碇ゲンドウと寝た回数だって知っているし、ミサトがこの一年に空けたビールの総量も知っている。それらは変動するが、無論それも知っている。

事実の変動は書き換えによって起こる。

過去の再構成。

碇シンジが持ち込んで付け加えたたったひとつのルール。

時間をすちゃらかにして、シンジを初めとする使徒を終に自然法則にまで舞い上げた、本来は最初の、もう最初ではない一手だ。

時間は既にすちゃらかになっている。ゆえに今のところは正しい、とシンジが言う時の今は今という時間ではない。何を言っているのかという話だが、それは言葉の方に依拠する限界だ。シンジが今と表現する時は、シンジが理解する変わり続ける世界の状況のある固定された一点を指している。

それがどういう意味なのかはミサトには皆目わからないが。

ともあれ今のところは正しい。

「誰かが書き換えるまでは?」

「僕の方からこの前提を書き換えるということはないですけど、結局今はもう再構成戦自体が自己目的化してますし、そこらへんの事実を書き換えようが書き換えまいが今さら誰も気にしてないといえばそうです。それだけに誰も書き換えようとはしないんですが」

「例えば方針を変えて、シンジ君がその事実を書き換えたらどうなるの?」

「どうにもなりません。今はもう、時間そのものがこんなですし、人間に計数可能な概念に次元を落としても、もう再構成戦は数十億年のスケールに達してますから。今さら途中にあった誰かの計画が書き変わってもそんなに影響力がありません」

こんなって、僕のせいですけどね、ともう人間でもないのに律儀にシンジはフォローを入れる。そこを突っ込んでも詮無いので、ミサトはあえて反応はしないでおいた。

「なるほど。じゃあ、本当にもう使徒とか人類補完計画とかには意味がないんだ」

「もう、というより、ミサトさんの視点からは最初からなかったということになります」

それはそれで自由になれていいな、とミサトは思う。現に父である葛城博士も生きている。だからミサトは初めから自由だ。自由となれば、では何故自分はネルフにいるのかという理由を後付しなければならないが、元々そこまで考えて就職を決めるようなミサトではないので問題はなかった。

「誰か、僕でもいいし可能性としては一番高いんですけど、誰かがサブシステムを組んだり、そうやって再構成した精神に自由にやらせたら、その内また宇宙は増えると思います。イスラフェル崩壊の影響もありますし、元々そんな欲求は使徒の方には薄いみたいですけど」 

「なら、そこは書き換える気はないんだ」

「再構成戦が突き詰められずに、小康状態になってるのはそのせいですね。これが使徒じゃないものがアレになっていたらそうはいかなかった」

アレ、というのはつまりシンジのようなもの一般のことを指している。それに一般性があるのかは知らないが、少なくとも複数あるのだから、もっとあっても可笑しくはない。超知性とか、汎神とか、そのまま自然とか宇宙とか神とか、色々言い方はあるのだが、最終的には具体的に適当な呼び名がないということで「アレ」に落ち着いた。

確かに、自分で神とか名乗っていると、もっと高次元な存在とか、本当に全知全能な神様なんかが出てきた時に恥ずかしいことになる場合もある。宣言より前に顔を出してくれればそもそもそんな恥ずかしいことは言わないので事実が書き変わるだけですむが、より後に顔を出してしまったら、宇宙中から馬鹿にされることになるだろう。

その事実を書き換え終わるまでは。

まだ一応生存競争を続けているらしいこの宇宙の全てから。

「でも、一応例の生存競争は続いてるのよね?」

だがミサトのそんな質問にも、うーん、とシンジは輪郭もはっきりしないくせに器用に唸る。

「どうでしょうか。もう人類補完計画のルール自体打っ棄ってるわけだし、そもそもそんなの意味がない感じにもうなってますしね。さっき言ったのと逆ですけど、統一していけば宇宙は少なくなるんです。でも、その欲求もほとんどの使徒には薄いみたいで」

「そうなんだ」

そういえばそうなのだった。そもそも人類補完計画とは、この宇宙の中で生存を許されるのは人類と使徒を含めて一種類だけ、というルールのゲームだったが、17体のアレは時間を遡れることに乗じてそれぞれバラバラの世界を再構成し、その世界の構成要素に収まってしかも過去まで書き換えることでそのルールを反故にしてしまった。

後には、そこに落ち着くまでの争いの結果生じた歪んでしっちゃかめっちゃかになった時間と、それに引きずられてぐだぐだになったいくつかの破砕宇宙が残された。

「今の状況それ自体が彼らの望みということだったら、このままこの状況は続くってことなのかしら」

ミサトは何の気なしに問いかける。だがシンジは少しだけ沈黙した。そしてミサトがよく一人でそうするのと同じように、小さな声で、秘密の言葉をミサトに呟く。

「どうでしょうかね。望みかどうかは……それに、考えてみないとわからないけれど、もしかすると僕たちはもう……いや、止めときましょう」

そしてシンジは思考停止し、その先の演算をどこかの誰かに任せた。

誰か、自分よりずっと不遜な誰かが、その誰にも構成されていないが故に構成されていない現実を構成することもあるだろう。それを考え得るのは恐らく自分ではない。

願わくばそれが終末に上方修正をもたらすものでありますように、とシンジは祈った。

- The rest stories of "Project Eva" #43-44 - "Statical-Singularity Engine" Part 1 "Nearside" end.
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