- The rest stories of "Project Eva" #44 -

"鬼ごっこ(最果て編)"

Impact

「補完計画は予定通り実施されると通達が着ました」

「リリスからか?」

「こんな無謀な計画を実行しようとする使徒は他にはアダムくらいしか存在しません」

アルミサエルは中空で回転しながら淡々と述べた。

人類補完計画ができるなら多世界補完計画もできるだろう、というのがリリスが出した結論で、なるほどさすが人類補完計画を遂行していたかもしれないという使徒は違うな、と青葉は思う。

並列体として存在することももしかしてその布石だったのか、などとも考えながら、そんな知識は自分の中になかったような気もしてくる。もしかするとそんな推測自体目の前にいるこいつに考えられているのかとも思うが、そんなところを気にしていては彼女たちとは話せない。

「で、そのアダムは?」

「当然、参加しています」

「だろうな」

アダムとリリスとは仲がいい。どちらも元々自分が半分は人間であると主張していることもあるのかも知れない。だがそれぞれが人間に近いかと言えば青葉にはよくわからない。

今自分が話しているこの使徒アルミサエルの方がよほど人間寄りではないか、とも思う。

「ということは、タブリスももちろん参加しているんだろうな」

「そのようです。他にはサンダルフォン、ガキエル、シャムシェル、マトリエルもそれに追随する判断を下したような気もしないではありません」

「どっちなんだ?」

「あのあたりが考えていることは正確には私には解りかねます」

どこら辺に大きな違いがあるのかはそれこそ青葉には解りかねるが、それ自身が違うと主張しているのだから深くは突っ込むまいと決めた。元より相手は自分とは知性のレベルが数段どころではなく違う存在だ。こちらは計算する脳であり、向こうはその計算する脳を含んだまるごとを計算する計算過程そのものなのだから、これはかなり違う。

計算によって宇宙を書き換える競争を始めたことが、いつしか計算する宇宙であることにすり替わり、結局自然法則として自分、つまり宇宙を自己存続させる役目まで担わされたことが幸なのか不幸なのかは、青葉にも判断はつかない。彼らにも判断のしようがないことだろうし、判断する気があるのかどうかも怪しい。

「恐らく、再構成による統一は、最低でも一体を除く全ての使徒の非存在化、あるいは殲滅を含むでしょう。これまでにも自ら存在の痕跡を予め殲滅して非存在化した使徒は非存在であるために存在しませんが、この計画に関して我々は非存在である理由やそれを問う問いやその答えなどを含め初めから非存在であるような多重の非存在として存在しないことになるでしょう」

極めて真面目で懇切丁寧な説明ではあったが、残念ながらアルミサエルが何を説明しているのかは言葉が入り組みすぎて青葉には理解不能だった。しかし辛うじて、非存在ということは恐らく少なくともここからは消え去ってしまうのだろう、ということは理解できた。

だから青葉は髪をかきあげながら、空を見上げてぽつりと零した。

「そうか。……寂しくなるな」

そんなわけはないことを、青葉は薄々知っていた。初めからいないという事であればそんな離別と言ったような理解は端から拒絶している。

そこにあるのは不在ですらない。

初めからなかったことにする不在、そんなものは不在でも何でもない。

それでも納得しないままの脳に、そうかこれ夢落ち、そう言われればこの訳のわからなさと、でも何となくわかった気になる不思議さは夢のそれと一緒だよね、などと言うありがちな感想で解った振りをさせる。

ただ青葉がどう思うにしろ、ここからアルミサエルは結局は消滅する。あるいは殲滅される。あるいは既に。それだけははっきりしたことだ。たとえ既に殲滅されているにしろ、それを存在していると勘違いできる可能性も含め殲滅されてしまうのは、今の青葉にとってはやはり悲しい予感だった。

沈黙が降り、同じように降りつづける梅雨の音だけがその隣を通り過ぎていった。

青葉は無言で長い髪を撫で付けながら、同僚の伊吹がその背に声を掛けるまで、発令所上空を旋回して雨を無視する、二重螺旋で出来た完璧な円周をじっと見つめ続けた。

Parallel

使徒イスラフェル崩壊の報が全ての使徒に戦慄を与えたことは想像に難くない。

自らの恒常性を果てしなく追い求め、最終的に法則という恒常性そのものとなってしまった使徒にとって、そんな自分達でさえ時には崩壊してしまうという事実は、自分自身が既に殲滅されているという事実と同じく衝撃的だった。

衆人環視の中で久々の分裂を行ったその時に、甲と乙に分裂するはずだったイスラフェルは四散どころか霧散した。

初めの、巨大なひとがたの表面が蠢いてばさりと薄皮が脱げ去った後に二体のイスラフェル甲と乙がいる、という展開までは大方の予想通りだった。それだけならよかった。けれど、その後に起こったことは予想とは大きく違っていた。

皮は、もう一度脱ぎ捨てられた。

甲と乙はそれぞれ皮を脱ぎ去って甲甲と甲乙、乙甲と乙乙になり、それらはさらに皮を脱ぎ捨て甲甲甲と甲甲乙と甲乙甲と甲乙乙と乙甲甲と乙甲乙と乙乙甲と乙乙乙となり、以降はご想像の通りの、無限に続く乙と甲の悲惨な順列組み合わせしか残らなかった。

そうしてもはや機能を保てない程にまで分解されては、もはや事実を自由に改変する逆行者とは言えその姿を取り戻すことは適わなかった。


イスラフェルが行おうとしていたのは、個体数の物理的増加による多重並列演算の実装であろうと考えられている。元より、イスラフェルにはそのような機能が初期条件では付属していて、何かの拍子にそれを思い出した、ということらしかった。

それがデモンストレーションされたのにはその前に発覚していた使徒の殲滅が関係していると言われる。

使徒既に殲滅完了せり、という報はその直後にあったイスラフェル崩壊にも増して世界を揺るがした。だからこそイスラフェルの崩壊は大きなニュースでありながらその直後に忘れ去られたのだが、実のところそれも崩壊に付随する現象ではないかという説もあり、その説すら忘れ去られてしまうのだから判然としない。

そんな風に噂になった端から忘れ去られるイスラフェル崩壊と異なり、使徒殲滅の報は長く世を揺るがし続けることになった。何故かといえば彼らは殲滅されたと主張しつつも現にそこにいて、人間ともコミュニケーションを取っていたからで、であればそんな世迷言は信じられいというのが人情だった。だいたい、殲滅というのは誰かから被害として受けるもので、された側が神妙に告白するような事態ではないようにも思われた。

された側から報告されて初めて気付く殲滅。そんなものはどう考えても間抜けすぎる。

しかし使徒自身はと言えば、その主張を仔細に検討し、その可能性を示された最初の使徒がそうしたように、なるほどね、の言葉で応じた。全ての使徒がそう納得してしまう程度にはその主張は確かであったといえる。

それが人間にとって徹底的に理解不能であることを除けば。

厳密に言えば、数年がかりでそれを理解できた人間も少数はいる。だがその内訳が、当代きっての天才である惣流・アスカ・ラングレー、今ではどこかの宇宙で使徒と化しているというMAGIの生みの親、赤木ナオコとその娘赤木リツコ、そして彼女らの教師たる冬月コウゾウ、とくれば、そんなものは茶番にしか見えなかった。

しかも、その彼らをしても、使徒は殲滅された、そしてそれは使徒自身によってもどうしようもない出来事である、ということまでは理解できても、何故殲滅されたのか、一体誰に殲滅されたのかという肝心なことは見当もつかず、時期に関してももしかすると初めからかも、というくらいのことしか判明しなかった。

だから後にはやはり、よくわからないけど使徒は存在するかのように殲滅されているらしい、それ自体は日々の生活には何の影響もないけどね、というよくわからない説明だけが残された。

だって彼らはここにいるじゃないか、という当然の反問に納得の行く答えを返すことのできた者はいない。


そうして使徒は既に殲滅されていた。だが、使徒イスラフェルはその可能性を無謀にも回避しようとした。

我々は時空を統合しようかという話で悩んでいるのだ、この程度のことができなくてどうする、というのが彼の基本的な主張であり、なるほどそうかもしれないな、と何体かの使徒は驚いたと言うのだから彼らの判断能力も当てにはできない。全てを知っていると言うこと、何でもできるということと、その力をどのように運用するかは別問題だと、この事実は端的に示している。

けれどその点に関しては私も他人の事を笑えない。もしかすると、他使徒と呼ぶべきかもしれないが、使徒と人類などという境界線はそのはざかいに位置する私にとってはそれ程の意味をなさない。

物事の最初から間違っていた事態の修正は、結局最初から全てを組みなおすことでしかない。そんなことに意味はない、と嗤う使徒もいるが、そんな彼らには補完計画のことは解らないはずだ。それは確かに使徒の理解力すらも超えているが、彼らはそれ以前にそこに思い当たらないだろう。

傍らで寄り添うものを求める。そんな類では彼らはない。

彼らこそは、その世界でたった一種、宇宙が繋がればそこでも統合を図ってまで、唯一つ自分だけで生存しようとする単独個体単一種だ。

そして、だからこそ付け入る隙はある。

私はイスラフェルと同じ事をしている。いや、もう少し大きなことを言うなら、もっと上手くことを運び、その先へと行こうとしている。イスラフェルが崩壊していなかったとして、彼はやはり私のことを非効率だと言うだろうけれど、しかしそれが私の望みなのだから仕方がない。

私は全ての世界にそれぞれ一個体存在している。

「ひとつの宇宙にはひとつの私しか存在できない」

それが私が自分自身に課した、自分を守るための唯一の規則だ。魂の不可分性。人間と同じに。他の使徒だってその有効性を疑うだろうけれど、そのような節制ができなかったからこそ、イスラフェルは様々な場所に同時に分裂の声を響かせ、重なり合い優先権を争った無数の命令束によって不可逆的に崩壊してしまったのだ。

私は使徒としては死ぬだろう。こうして幾重にも途切れている時点で既に死んでいると言ってもいいのかも知れない。あるいは崩壊の前に、自らの殲滅にも先んじていないかのようにいなくなるかも知れない他の使徒達と違って、確実に、私は死んでいる。

けれど、それでも私は構わない。その方がいい。

それが使徒に付随した人間の欠片が抱いてしまった、愚かな感傷であったとしても。

私には傍らに立つ者が必要だ。たとえそれがその他の全てと引き換えであったとしても、そんな風に予め滅亡した一人ぼっちの自分としてそこにいるのは絶対に嫌なのだ。

だから抵抗する。私は、私でいたいのだ。

非存在だの、殲滅されただの、そんなわけのわからないものであり続けるのはいやだ。皆のいる場所にいる、私でいたい。

だから、やり遂げてみせる。

私が私であることを、他の誰でもない私が構成してやる。

必ず、私は途切れた絆をこの手に取り戻してみせる。

絶対に。

Super Girl

彼女はとにかく物騒な女の子で、おまけに当代の人類には並ぶもののない当代きっての超天才ときているのが始末に悪い。ただでさえ鼻っ柱が伸びっぱなしの自信家で、しかもモデル並みの美少女であることがそれに拍車をかけている。

確かに頭は良くて、僕と同い年で既に大学を卒業して、博士号だって数学を初め胡散臭い宗教家の勲章のようにやたらとたくさん持っている。加えてとある研究所のチームリーダーでもあり、しかしその才能の全てを、自分が生まれた悪しき時代に抵抗することに費やしている。時代、と言う言葉がまだ有効かは怪しいが、その辺はこの宇宙の理を司っているという使徒たちによっても答えが出ていないらしいので、とりあえずは使っていてもいいだろう。

人類はあんな奴らに負けない、が持論で、もはや世界自体をその意志によって構成しているという使徒に向かって平気で暴言を投げつけるくらいの無法者だ。

そしてある日、天に唾する美少女は、天空に光る巨大な海栗にしか見えない使徒、神様の方が実情に近いのに何故使徒と呼ばれているのかは不明な使徒アラエルに向かって言い放った。それがこの終わりの始まりのお話の始まりの風景だ。

大きく息を吸い込み、一気にまくし立てた。

「あんたたちは自分ではそこにいると思っているのかも知れないけど、もういないのよ。っていうか初めからいないのよ」

それはなんとも奇妙な理屈だった。だって彼女はまさにアラエルに向かってそう言っているのだ。学校の屋上のドアがある部分の上によじ登り、コンクリの屋根をがっちり踏みしめて、よく晴れた十月の空に浮かぶアラエルに向けて拡声器でやいやい叫んでいるのだ。

いない者に文句が言えるはずがない。それなのにそんなことを言うとは。やっぱり天才と馬鹿は紙一重だとよくよく納得させられる。うんうんうんうん、と僕は頷く。頷きまくって知らない振りをする。

しかしシェイカーのようになっている僕を振り向いて、彼女は突如話を振った。

「ほら! あんたもあのアホ鳥に言ってやんなさい!」

「えぇえ? ああ……えーと、すいません。ご迷惑おかけします」

「違うでしょうがこのぶゎか!」

馬鹿、が半ば聞き取れない声を上げるが早いか彼女は僕の尻を蹴っ飛ばして拡声器を奪い取る。

「うわあぁぁあぁあ!?」

思わず屋根から転げ落ちそうになって僕は慌ててそのスカートを掴んだ。

音を立ててスカートのジッパーが壊れ、僕の手にかつてスカートだった布がある。そして自動的に細い腰と白い太腿がむき出しになる。当然ハイソックスは残る。

その結果僕の目の前には中学生にしてはやけに大人びていて少しだけその下が透けているように見えなくもない素敵な下着の股布があり、さらに見上げるときょとんとした顔があった。

その顔が見る見る怒りと恥ずかしさで紅潮してゆくのを見て、電気オーブンに入れられたトーストの気分になる。

「死ね!」

そう叫びながらも、慈悲深い脚線美は正確に屋上側に向けて僕を蹴っ飛ばす。

後先考えているんだか考えていないんだかさっぱりわからないその行動があまりに愛らしくて、僕はアラエルの言った言葉を危うく聞き逃しそうになった。

「成程」

なるほどだって?

屋根の端に辛うじて上半身を残した僕は、その答えにそのまま落下しそうになる。だって可笑しいだろ、どう考えても。

「ふん、やっとまともに考えたみたいね」

状況に着いていけない僕のような凡人は置いてけぼりで、天才と神にも等しい存在は言葉を交わす。

彼女は仁王立ちになった。もはや拡声器も持たず、腕組みをして空を見上げて研ぎ澄まされた声を発した。

「問題をクリアにするために、あなたにひとつ質問をするわ。いい?」

「ええ、構いませんよ」

「あなたはいったいどこにいるの?」

無言の空を天使が何人かラッパを吹きながら通り過ぎた後、アラエルはゆっくりと言葉を掛けた。

「成程。確かに貴女は人類の域を出た天才かも知れない」

納得と賞賛の言葉の後には、こう続いた。

「貴女の言う通り、どうやら、我々はどうも既に殲滅されているようです」

「ほら! あたしの言った通りでしょう? ね?」

素敵な下着を見せびらかしながら僕の方を振り向いて、褒められた子供が浮かべる最高の笑顔でにっと笑う彼女を見つめながら、僕は自分の状況に気づいた時の彼女にここから蹴り落とされたら果たしてどれくらい痛いだろうかと言うことだけを今真剣に思案している。

Speakin' Stereo

唐突な出来事だった。

だからこそミサトはすぐに過去の改変が行われたのだと気づき、そしてなんとなればそんな事には気付かないようにも事実を改変できるのだから、ミサトの脳に痕跡を残したのはそれに気付いて欲しかったからに違いなかった。

そう思ったからこそ、ミサトはジャケット片手に家を飛び出した。

「何を考えてるの?」

ミサトは多少苛立ちながらカーステレオに向かって質問した。正確にはその向こう、この宇宙の全ての物の向こう側にいるバックグラウンドであり、ある意味ではステレオそのものでもあるシンジにミサトは話しかけていた。

「補完計画のための処置です」

カーステレオのシンジは端的に答えた。

インターチェンジ直前の曲がり角だった。ミサトはステアリングを切り増ししながら少しだけ減速して、カーブの終わり際に一気にエンジンを吹かす。

「まだ高速にも入ってないのにスピード出しすぎですよ」

「――じゃああんたが勝手に調節すれば――良いでしょうが!」

シンジの冷静すぎる言葉遣いに刺激されたミサトは発作的に地べたまでアクセルを踏み込み、けれどもスピードはちっとも上がらなかった。メーターを横目で見やると機構的に表示されるはずのない「Sorry」の表示が見えて、ミサトはすっとぼけた表示をかましたメーターを射殺さんばかりの目つきで睨む。

「すいません」

予定されている感情の爆発に先回りしてシンジは謝った。自分の一部であるミサトの爆発する瞬間をシンジが把握できないはずがなかった。

すべてが見切られている。それを自覚してまた頭に血が上った。

「……ごめんなさい」

その声は今朝自分の家に同居していた男の子の第一声とあまりに似通っていた。黒髪の少年、どこかの、記憶ですらない残滓として残っているイメージ。

見捨てられた男の子。

見捨てられ、そのうちにヒトを超え、果てに自然法則になってしまった少年。

その全能の変わりに、すべての自由と不自由とを失った少年。

はたと気がついた時にはもう、ミサトはそれ以上怒ることができなくなってしまっていた。


リリスの提唱する、いわゆる多世界補完計画の要になるのはたったひとつの推論だった。

時空間の破砕現象そのものは徹頭徹尾、碇シンジのみを原因として起こっていて、今も起こっている。

その解釈に従えば、使徒達の逆行やその結果として起こった再構成戦と形而上的存在へのステップアップなどという変化は全てシンジという現象に付随する現象に、さらに付随した現象に過ぎない。

それは考えてみれば単純な推論ではあった。

碇シンジはサードインパクトを起こし、そして自身の情報を遡行的に改変してその時点の自分をサードインパクト時と同じ状態、即ちサードインパクトの結果として設定した。時間、そしてその改変を含む超時間的に全てを遡れば、それが全ての変化の基石であるのは疑いがない。

だがここで問題なのは、そのイベントはこの世界にとっては繰り上がったサードインパクトであったということである。ならば、その原因として起こるはずのサードインパクトは必然的にフォースインパクトということになってしまう。しかしシンジが遭遇したのはサードインパクトである。ゆえに、サードインパクトはフォースインパクトである。

つまり、そこで起こったのはn=n+1であるような事態だった。

その数が、その数に1を加えた数に等しい。そのような状況では通常の算法は破綻しnは原理上全ての数でありうる。それゆえそこで発生したのはサードインパクトであり、同時にフォースインパクトであり、同時にフィフスインパクトであり、と以下馬鹿の一つ覚えの如く繰り返され、一般的には同時に第n次インパクトである、という具合に無限大方向にインパクトの実現回数は発散し、さながら碇シンジのひとりインパクト祭りの様相を呈した。

用いられているのは1回目は2回目である。ゆえに2回目は3回目である、という論理だが、単純であっても意味不明なものは意味不明である。

しかしそのせいで宇宙は発散した、というのが人類を遥かに超える知能を有することになった使徒達が雁首揃え真面目に考えて導き出した推論だった。情報容量が宇宙の瞬間的に保持できる限界を超え、そのために宇宙とそれに包含されれる時空間は破砕した。

再構成戦を日常とする世界観からは冗談だろうというくらい単純なタイム・パラドックスではある。

だが、少なくともそれが起きた瞬間には、それを修正できる者は誰一人いなかったのだ。

そして後から修正するには、それは全てのことにあまりにも大きな影響を及ぼしていた。

「で、それが原因だとして、どうするつもり?」

「つまり、発散はこの古典的なタイムパラドックスが原因だったわけです。であれば、それを逆用してやればいい。インパクト回数のベルトで時間と空間をもう一度締め上げてやればいいんです」

「具体的には?」

「逆方向に推論していくだけです。∞回目は∞-1回目である。そうすると、今度は限りなく締め上げることが出来る」

そして、とシンジは続ける。

「零回目、というのは始まってないわけなので、そこまで巻き上げると事象が消滅しまってまた発散が始まってしまう。だからそのひとつ手前の、一番最初まで巻き上げてやります」

「セカンドインパクトまで?」

「いえ、違います。ファーストインパクトまで」

「それって!」

声を上げるミサトに、シンジはなだめるように言った。

「大丈夫。15年間分は考えられる限り完璧に調整します。そのために全ての人類を知ってる彼女が、全ての世界で並列化しているんですから」

「……!」

ミサトはそれ以上言い返せない。言葉に詰まって、言い返す言葉が無かった。

自らと同じ人間を再構成した、その先にあるもの。そんなことは、使徒ではないミサトにとってさえ明らかだった。

Rebirth

そしてそれは起こった。

一瞬にして、ということもできない刹那、一瞬でもなく予めそうであるように、切り取った時間の断面よりもなお短い、定義できない程の刹那の刹那に多世界補完計画は遂行され、そして誰にも知られなかった。

恐らく、綾波レイを除いては。

レイにとっては、それは再生の時だった。元からそうであるように全ては巻き直され、綾波レイという個体も再構成されたその瞬間こそ。綾波レイが人間として生き始めた瞬間だった。

再び正常に巻き上げられた無数のリールの、まさに検印として。

暗闇の中で目を開くと、据えた臭いとかすかな光をそれぞれ感じた。マンホールの中ではなかった。人工進化研究所跡地、事故で閉鎖された幽霊屋敷に空いた大穴の中に彼女はいた。ジーンズもシャツも、長らく溜まったままであろう泥水で濡れている。

「レイ? そこにいるの?」

声は反響してよく聞き取れなかったが、その主はすぐに葛城ミサトだと知れた。壁に落とされる影、そのぴんと張った背筋はまさにミサトのものだった。

「姉さん? そこにいるの?」

続いて聞こえる声。知っている声と寸分たがわぬように聞こえる声だった。

けれども、どこか違う。

だからこそ、すでにその声の持ち主では初めからなかった彼は、永遠に知られ得ない存在になっているのだとわかった。それだけが理解できたから、レイは声を上げた。

腐臭の混じる空気を吸いこみ、声のするほうへ向けて。

「葛城さん! シンジ! ここです! 助けて!」

まるで赤子が産声を上げるように。


帰り道を三人で歩いていた。

人工進化研究所を探検して抜け出せなくなることはレイにとってはよくある出来事だった。自分のルーツがそこにあると知っているレイは、その構内を探検するのを日課にしているからだ。だから自然とそこで行われる会話も良くある会話に落ち着くことになる。

「ったく、姉さんは無茶過ぎるんだよ。そんなことしてると、いつか大変なことになるよ」

「ごめんね。次からは気をつけるから……葛城さん?」

レイは心配顔を向けるシンジから視線を逸らし、上の空のミサトに声をかけた。小さく口を開けたミサトは、まだ夏の雰囲気を残す夜空に見入っているようにも、気の早い秋の虫の声に聞き入っているようにも見えた。

「え? ああ、何?」

「あの……どうしたんですか?」

ぶんぶん、とミサトは首を振り、

「いや、ね……あ、シンジ君。ちょーっち悪いんだけどさあ、ちっとビール、買って帰ってくんないかなあ?」

シンジが途端に嫌そうな顔をする。それもいつも通り。レイが得たいつも通りだ。

「えええ! またですかぁ?」

「ごーめーん。どーしても、今日飲みたいのがあってさ。お礼にちょっとだけ分けちゃるから、頼まれてよ」

「女に、二言はありませんね?」

「あたぼうよ兄弟。自衛官舐めんな?」

そしてシンジが走り去る足音を聞きながら、レイは覚悟を決めた。

視線をやると、もうミサトは目を閉じていた。そして次に開いた時には、もういるはずのない、国連直属の非公開組織の作戦部長の顔が、そこにはあった。

「……ねえ、あのシンジ君は、どこへ?」

なぜ、とは聞かなかった。おかしくなどない。それが真に知られ得ないものであれば、レイだってそれを覚えているはずがなかったのだから。

「私たちには、知りようのないことです」

「……そう。でも、あなたは、こちらを選んだのね」

「はい。多分、どこかにいるかも知れない、私達も」

そう、ここからだ。元のようにまとまりを取り戻した宇宙、しかし閉じた可能世界の輪の外には、もう相互通信すらできない、無数の綾波レイ達がいる。かつて自分と同じだった、今も無限に近い彼女達が。

「私は、ここにいます。そうさせて欲しいと思っています。あの碇君はもう初めからいないけれど、私が、ここにいます」

だからその言葉は、どこかにいるかも知れない、理由のない寂しさ悲しみに打ちひしがれる無数のミサトに対する答えであり、使徒としては潰えた無数の自分に対してのメッセージだった。

絶対、全ての私は同じことを思っている。

そしてもう使徒でも並列体でもない私達は、私達自信から、誰よりも似ているお互いから永遠に離れていくのだ。

そう在りたいと、レイは願った。誰にも似ていない私自身として、

この世界に、生きていく。

「帰ろう? ミサトさん」

レイは、何時の間にか泣き出していたミサトの手を取った。涙を拭った手のひらのあたたかさに泣きそうになりながら、指先に感じたその温みに、自分のそれをしっかりと繋ぎとめた。

Left Alone

結局のところそれはお祭りのようなものだった。

ただひとつ違うのは、祭りには始まりと終わりがあるが、これにはそのような区切りは存在しない、ということだ。一本のロープには端が二つあって、どちらかが始まりならどちらかは終わりになる。だがそれをバラバラにしたロープの残骸には全体で見れば終わりも始まりもない。

しかし、考えてみれば祭りにしても、前の祭りが終わったように見えて後の祭りが始まったり、どこかで祭りが終わったと思えば別の場所で始まるように、何を持って終わりかとするかはそれぞれではある。

ならば任意の点で終わらせることもできる。その祭りがそもそも存在しなかったということが祭り自身の手によって判明したのならなおさらのことだ。

終わらないはずの夏を終わらせることよりは、それは簡単なことだ。

ロープは存在しなかった。なら後は存在しないロープが自分自身を使って首を括ればいい。

ここで初めから起こらなかったのは、だいたいそのようなことだ。


それで、結局どうなった?

それは当然の疑問に基づいた当然の問いである。しかしその答えの方は無数にあるので、その全てを話すことはできない。ただ、彼らは幸せに暮らす。そのことは保証しよう。僕が言うのだから間違いない。失われた15年は完璧に計算され、使徒達もまたそれぞれどこかへと消え、結局皆幸せに暮らす。

だがそれまでの一瞬の過程には、無数の物語が発生する。ほつれた宇宙は自らを縛り上げ、そこからさらに零れ落ち、またそれを縛り上げ零し続ける。その間に、無数のお話が絡み合って身動きが取れない。

そして僕は、例えば次のようなお話をあまり語りたくない。

使徒の会合とそこで行われた隠し芸大会のお話。

誰もいない浜辺で泣き続ける葛城ミサトのお話。

綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーによる決闘のお話。

幸せの中で消滅した世界のお話。

だから、僕としてはそんなどたばたの最後に起こるとどのつまりだけをお話して終わらせることくらいしかできない。そしてもうそれをしてしまっている。

結局、皆幸せに暮らす。それだけは確かだ。


ただし、その中にいなかったひとりの碇シンジのお話についてだけは、僕のお話として特別に語らなければならないだろう。

使徒はそれぞれどこかへ行った。けれども、その碇シンジは使徒であるように見えて、たまたまへばりついていた使徒の付随物に過ぎなかったので行き場所などなかった。

そして、実際それは初めからシンジではなかった。碇シンジは既にいるべき場所にいる。

であれば、そこにいないのは碇シンジではない。

それゆえに、僕は存在しない。僕のどこかで駆動を続けていないSuper-Solenoid Engineもまた、初めから存在しない。それでもこうして僕は何かを語るかのように語ることができる。だからその機関ではなかった僕もまた、ひとつの異なった機関だ。

僕は、Statical-Singularity Engine

誰か見知らぬ人に届くかも知れない言葉を語らないために、どこか知らない場所で初めから存在しなかった静的機関。あるいは事の初めからその場に止まってしまった、初めから機関として存在しないがゆえに機関ではない機関。

それとも、特異点。

物語の終わり、全ての事象の向こうに、特異点としてそもそも存在しない、だからこそ不在ですらない何か。

そして、あなたの前からあと少しで消え、さらにいなくなるものだ。

見ての通り、このお話はもうすぐ終わる。そしてその終わりがこの僕の発話よりも前のことに見えるがゆえに、この発話が終わった時にはすでに僕はもう存在しなくなっているようにも見える。

だが、それでも僕は、たとえ見せ掛けだけでもあなたにさよならの挨拶をしておきたい。

さよなら。

物語は終わり、元々逢えなかった僕はさらにあなたに逢えることがないと、僕は知っている。

しかしそれでも、どうにかしたやり方で、その存在しない物語があなたに届くことを、物語を語り始めたかのように見える場面でそうするのと同じように、僕はまさに祈っている。

Statical-Singularity Engine

どれほどの時が過ぎたのか、あるいは過ぎなかったのか。

そんな頃、何かが、まるで立ち上がるかのように立ち上がった。

どこかあっちの誰も知らない場所で、何も持たずに。

たったひとりで。

 

- The rest stories of "Project Eva" #43-44 - "Statical-Singularity Engine" Part 2 "Farside" end.
first update: 20080101
last update: 20080101

note

About author
作者:north
The referential book(citiations is stealed from...)
円城塔『Self-Reference ENGINE』
The Source
The Competition of Evangelion 2出場作品『Statical-Singularity Engine』を改訂・改題の後再録したもの。
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